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【キューバ編 第5話】メキシコの菓子パン

キューバ地図
石田ゆうすけ
旅行作家。7年半かけて自転車で世界一周を敢行。9万5千キロ、87ヵ国を走り、2002年末に帰国。現在は全国各地で講演も行う。著書に『行かずに死ねるか!』『地図を破って行ってやれ!』ほか。2014年2月に最新刊『大事なことは自転車が教えてくれた』(小学館)を上梓。ブログも更新中→「石田ゆうすけのエッセイ蔵

レストランのあとにタコスの屋台をハシゴして、腹がはちきれんばかりに膨らんだが、まだ宿に帰る気にはなれなかった。時計を見ると22時過ぎだ。急ぎ足で日中に目星をつけていた店に向かうと、白い光が漏れているのが見えた。よかった、まだ開いていたんだ。
中に入ると、小麦粉の甘い匂いに包まれた。棚には様々な形の菓子パンが並んでいる。
20年前に世界一周の旅で初めてメキシコを訪れたとき、驚いたことのひとつがこのパン屋だった。日本のベーカリーと同じような店がいたるところにあるのだ。しかも都市部だけではなく、田舎の小さな町にもあった。棚に並んだパンを客がトングでトレイにのせ、レジで精算するというスタイルも同じなら、商品もよく似ている。日本のメロンパンと外見が同じものがあったので、買って食べてみると、味もほぼ同じだった。日本発祥のメロンパンを海外で見たのは、ここメキシコだけだ(台湾や韓国にもあるらしいが)。
来日したメキシコ人が日本のベーカリーに感化され、帰国後、同じような店を出したところ、見事に成功し、メキシコで広がった――そんなストーリーを空想してしまう。実際のところはわからないが、偶然の一致にしてはできすぎている。
違うのは値段だ。田舎だと100円も出せば、菓子パンが5、6個買える。そのため「この値段にしては」という甘めの評価になったかもしれないが、とにかくやけにうまかった印象がある。食べものの話で世界一周を綴った拙著『洗面器でヤギごはん』には次のように書いている。
「店によってはパン生地がややぱさつき、見た目もかなり雑だったりするが、パン自体の味は濃厚で、香ばしい」
思い出は常に美化される、という思いから、かなり遠慮して書いている。もうひとつ言うと、「うまい」「おいしい」という言葉を使うことを、この本では禁じた。「おいしい」という漠然とした表現ではなく、どうおいしいのか、その先に踏み込んだのだ(だから、この一文だけ抜き出して読むと、遠慮がちな印象になる)。この本は発刊から4年後に文庫化されるのだが、その際、1冊まるごと書き直した。文庫本のほうの文章はこうなっている。
「日本の菓子パンと比べると、見た目が雑で、味も素朴なのだが、なんといっても安い」

メキシコのベーカリー


時間がたってますます自信がなくなっているのがわかる。味ではなく、より客観的になれる値段のほうに評価をシフトするという姑息さだ。
さて、実際、どうなのか。日本から直接来て食べても、あのときの感動を味わえるのだろうか。
チョコデニッシュ、パイナップルジャムデニッシュ、メロンパン、そして主食用の甘くないパンを買って、翌日食べたのだが、結論から言うと、とんでもなくうまかった。遅い時間でも客で混んでいたから、この店のレベルが特別高かったのかもしれないが、昔の記憶どおりだった。素朴な味わいだが、粉自体が力強いという感じがする。食べていると、うまみがあとからあとから膨らんでくる。主食用のパンはとくにそう。僕はパンが好きで、日本ではいろんな店でそれなりのパンを食べていると思うが、日本では味わえないうまさだと思った。
これが独りよがりの思い込みではない、ということをこのあと知るのだが、それはまだ先の話になる。

週刊ジャーニー No.1102(2019年9月5日)掲載