inuhiko_title.jpg

◆◆◆《第547回》◆◆◆
大震災から八年

東日本大震災が起きて八年が過ぎた。何年経ってもあの地獄絵のような惨状は私たちの記憶から消え去ることはないだろう。
その日の朝、私はいつものようにコンピューターのスイッチを入れ、インターネットのニュースを見て驚いた。日本の大地震を報じていたからだ。すぐにJSTVをつけると画面に三陸沿岸の町や村を襲う大津波の様子が映し出された。私は日本で商社に勤めていた頃、水産製品の買い付けで始終、東北地方に出張していた。石巻、塩釜、気仙沼、女川には魚の加工場が多い。知人もいるので、急いで電話をかけたが通じるはずもなかった。
翌日のイギリスの新聞はどれも一面に津波の写真を載せ、被害の深刻さを伝えていた。私は今もそれらの新聞を保存している。世界各国から多くのジャーナリストが日本へ飛んだ。チャンネル4のキャスター、ジョン・スノーも気仙沼から生中継で状況を伝えて来た。彼らは大災害の中でも秩序を守って行動する日本人に驚嘆し、「これだけ質の高い国民だから、必ず短期間で立ち直るだろう」と異口同音に語った。
東日本大震災は天災と人災の両方の要素がある。大地震とそれによって発生した大津波は避けようのない天災だったが、福島の原発事故には人災的な要素が含まれる。かなり早い時期に三陸沖の大地震が予測されていたからだ。それに関して東電の元経営陣の三人が検察審査会によって強制起訴されている。裁判の過程で明らかになったのは、津波の可能性を指摘されながら対策を先送りにしていた事実である。
政府の地震調査研究本部は二〇〇二年の時点で「福島沖で明治三陸地震(一八九六年)と同じような大津波をもたらす地震が発生する可能性がある」と予測し、東電に伝えた。これに基づき、東電の土木調査グループが津波対策を作成し、二〇〇八年に経営陣の了承を得たが、その後、工事は取りやめになった。裁判では津波対策を先送りした元幹部の責任が審理されており、今週最終弁論が行なわれた。近く東京地裁が判決を出す予定である。
東日本大震災が起きた時、福島の原発が爆発を起こした影響は大きかった。「二重、三重に安全措置を施しているから大丈夫」と聞かされていた住民は裏切られたと思った。原発に近い大熊町、双葉町、浪江町などは立ち入り禁止となり、震災の犠牲になった人々の遺体の捜索も出来なかった。

八年経った今、メディアはさかんに現地の復興を伝えるが、被災三県(福島、宮城、岩手)の人口は三十万人減った。原発のある福島を出て県外で避難生活を送る住民は今なお三万二千人もいる。その中には帰還をためらう人も少なくない。二年前に一部区域を除き、帰還が可能になった浪江町の場合、今年一月に発表された調査結果によると、すでに帰還した町民は全体の四・九%、「いずれ帰還する」と答えた人が一一・八%だったのに対し、「帰還するつもりはない」と答えた人は四九・九%にのぼった。「帰還するつもりはない」と答えた人は若い世代に多く、二九歳以下で六三・六%、三〇歳~三九歳の世代では六五・八%に達した。
原発が立地する大熊町では来月、住民の帰還が始まるが、最新の調査では町民の五五・〇%が「帰還するつもりはない」と答えている。震災から八年も経てば、ほとんどの人が避難した場所に定着し、新しい生活を始めている。いくら「除染は終わった」と言われても、原発はまだ厳然と聳え立っているのだから、簡単に帰還する気になれないだろう。
政府の地震調査研究推進本部は先月、「今後三〇年の間に宮城県沖などでマグニチュード7程度の地震が起きる確率は九〇%」という予測を公表した。南海トラフでも今後三〇年以内に大きな地震が起きる確率は八〇%といわれている。長い歴史のサイクルから見て、日本が大災害の時代に突入したことは間違いないようだ。
私はそれに備えて防災省を設立し、国として強靭な防災体制を築くべきと思う。現在、科学技術の発達は著しく、津波が発生した時に自らの浮力で立ち上がる防潮堤やシェルターに早変わりするガレージなど、これまでになかった防災設備が次々に考案されている。そうした先端技術を積極的に導入し、将来の災害に備えることは喫緊の課題といえよう。
日本の政府はアメリカから高価な武器や戦闘機を買うよりも、国の防災にもっと予算を使うべきである。東日本大震災の尊い犠牲を決して無駄にしてはならない。

週刊ジャーニー No.1077(2019年3月14日)掲載

くろだいぬひこ
在英三十年のエッセイスト。商社や銀行勤務を経て、現在は執筆に専念。酒、旅、そして何より犬を愛する。