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◆◆◆ 《第538回》 ◆◆◆
IWC脱退

昨年末、日本政府はIWC(国際捕鯨委員会)を脱退する意向を固め、関係国に通告した。三ヵ月前に開かれた総会で、日本が提案した商業捕鯨の再開が否決されただけでなく、IWCが「鯨の保護」を目的にする組織に変わったことがその理由である。正式な脱退は今年六月頃になるが、それ以降は商業捕鯨を再開し、自国の領海とEEZ(排他的経済水域)でIWCが規制の対象にしているミンククジラ、イワシクジラ、ニタリクジラを捕獲する。
報道によれば、脱退をめぐって外務省と水産庁との間で対立があったらしい。良好な国際関係を重視する外務省は東京オリンピック・パラリンピックや大阪万博などの行事を控え、脱退を先送りしたかったようだ。これに対して水産庁は「IWCに留まる意味がない」と強硬に主張した。その後押しをしたのは自民党の捕鯨議員連盟だった。
自民党の二階幹事長の選挙区である和歌山県太地町では今も沿岸捕鯨がさかんである。地元の漁業組合にとって、IWCの規制を受けず、自由に鯨を捕獲することは長年の悲願だった。太地町の町長はIWC脱退を歓迎し、「二階幹事長は我々から見れば神様みたいなもの。懸命な努力で地元の声を首相官邸に伝えてくれた」と喜んでいる。
しかし、これは本当に喜ぶべきことなのか。ゴンドウクジラなどの小型鯨はIWCの規制対象になっていないので、IWCに加盟していても沿岸捕鯨は続けられる。一方、IWCから脱退して自国の領海内でミンククジラやイワシクジラを捕獲しようとしても、大型鯨は国連の海洋法条約で国際機関を通じた管理が義務づけられているから、勝手に捕獲すれば反捕鯨国からICJ(国際司法裁判所)に訴えられる恐れがある。場合によっては沿岸捕鯨そのものに影響が及びかねない。
ICJの裁判では日本は過去に痛い目に遭っている。南氷洋での調査捕鯨をオーストラリアに訴えられ、二〇一四年にICJから「国際捕鯨取締条約違反」との判決を受けた。日本は「科学的なデータを提出すれば裁判に勝てる」と見込んでいたが、実際は完敗だった。
ICJの判決を受けた日本は一年だけ調査捕鯨を自粛したが、その後再開した。昨年六月、イギリスのBBCは「日本は二〇一七年十一月から一八年三月までの期間に、南氷洋で三三三頭のクロミンククジラを捕獲した。そのうち一二二頭は妊娠中のメス鯨で、一一四頭は幼体(子供)の鯨だった」と伝えた。このような報道が日本人の国際的イメージを如何に傷つけているか、水産庁の役人は考えたことがあるのだろうか。

IWCからの脱退で日本は南氷洋における調査捕鯨を完全に停止することになるが、漁場が自国の領海やEEZに変わっても、大型鯨の捕獲に対する批判がおさまるとは思えない。それは国際メディアの反応を見れば明らかだ。日本がIWCを脱退することはBBCがトップニュースで伝えたほか、タイムズやガーディアンなどの有力新聞も相次いで記事を掲載した。その論調から窺えるのは日本に対する強い憤りである。イギリスのマイケル・ゴーヴ環境大臣もツイッターで「日本にはとても失望した。我が国は商業捕鯨に反対し、これからも海の哺乳類の安全と保存のために戦っていく」と述べている。
日本人の鯨肉の年間消費量は一人平均わずか三〇グラム程度である。鯨肉を全く口にしない人もいる。しかし国際社会はそのように見ていない。私の周りには「日本人は日常的に鯨やイルカの肉を食べている」と思い込んでいるイギリス人が大勢いる。こうした誤解を解くのは容易ではない。
憲法学者の水島朝穂・早大教授はIWCからの脱退について、「国際機関への加盟は憲法七三条によって国会の承認を必要とする。その趣旨からすれば、脱退も国際関係の重大な変更であり、国会での議論抜きではありえない」とコメントした。
確かに国際協調主義を基本とする日本がIWCから脱退するのは重大な方針の変更である。そこまでして商業捕鯨に執着する必要があるのか。そうした議論も世論調査も行なわず、与党の政治家と水産庁だけで拙速に脱退を決めたことを私は奇異に感じる。「日本の意見が通らない」という理由で脱退するのなら、自分勝手な理屈を振り回してTPPやパリ協定から離脱したトランプ大統領のやり方と何ら変わらない。
東京オリンピック・パラリンピックや大阪万博を成功させるためには諸外国の協力が欠かせない。
その大事な時期に国際機関のIWCを脱退するのは無謀であり、必ず後日に禍根を残すことになるだろう。今からでも遅くない。脱退は取り消すべきである。

週刊ジャーニー No.1068(2019年1月10日)掲載

くろだいぬひこ
在英三十年のエッセイスト。商社や銀行勤務を経て、現在は執筆に専念。酒、旅、そして何より犬を愛する。