もうすぐハロウィン! 
アンコール企画 ペンドル魔女裁判
イングランド史上最大の
魔女狩り事件

イングランド北西部のランカシャー地方。古都ランカスターと、羊や牛が草をついばむ牧歌的な景色が続くペンドル一帯で400年前、「イングランド史上最大」と語り継がれることになる魔女裁判が開かれ、「魔女」とされた女性たちが処刑台に散った。まもなくハロウィンのシーズンとなる今回、その悪名高い魔女狩り事件についてお届けする。

●サバイバー●取材・執筆・写真/ネイサン弘子・本誌編集部

異端弾圧と社会不安

英国を含む11~13世紀のヨーロッパは、ローマ・カトリック教会の支配下にあり、教会の影響力は頂点に達していた。学問や芸術などキリスト教文化が全盛期を迎えると同時に、絶対的な権力を持った教会内部では腐敗が蔓延。妻帯できないはずの聖職者は愛人を持ち、魂の救済は金次第…。教会の堕落は目に余るものになっていた。こうした教会に対し異論を唱える者が増えはじめると、教会は彼らを「異端」とし、弾圧を開始。異端者の財産を没収して、さらに私腹を肥やしていった。

巫女や祈祷師といったシャーマンは、古代より超自然的能力があると世界中で信じられてきた。魔女狩りが起きる前は、魔女も祈祷や薬草の販売で細々と生計を立て、一種の「職業」として認知されていたが、やがて教会はそうした魔女たちをも「怪しい妖術を使う異端者」として弾圧の標的としたのである。

そして1484年、時の教皇インノケンティウス8世は魔女を断罪する勅書を発し、異端審問官に魔女掃討の権限を与える。これに加え、ドイツ出身の異端審問官ハインリヒ・クラーマーが魔女の有害性や見分け方を記した著書「魔女に与える鉄槌」を発行したことで、ドイツを中心にヨーロッパ各地へ魔女狩りが大々的に広まっていった。

このような教会からの弾圧に対する怒りと恐怖だけでなく、ペスト(黒死病)の大流行、自然災害の頻発など、社会に渦巻く不安と不満、長引く貧困生活の苦しさから、魔女狩りが鬱憤のはけ口となっていった。娯楽がほとんどなかった時代、罪人を市中引き回しにした挙句に行われる火あぶりや絞首刑、溺死刑といった残忍な公開処刑は、民衆の恰好の娯楽となったのだ。

魔女を恐れた英国王

魔女狩りが横行した時代、英国を統一したイングランド王ジェームズ1世。

英国で魔女迫害の嵐が大きく吹き荒れたのは、スコットランド王ジェームズ6世(後のイングランド王ジェームズ1世)に端を発する。

1589年、ジェームズの14歳になる新妻、デンマーク王女のアンを乗せた船がスコットランドへ向かう途上で嵐に遭遇し、船はノルウェーへと避難することになった。ジェームズはアンを迎えに行ったものの、スコットランドへの帰途、2人を乗せた船はまたしても嵐に遭遇。これを「魔女の仕業だ」と思い込んだジェームズは、翌年スコットランド初の大規模魔女裁判「ノース・ベリック魔女裁判(North Berwick Witch Trials)」を起こした。

魔女集会「サバト(Sabbat)」が開かれたと噂された、エディンバラの東に位置するのどかな港町ノース・ベリックとその周辺に住む70人とも200人とも言われる人々が、魔術で嵐を起こし国王の命を狙ったとして罪に問われた。ジェームズ自らが法廷に出向いた同裁判において、被告人の中でも重要人物とされたのが、助産師アグネス・サンプソンと学校長ジョン・フィアンだ。2人はとくに残忍な拷問をもって自白を強要された。

アグネスは体毛をすべて剃られ、拷問具「おしゃべり女のくつわ」を頭部に被せられて磔にされた。くつわには舌を圧迫する金具がついており、話すことができないため、当然ながら反論することは不可能。また絶えずロープで鞭打たれ眠ることも許されなかった。アグネスは拷問に耐え切れず、53の罪とサバトに参加し悪魔と結託して魔術を行使したと認めた。

一方、魔術師としても知られていたフィアン博士は、魔術を説いて人々を惑わせ、アグネスらとともにサバトに参加した罪に問われた。手の指の爪をすべて剥がされた後、指先に鉄の針を刺され、さらに鉄のプレートで指を挟んで押しつぶす拷問器具「サム・スクリュー」や、脚を締め上げる「ブーツ」による苦しみにもがいた。この生き地獄から逃れるには、自白しかなかったのだ。2人はエディンバラのキャッスル・ヒルで火あぶりに処されている。

これ以降、ジェームズの魔女嫌悪は年々拍車がかかり、1597年に著書「悪魔学(Daemonologie)」を執筆。同書の序文には「サタン(魔王)の攻撃は明らかに行われており、その手先たる者どもは厳罰に処す」と記され、水攻めや魔女の身体にあるという「悪魔の印」などによる魔女の見分け方も解説している。さらに、イングランド王となった後の1604年には、1542年にヘンリー8世が制定した「魔術法」をさらに厳しく改定。犠牲者がいなくとも、魔術を行っただけで死をもって罰するとした。

その結果、国王の庇護を受けたい英国内の諸侯らは、率先して魔女を罰しはじめる。そして、魔女と疑われることが死を意味したこの時代に、ロンドンから遠く離れた辺境の地で、スコットランドには及ばないものの、ついにイングランド史上最大の魔女裁判が行われることになる。

ペンドルの魔女たち

1612年、ランカシャー東部のペンドル。大人の男手を失った2つのライバル・ファミリー、デムダイク家とシャトックス家は、薬草売りや物乞いでどうにか生き延びていた。村人たちから「霊能力がある」と信じられ、気味悪がられていた彼女たちの身に、ある日、悪夢のような出来事が降りかかる――。供述内容がどこまで真実かは今では知るよしもないが、書記官トーマス・ポッツにより詳細に記録され、のちに「ランカスターの魔女の驚くべき発見(The Wonderful Discovery of Witches in the County of Lancaster)」と題して出版された、英裁判史に残るセンセーショナルな魔女事件の顛末はこうだ。

3月18日。デムダイク家の若い娘、アリゾンは物乞いをしようと向かったコルンの町への道すがら、旅の行商人ジョン・ロウに「針を恵んでください」と声をかけた。しかし、冷たくあしらわれたアリゾンが別れ際に何やら捨て台詞をはくと、その数秒後、ジョンは突然苦しみながら倒れ、半身不随の身となってしまった。

3月30日。当時の状況から今ではジョンは脳梗塞を発症したと考えられているものの、ジョンの息子アブラハムは、アリゾンが父に呪いをかけたと信じ、彼女を地元の判事の前に連行した。アリゾンの告白によると、針の提供を断られた直後、見たことのある黒い犬が現れて、彼女に「あの男を苦しめることができる」と言ったので、「そうして欲しい」と答えたところ、ジョンが倒れてしまったという。さらなる判事のしつこい追求に、彼女は自分の家族やライバルのシャトックス家が魔術を行使してきたと告白してしまう。

4月3日。アリゾンと彼女の祖母でデムダイク家の長である老婆、オールド・デムダイク、シャットクス家の長、オールド・シャトックスと娘のアンの4人が、魔女の疑いでランカスター城へ送還され投獄される。

4月10日、デムダイク家の本拠地であったとされるペンドル・ヒルに建つ小屋「マルキン・タワー」に、残された家族と友人たちが集まり、捕らわれた4人を救うため、ランカスター城の爆破計画を立てる。

4月末。捜査官がマルキン・タワーに派遣され、教会の墓地から盗まれたと思われる人骨、呪いをかけるための泥人形などを発見。アリゾンの母や弟、友人の親子ら6人が新たに捕らえられ、サバトに参加した罪、魔術による殺人罪でランカスター城へ送られた。この間に、80歳を超えていたオールド・デムダイクは、牢獄で非業の死を遂げている。

中央の白い建物が、ペンドルの魔女10人が幽閉されたランカスター城内の牢獄「The Well Tower」。

9歳の少女の裏切り

8月17日、ついに魔女裁判が始まる。自白や証拠の多くは噂の域をでない、一貫性のないものであったが、判事がペンドルの魔女たちの罪状に対する決定的な証人として、デムダイク家の一員で唯一捕らえられていなかった9歳の孫娘ジャネットを出廷させたことで、状況は一変する。ジャネットは「自分の家族は全員魔女で、マルキン・タワーでの集会に出席していた友人らも魔女」と証言。母親はわが身を滅ぼそうとする娘に向かって法廷内に響き渡るほどの絶望的な悲鳴をあげた後、「一家を告発した判事を呪ってやる!」と叫んだ。

すべてのきっかけを作ってしまったアリゾンは、半身不随となった行商人のジョンが法廷に姿を現すと、彼に駆け寄り罪を認め、許しを乞うた。同情したジョンは許しを与えたが、裁判長がアリゾンに対し「ジョンを元の身体に戻すことができるか」と問うと、彼女は「私には力が足りませんが(獄中死した)祖母が生きていたならそうしたことでしょう」と答えている。

デムダイク家の巻き添えのように捕らえられたオールド・シャトックスは、涙を流しながら神に許しを乞い続けたが、裁判官は被告人10人を魔女と断じ、絞首刑に処すことを宣言した。

8月20日。裁判開始からたったの3日後、窓も灯りもない真っ暗なランカスター城の牢獄を出た10人は、刑場となっていた丘「ガロウズ・ヒル」に連行された。道すがら、現在もパブとして営業を続けている「The Golden Lion」に立ち寄り、人生最後の飲み物でのどを潤すことを許された。僅かばかりの気力を養った後、長く続くきつい坂を登り、ランカスターの街を見下ろす丘の上で、あふれかえる民衆たちの好奇の目に晒されながら首を吊られた。

このペンドル魔女裁判では、被告人たちが「自分は魔女だ」と信じ込んでいたともされているが、ただ生きる手段として魔女を利用し、時代に後押しされた偏見と不寛容の中で誤解された哀れな人々であったことは、疑念の余地がない。

国王ジェームズが「死をもって処罰する」と改定した1604年の魔術法は、1736年に刑罰が罰金か禁固刑に改定された。同法は1951年に廃止され、かわりに霊媒詐欺取締法(Fraudulent Mediums Act)が施行されたが、これも2008年に不正取引からの消費者保護に関する規制(CPRs: Consumer Protection from Unfair Trading)に一本化された。「自分は魔女だ」と名乗っても罰せられない平和な時代に生まれたことに感謝するばかりである。

ペンドル魔女狩り事件で「魔女」とされた人々が、絞首刑に処される様子を描いたとされる絵。当時のイングランドでの死刑は絞首刑が一般的で、極悪人は火あぶり、貴族などの高貴な身分の者は斬首刑となっていた。

3000年以上前は墓地!? 魔女信仰の聖地 ペンドル・ヒル

 ランカシャー東部のペンドル一帯に広がる、ペンドル・ヒル(Pendle Hill、写真)。名前の由来は13世紀頃までさかのぼり、丘(hill)を意味するカンブリア地方の方言「pen」と古英語「hyll」を組み合わせた、「Pennul」「Penhul」と当時は呼ばれていた。標高約600メートルのヒースが広がる荒涼とした丘で、昔からこの地では「霊験あらたかな場所」として知られており、丘の頂上からは3000年以上前の青銅器時代の墓地跡が見つかっている。

ペンドル・ヒルが信仰の地としてもっとも注目を集めたのが17世紀。1612年のペンドル魔女事件のほか、1652年にはプロテスタントの一派「クエーカー教」の祖、ジョージ・フォックスが神に導かれてペンドル・ヒルの頂上へ登り、そこに集う多くの「霊」の姿を見たとの証言を残している。また、2011年には丘のふもとの地中から「朽ちた小屋」が発見され、その壁からネコのミイラが見つかったことから、ペンドルの魔女の家ではないかと話題になった。

ランカスターとペンドル一帯には、魔女にまつわる史跡が数多く残されている。とくにペンドルでは「魔女伝説」が観光資源となっており、ペンドル・ヒルへのハイキングや魔女トレイルなどを楽しむ観光客も多い。ペンドル・ヒルでは、現在も魔女たちの本拠地「マルキン・タワー(Malkin Tower)」の場所を特定しようと発掘作業が続けられている。

週刊ジャーニー No.1209(2021年10月7日)掲載