
◆◆◆《第787回》◆◆◆
次の選挙を考える
イギリスの前回の総選挙は二〇一九年十二月十二日に行なわれた。新しい議会が招集されたのは直後の十二月十七日だった。下院議員の任期は五年だから、来年の十二月十七日までである。この日まで国会が解散されなければ、法定の準備期間を経て、総選挙を実施しなければならない。それが決まりである。正確に計算をすると、どんなに遅くても二〇二五年一月二十八日までには総選挙が行なわれる。
むろん任期満了を待たず、国会が解散される場合もある。首相の解散権は二〇一一年の「議会任期固定法」によって規制されていたが、この法律は昨年廃止になった。従ってスナク首相は自分の意思で議会を解散することが出来る。多分、彼は来年のうちに解散権を行使するだろう。
スナク首相や閣僚が最近、次の選挙を意識していろいろな政策に言及しているのは周知の通りだ。本欄でも取り上げたが、それは高速鉄道(HS2)の計画縮小や電気自動車や新型ボイラーへの切り替え延期などである。それに加え、ブラヴァマン内務相は先日、路上で暮らすホームレスの人々のテントの使用を規制する法案を国会に提出することを明らかにした。
彼女は、「如何なる人も公共のスペースをテントで塞ぐことは許されない。政府はホームレスの人々を常に支援しており、そのための施設もある。路上でテントを張って寝ている人の多くは外国人である。彼らは自分のライフスタイルとしてそうしている。これを取り締まらなければならない」と法的規制の必要性を強調した。さらに彼女は、「テント生活者を放置すれば、ロンドンはロサンゼルスやサンフランシスコのように、犯罪と薬物にまみれた街になってしまう」とも述べている。彼女の主張通りに法律が成立すれば、ホームレスの人々のテントを提供している慈善団体の行為も違法になるらしい。
政府のこうした方針に慈善団体や野党は激しく反発している。ある団体の幹部は、「テント生活はライフスタイルの問題ではない。政府の住宅政策が破綻し、家賃が高騰して普通の家に住めないから、テントで暮らす人が増えているのだ」と言っている。労働党のレイナー副党首も「住宅危機の責任は政府にある。家賃の高騰もさることながら政府が『無過失退去(non fault eviction)』の廃止に失敗したことが社会的弱者を追いつめている」と批判した。ちなみに「無過失退去」とは家主が借家人に対し、理由を示すことなく退去を求めることが出来る制度である。前回の選挙で保守党はこの法律の廃止を公約したが、まだ実現していない。

ブラヴァマン内務相はゴムボートで英仏海峡を越えて来る外国人を難民申請の対象から外し、第三国に強制的に移送する方針を打ち出したことでも知られている。スナク首相やブラヴァマン内務相の対応は歴代内閣の中でもかなり荒っぽい。この内閣は弱者に冷たいと私はつくづく思う。
ただ、イギリスの財政はきびしい。外国からやって来る移住希望者が余りに多く、難民申請者の滞在費に巨額の税金が使われている。アメリカに追随し、政府が積極的に行なって来たウクライナ支援も先が見えない。ウクライナからイギリスに逃れて来た人々に空き部屋を提供していた民間の人々からも「そろそろ出て行って欲しい」という声が聞こえて来る。国民が物価高に苦しんでいる現在、イギリス社会では総じて弱者を思いやる余裕が失われつつある。皆、自分たちの生活のことで一杯なのだ。路上生活者のテントを排除する法案もそうした機運から生まれた可能性がある。スナク首相もブラヴァマン内務相も、こうした政策が有権者から一定の支持を得られると考えているのだろう(内務相は今週、解任された)。
野党が言うように、ホームレスの急増は不景気と家賃高騰のせいである。家賃高騰は公的賃貸住宅の建設が需要に追い付かないせいである。そうした根本的な原因を無視して対症療法的な政策を打ち出しても事態は一向に好転しない。
政府も国民もこの数年、EU離脱やコロナ禍やウクライナ危機でとても疲れている。イスラエルとハマスの戦争もどこまで拡大するか見当がつかない。お互いに何となく自己防衛的になっているのではなかろうか。次の総選挙はそうした状況の中で行なわれる。
しかし、悲観的な考え方にとらわれ過ぎてもいけない。確かに見通しのきかない時代だが、若い世代を中心に、これからイギリスはどのような国を目指すべきか、前向きな議論も聞きたいものである。
週刊ジャーニー No.1317(2023年11月16日)掲載

在英三十年のエッセイスト。商社や銀行勤務を経て、現在は執筆に専念。酒、旅、そして何より犬を愛する。