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2013年1月10日 No.761

●サバイバー●取材・執筆/本誌編集部

 

300年続く領土問題

小さな英領 ジブラルタル


参考資料:『Gibraltar』Maurice Harvey著、『ジブラルタル政府』ホームページ(www.gibraltar.gov.gi)、
『英国国立公文書館』ホームページ(www.nationalarchives.gov.uk)など
写真協力:ジブラルタル観光局(www.visitgibraltar.gi)

 

竹島、尖閣諸島など、領有をめぐる問題に大きく揺れる日本。
かつて大英帝国として名を馳せ、最盛期には世界の陸地の4分の1を支配したと
言われる英国も、領土問題とは無縁ではない。
それどころか、ほんの31年前には南大西洋のフォークランド諸島をめぐり、
同諸島の領有を主張するアルゼンチンと戦火を交え、
両国合わせて3000人近い死傷者を出している
。近代国家であろうとも、 領土の争いによって血が流されるという
現実が露呈したことは、記憶に新しい。
そこで今回は、数々の領土紛争に対応してきた英国が抱える
未解決問題のひとつであり、
英国に譲渡されてちょうど300年を迎えるジブラルタルについて考えてみたい。

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スペイン・ソフィア王妃
ドタキャンの理由

 


英王室主催の午餐会にはスペインのカルロス国王(左)の代理としてソフィア王妃(右)が出席する予定だった。

 昨年、エリザベス女王の即位60年を祝うダイヤモンド・ジュビリーに沸いた英国。オリンピックを目前に控えながらも、オリンピックのオの字も見えないほどの盛り上がりを示し、英国内における王室の人気ぶりを大いに見せつけた。
祝賀行事の数々は世界中を巻き込んで華やかに行われ、そのひとつとして、エリザベス女王は君主制の国や地域から君主を招き、ウィンザー城で午餐会を催した。英王室が総出となって来賓者をもてなしたこの会に、日本からは心臓バイパス手術後数ヵ月の天皇陛下と皇后陛下が出席されたほか、およそ30ヵ国の国王や首長らが顔を並べ、それは史上最大規模の君主の集いとも言われた。しかしそこにはスペインを代表して出席するはずだったソフィア王妃の姿が見当たらなかった。
「この状況下で、英王室主催の午餐会に参加するのは妥当ではない」。マドリッドから届いた声明は、祝賀ムードの裏でくすぶる、スペイン―英国間の火種を思い出させた。
『この状況下』が指し示すものこそが、今回のテーマ、両国が300年もの長きにわたって争いを続けるジブラルタル領土問題である。
ソフィア王妃のキャンセルは、ダイヤモンド・ジュビリー祝賀行事の一環として、女王の末息子ウェセックス伯エドワード王子夫妻が同地への訪問を発表していたことに対する抗議の意の表れだった。
地図で見ると、小さな点でしかないジブラルタルの地に、一体どのような問題が潜み、なぜ解決されないのか―。まずはジブラルタルの成り立ちから見てみることにしよう。

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イベリア半島の端にぶら下がる
小さな英領

 


 ジブラルタルは、スペイン、ポルトガルなどを擁するイベリア半島の南東端から海へと突き出た小さな半島に位置している。
幅およそ1・2キロ、長さ5キロほどと狭小で、総面積にしておよそ6・8平方キロ。スペインの面積50万平方キロと比べるとその小ささがよくわかるだろう。しかしこの地が持つパワーの大きさは、有力な同盟国のひとつ、いやそれ以上に匹敵する。
この地が持つ魅力についてはあとで触れるとして、独特の地形を有するジブラルタルは、大半を  「ザ・ロック(The Rock)」と呼ばれる一枚岩が占めている。標高約426メートルのザ・ロックの東側は雄々しい断崖絶壁、西側は緩やかな斜面となっており、現在はそこに約3万人が暮らしている。
人々がこの地に住んだ歴史をさかのぼると、近郊でネアンデルタール人の化石が見つかっていることから、古代から人々が生活したと考えられている。しかし石灰岩の多い土壌は農耕に適さず、生活には向かなかったようだ。紀元前940年頃からフェニキア人、ローマ人などが居住したものの永住にはいたっていない。
8世紀にイスラム史上最初の世襲イスラム王朝ウマイヤ朝がイベリア半島を支配すると、この地も支配下に置かれ、イスラム圏となる。
ちなみに、「ジブラルタル」という名の由来は、ザ・ロックをウマイヤ朝の将軍ターリク・イブン・ズィヤードにちなみ「ジャバル・ターリク(アラビア語でターリクの山の意)」と呼んだことにあるといわれている。
イベリア半島でキリスト教徒による国土回復運動(レコンキスタ)が起こり、1492年にカスティーリャ王国がジブラルタルを掌握。以来、スペインの統治下となった。