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◆◆◆《第535回》◆◆◆
日産とルノー

経営危機に陥った日産がルノーの傘下に入ったのは一九九九年のことだった。折しも日本経済はバブル崩壊の後遺症が深刻で、政府にも民間企業にも日産を救済する余裕がなかった。何しろ日産の有利子負債(借入金など)は二兆円の巨額に達していたのである
生き残りを賭けて日産はフランスのルノーに提携の可能性を打診した。塙社長がフランスを訪れて直接交渉した結果、ルノーの資本参加が決まった。その時、最高執行責任者(CCO)として日産に送り込まれて来たのがカルロス・ゴーン氏だった。
「コストカッター」の異名を持つゴーン氏は日産の再建計画を立案し、徹底的な経費削減に乗り出した。彼は五つの工場を閉鎖し、二万人の社員をリストラした。さらに千四百社もあった系列企業を見直し、その大半を売却した。また下請け企業を整理して仕入れ先を半数以下に絞り込むとともに、部品の価格をきびしく管理した
ゴーン氏の剛腕によって日産の業績は急回復した。一九九九年度に一五七億円の赤字だった営業収支は二年後には二四二三億円の黒字となった。その間の売上高に大きな変化はなかったから、明らかにこれは経費削減の効果である。それ以上に世間が驚いたのは財務の改善だった。日産は二兆円もあった有利子負債を二〇〇三年までに完済してしまったのである。
ちょうどこの頃、私はイギリスの銀行で企業調査を担当していたので、ゴーン氏が舵取りをするようになってからの日産の変貌ぶりを興味深く観察していた。
「経営者によって会社がこれほど変わるものなのか」
日産の復調が目覚ましいので私はゴーン氏の経営手腕に感服した。しかし、日本に住む知人たちの間で日産の評判は芳しくなかった。日産の車を愛用していたA氏は憤慨して、私にこう言った。
「社員を二万人もクビにした上に、日産に長く貢献して来た多くの部品会社をあっさり切り捨てた。そんな冷酷な会社の車にはもう乗りたくない」
実際、日本人の経営感覚では大規模な人員整理をしたり、協力会社との取引を突然停止したりすることは容易ではない。日本的なしがらみを持たない外国人経営者だから、大胆な合理化が断行出来たといえる。
しかし日産がゴーン氏の経営手腕で立ち直ったことは間違いない。その実績を背景に彼は独裁者になった。権力を握ると人は変わる。相当な人格者でも、大きな権力を握り、長くその地位に就いていると金銭欲や名誉欲が強くなり、暴走するようになる。私は過去に勤めた幾つかの会社でその実例を見て来た。ワンマン経営者に直言する硬骨の部下は遠ざけられ、周りはイエスマンばかりになる。そうした環境の中でゴーン氏は種々の方法を用い、表面上の報酬とは別に私腹を肥やすようになったらしい。
彼は先月、個人用のビジネス・ジェット機で羽田空港に到着したところを東京地検特捜部によって逮捕された。容疑は金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)である。報道によれば東京地検は日産からの内部通報を受け、数ヵ月間極秘に捜査していたという。

日産がゴーン氏の不正を東京地検に通報した裏にはルノーとの完全合併に抵抗する狙いがあったと見られている。ルノーの主要株主であるフランス政府は二〇一五年、二年以上株を保有する株主の議決権を二倍にするフロランジュ法を制定し、ルノーへの発言力を高めた。その目的の一つはルノーと日産の完全な統合だった。
ルノーの会長でもあったゴーン氏は当初これに反対したが、その後、会長の任期を二〇二二年まで延長する条件と引き換えに統合案を受け入れたと報じられた。技術力と収益力の両方でルノーを上回る日産は統合されることを嫌い、ゴーン氏の不正を公にしたとの見方が強い。これを「クーデター」と報じた新聞もあったくらいだ。
ルノーは日産の四三・四%の株式と議決権を持っているが、日産はルノーの株の一五%しか保有しておらず、しかも子会社のため議決権を持っていない。もしも日産がルノーの株を買い増して二五%以上保有すれば日本の会社法によってルノーの議決権は消滅する。ただし両社間には協定があり、日産に買い増しが許されるのは「不当な介入」があった場合に限られる。
ルノーとフランス政府には「日産を救済したのは我々だ」という自負がある。しかし日産がメーカーとして独立性を望むのは当然のことだ。日産の高い技術は日本の財産でもある。ゴーン氏の裁判の行方とともに、経営をめぐる日産とルノーのせめぎ合いに注目したい。

週刊ジャーニー No.1065(2018年12月13日)掲載

くろだいぬひこ
在英三十年のエッセイスト。商社や銀行勤務を経て、現在は執筆に専念。酒、旅、そして何より犬を愛する。