ゲシュタポとの頭脳戦

 

 2人の唯一の頼りは、ユレク・イグラだった。母方のいとこであるヤクブという男性の妻、アニャの末弟で、25歳のユレクは、金髪碧眼で長身。ヒトラーが理想としたアーリア人種としての身体的特徴をすべて備えていたうえに、ドイツ語も堪能、そして何より頭の回転が早く、しかも思慮深く勇敢だった。ユレクは偽造の身分証明書をまず用意してくれた。ソーニャには「Zofia Wieslawska」、アーノルドには「Adam Filipczak」というポーランド名がそれぞれ与えられた。
 アーノルドとソーニャに加え、ワルシャワのフラットには、アニャ夫妻、ユレクの兄弟であるステファンと妻ヤンカ、同じくユレクの兄弟のヘニェックと妻ミラ、そして彼らの息子でアーノルドと同い年のルチェックがいた。9人の大所帯である。
 2部屋と小さなキッチン、バスルームと、物置や洗濯物を干す場所として使えるロフトがあるだけの小ぢんまりとしたフラットに、6人の大人と3人の子供が生活すること自体、物理的に容易ではなかったばかりか、近所には女性の1人暮らしというふれこみになっていた。物音を極力立てずに過ごし、外に出ることもかなわず、ゲシュタポの影にびくびくしながら過ごす毎日。アーノルドに許された喜びは、読書だけだった。
 まもなく、隠れているユダヤ人たちに、ナチスがある伝達を行った。指定の日に、ワルシャワのあるホテルへ出頭すれば、ドイツの「労働者収容所」に送る、というものである。「労働者収容所」は他の強制収容所とは異なると強調されており、そこへ先に送られたユダヤ人からのハガキも紹介された。そのハガキには、環境は悪くなく、毎日の労働もそれほど厳しくないという旨のことが記されていた。
 見つかることを恐れながらの、息のつまるような生活がこれからどれくらい続くか分からない。また、今回のナチスの通達を無視した後で逮捕されれば、さらに過酷な状況に置かれると予想された。精神的に追い詰められていたヘニェックにとって、今回の通達はあまりに「魅惑的」すぎた。ユレクは行ってはいけない、と説得に努め、最後は行かないでくれと頼み込んだが、ヘニェック一家は出て行った。
 彼らのその後が伝えられたのは、それから1年もたってからのことだった。3人とも、ガス室に即座に送られたという。
 残った6人にも、ナチスの手が迫っていた。階下の住人が、「1人住まいの割りに、トイレを使う回数が多すぎる」と、ゲシュタポに通報したのだ。ある日、ドイツ兵数名がフラットに乗り込んできた。ジープが停まる音を聞いた6人は、彼らが戸口から押し入る前にロフトに隠れ、息をひそめた。家具をひっくり返して、床下スペースへの秘密の入り口などがないか探した後、兵士らはまた嵐のように去っていった。アーノルドたちは運良く助かったのである。


フルフト一家が住んでいた建物(1990年代に撮影されたもの)。
当時はバルコニーがあり、アーノルド少年はそこから、様々なものを『目撃』した。

 

脅迫者との対決

 

 しかし、もうそのフラットにい続けることはできない。
 ユレクは6人の隠れ家を手配するのに奔走した。危険を察知しては移動することを繰り返さざるを得なかったが、6人まとめてでは目立ちすぎるため、アーノルドは1人きりで潜伏しなければならないこともあった。アンカという、これもまた勇気あるポーランド人女性の部屋の床下で数日隠れたこともある。アンカはポーランド解放をめざすポーリッシュ祖国軍のメンバーで、表向きは売春をなりわいとし、ドイツ軍将校を客としてとりながら情報を得る一方、ユダヤ人から英空軍兵まで、様々な人々をかくまい、逃亡を手伝った。彼女は戦時中にゲシュタポに逮捕され処刑されたが、戦後、イスラエル政府によりその功績が認められ、『Righteous Among the Nations』(「諸国民の中の正義の人」)という称号を与えられている。アーノルドの人生は、こうした幾人もの「命の恩人」たちなくしては成り立たなかったのである。
 だが、一番の恩人は、文句なくユレクであろう。どこへ行くにしても、アーノルドはこのユレクの頭脳と行動力に感服するばかりだった。ある時も、こんなことがあった。
 ユレクがアーノルドを連れて、路面電車で次の潜伏先へと向かう途中、あるポーランド人男性が話しかけてきた。
 「その少年はユダヤ人に見えるが」
 「その通り。私もそう思い、ゲシュタポ本部に連行するところだ」
 そういうなり、ユレクはドイツ語でポーランド人男性に間髪いれずにたたみかけた。男性は、ユレク自身がゲシュタポの将校だと思いこんだらしく、急に態度を改め
 「いえ、それなら良いのです」
 とつぶやき、次の停留所でそそくさと下車したのだった。
 ユレクといれば大丈夫―大きな信頼を寄せたのはアーノルドだけではなかった。ソーニャは、アーノルド以上にユレクを頼りにし、やがて2人のあいだに愛が芽生えるようになっていた。両親が亡くなったあと、泣きたくなった時にうずめることのできる胸をみつけたソーニャに対して、アーノルドはうらやましく思わずにいられなかった。父や母のように、もう誰も僕を抱きしめてはくれない、アーノルドは独りで泣くしかなかったのだ。
 ワルシャワでの潜伏生活中、最大の危機はこのユレクがいない時にやってきた。
 その隠れ家では、アーノルドは久しぶりにソーニャと暮らせていた。ところがある日、誰かがドアをたたく音がし、不用意にもアーノルドはドアを開けてしまう。そこには、みすぼらしい上着を羽織ったポーランド人の男と、若いドイツ人将校が立っていた。
 男は言った。
 「選択肢は2つ。私たちとゲシュタポ本部に行くか、あるいは金を渡せば、そのユダヤ人の少年がここにいることだけは黙っていてやろう」
 男が口にした金額が大きいことは、12歳のアーノルドにも分かった。しかも、たとえその金が用意できたとしても、ソーニャは連れて行くという。
 「ドイツ兵の間では、おまえのような娘は常に大歓迎されるのさ」
 アーノルドもソーニャも泣き出した。ソーニャは見逃してくれるよう、ポーランド語で切々と訴えたが、20代半ばと思えたそのナチスの将校は、ポーランド語をまったく解さないようだった。
 その将校の様子を見て、アーノルドはとっさにひざまずいた。そして、涙を流しながら将校の軍靴に何度も口づけしたのだった。
 アーノルド自身、無意識のうちに、なぜそのような行動をとったのか分からないという。しかし、将校の心に変化が起こったことだけは確かだった。彼はポーランド人の男に向かってドイツ語で鋭い言葉を投げつけたかと思うと、男を連れて立ち去ったのである。
 数時間後、知らせを受けたユレクに連れられて、アーノルドたちはその隠れ家を後にした。


ユレクがアーノルドのために入手してくれた、
ポーランド人「Adam Filipczak」としての偽身分証明書。