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【キューバ編 第23話】キューバのコーラ(下)

キューバ地図
石田ゆうすけ
旅行作家。7年半かけて自転車で世界一周を敢行。9万5千キロ、87ヵ国を走り、2002年末に帰国。現在は全国各地で講演も行う。著書に『行かずに死ねるか!』『地図を破って行ってやれ!』ほか。2014年2月に最新刊『大事なことは自転車が教えてくれた』(小学館)を上梓。ブログも更新中→「石田ゆうすけのエッセイ蔵

人通りが多いとはいえない住宅街の細い道に、それを見つけたときは「ええっ!?」と思わず声を上げた。ペプシコーラの看板だ。なんでこんな宣伝効果の薄そうな場所に看板が?……いや、そうじゃない! なんでアメリカ企業のペプシの看板が? 60年近く前のキューバ革命で、アメリカ資本は追い出されたはずなのに――と思ったものの、すぐにその疑問を解くカギが見つかった。鉄製のその看板が錆びだらけだったのだ。
通りの向かいで4人の男性が立ち話をしている。いいところにいてくれた。彼らに近づいていき、聞いてみると、白い顎鬚をたくわえたお爺さんが「そうさ。俺はここに62年住んでいるが、その前から看板はあったよ」と言った。
やっぱり思ったとおりだ。看板はキューバ革命以前のものだ。その頃は今とは真逆で、キューバを治めていたのは親米政権だった。いや、親米というより、ほとんどアメリカの傀儡政権だったのだ。アメリカは隷属下のキューバからせっせと搾取し、そこと癒着したキューバの政権幹部たちも私腹を肥やし、民衆は貧困と圧政にあえいだ。その不平等に、若者たちが立ち上がるのはむしろ当然だった。そしてその若者たちがたまたま、非凡な才能と運を持っていた。カストロやゲバラたちだ。こうして20世紀最大の奇跡と呼ばれるキューバ革命が成就する。当時の民衆の熱狂ぶりを思うと、こういうペプシの看板も血祭に挙げられそうだが、地方は革命のときも意外と淡々としていたのだろうか。

道をめちゃ丁寧に教えてくれたおじさんたち

革命以降は長らく緊張状態にあったキューバとアメリカだが、オバマが大統領になってからは雪解けが見られ、国交が回復された。
「はっはっは。国交回復っていっても、どれだけ変わるんだか」
白髭爺さんと立ち話していた恰幅のいいおじさんがそう言って笑った。
「今度オバマが来るって話だけどな、ラウルとただ話をするだけだ。100パーセント何も進まねえ」
おじさんは船乗りだという。
「俺はフィリピン人の船乗りからコカコーラをよくもらうんだけどな、100パーセントそっちのほうがうまい。キューバのコーラは微妙だろ」
何かにつけ100パーセントと言ってはニヤニヤ笑う。僕もつられて笑ってしまう。そうだ、道を聞かなきゃ。俺、迷っていたんだった。
町のセントラルへはどう行けばいいですか、と聞くと、船乗りのおじさんを中心に、どう行けば一番わかりやすいかを4人でえらく熱心に話し合い、そして最適な道を実に細かく教えてくれる。パッと見はちょい悪オヤジたちだが、なんとも生真面目で、丁寧に接してくれるのだ。

朝からラムの飲み方を教えてくれたお爺さん

そのあと再びコーラの話に戻り、キューバはコーラはいまいちだが、ラムはうまい、と言って笑う。僕もうんうん! と同意し、「モヒートは最高だ!」と言った。キューバ生まれのこのカクテルに、僕はすっかり魅了されていたのだ。すると白髭のお爺さんがからから笑った。
「お前ら外国人はラムをモヒートで飲むけどな、そりゃ子供の飲み方だ。俺らは違うぞ」
そう言って家の中からわざわざラムの瓶を持ってきて、ラッパ飲みをして見せてくれた。ひゃあ、かっこいい。僕が慌ててカメラを取り出そうとすると、お爺さんはそれを待ち構え、それから僕がシャッターを切るたびに、朝っぱらから何度もラッパ飲みをしてくれたのだった。

週刊ジャーニー No.1120(2020年1月16日)掲載