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【キューバ編 第47話】荒野の洗濯屋

キューバ地図
石田ゆうすけ
旅行作家。7年半かけて自転車で世界一周を敢行。9万5千キロ、87ヵ国を走り、2002年末に帰国。現在は全国各地で講演も行う。著書に『行かずに死ねるか!』『地図を破って行ってやれ!』ほか。2014年2月に最新刊『大事なことは自転車が教えてくれた』(小学館)を上梓。ブログも更新中→「石田ゆうすけのエッセイ蔵

昼から急に暑くなってきた。酷暑に泣いたメキシコが近くに、ほぼ同緯度にあるのだ。今は真冬なので朝夕はまだ過ごしやすいが、日が高くなると日本の真夏を思わせる日差しが照り付ける。
町はなかなか現れなかった。大粒の汗がボトボト落ちていく。やばいな。水は足りるだろうか。
暑さと渇きで朦朧としながら走っていると、まっすぐのびる一本道から少し大地に入ったところに一軒の家が見えた。まわりにヤシの木が生え、物干し竿が大地に並び、大量の洗濯物が風に舞っている。洗濯屋? でもなんでこんな人里離れたところに? ぼんやり考えていると、人の姿が見え、「ベンガ(来い)ベンガ!」という叫び声が聞こえた。おばさんがふたり、こっちに来い! と大きく手を振っている。

ヤシの実の内側にへばりついた胚乳。ナタデココみたいな味と食感

助かった、水をもらおう、そう思って行ってみると、おばさんたちは「まあ座れ座れ!」と庭にあるベンチをバンバン叩いた。 おばさんはふたりとも強烈だった。何か言うたびに狂ったようにゲラゲラ笑う。ヘンなものでも食ったのか?
ふたりのうちの痩せぎすで出っ歯のおばさんはとりわけパワフルだった。僕の隣に座り、僕の膝に手を置いたり肩を抱いたり、やけにベタベタとくっついてくる。そのうち「恋人は?」と聞いてきた。
「結婚してるよ」
「奥さんは日本にいるんでしょ。関係ないわ! 私とどう?」
なんちゅう単刀直入っぷりや、と笑っていたら、もうひとりの太ったおばさんが真顔になって「この人は独身よ、自由よ」と妙な援護射撃を始めるのである。
家から痩せた男が現れた。どうやら太ったおばさんの夫らしい。おばさんがボスキャラなだけに、どうしても尻にひかれているように見える。
おばさんが夫に何かを命じると、彼は物干し竿を手にとり、庭のヤシの実を叩き落とした。それからナタで実を削り、僕に出してくれた。ありがたい。実に口をつけて飲む。ほのかに甘いココナッツジュースが口内にどばどばと注ぎ込まれ、疲れた体にみるみる生気が与えられていった。
飲み干すと、出っ歯おばさんが僕の手にスプーンを持たせ、二人羽織のように僕の手をとってヤシの実にスプーンを入れ、中のゼリー状のものをかき出し、僕の口に入れた。甘くてうまい! でもこれじゃまるで子供やないかい!
彼女はゲラゲラ笑い、またしても「私と遊ぼうよー!」とヤニ色の出っ歯をむき出しにしてニターッと笑うのである。

洗濯屋のおばさん。僕のサングラスをかけてふざけている。

キューバの女性は強いと聞いていたけど、なるほどなあ。社会主義のもと、男女平等が謳われ、女性が活躍できる場が社会にたくさんあるらしい。女が男の経済力に頼る必要はないのだ。離婚率は85%と信じられないくらい高い。それにしても、この出っ歯おばさんはぶっ飛んでいた。
ところが、ひとしきりたって僕が「じゃあそろそろ行くよ」と伝えると、急に彼女のテンションが下がったのだ。あれ? と意外に思いつつ、自転車をこぎだし、うしろを振り返ると、みんな笑顔で手を振ってくれている。そんななか、出っ歯おばさんだけが少女のようにそっぽを向いているのだ。もしかして、あのボディタッチは本気だった……?

週刊ジャーニー No.1144(2020年7月2日)掲載