生き残りをかけたシャンパーニュ

 

 一見、順風満帆かにみえたシャンパン産業だったが、ヨーロッパ大陸の交通の要所でもあるシャンパーニュは常に隣国の欲しがるところであったため、普仏戦争、第一次世界大戦、第二次大戦と敵国の激しい攻撃を受け、受難の時代が続いた。
普仏戦争ではナポレオン3世の降伏と同時にランスが占領され、何万本というシャンパンが押収され、販売量は激減。第一次大戦ではドイツの絶え間ない砲撃、毒ガス攻撃のため、ぶどう畑が壊滅的な被害を負った。それでも、シャンパーニュの人口が半減する中、ぶどう摘みは命がけで行われたという。1891年には「マドリッド協定」(虚偽または誤認を生じさせる原産地表示の防止に関する国際条約)が結ばれ、シャンパーニュ産の発泡性ワインのみが「シャンパン」という呼称を使うことが許されることになったものの、紛い物シャンパンが出回り、不正横行はひどくなるいっぽうだった。
1919年にマドリッド協定を強化する原産地呼称法が成立、35年の原産地呼称管理法(AOC法)で、作られる地域やぶどうの品種、栽培や製造方法、アルコール度数など、厳しい規定が定められることになった。ちなみに日本は1953年にマドリッド協定を批准したことにより、1907年から発売されていたアサヒ飲料製造の炭酸飲料「三ツ矢シャンパンサイダー」に横やりが入り、68年に「三ツ矢サイダー」と改称されている。同様に、当時ノンアルコール炭酸飲料として定着し、多くの中小飲料会社が生産していた「ソフトシャンパン」も「シャンメリー」と改められた。
シャンパンに関する国際的な規定が整う中、第二次世界大戦が勃発、まもなく降伏してしまったフランスは、領土の半分をナチスドイツに占領され、毎週35万本ものシャンパンをドイツ軍のために供給するという理不尽な要求をつきつけられた。すべてのボトルには「ドイツ軍用」のスタンプを押すことが義務付けられ、この時期のシャンパン・ハウスはドイツ軍専属と化した。しかし、不作の1940年に35万本も上納するなど不可能であった。ぶどう栽培農家とシャンパン・ハウスは結束し、シャンパーニュ委員会(CIVC)を立ち上げた。これはドイツ軍の不当な要求に抗議し、労働者の権利を守る協同組合であったが、同時に重要なレジスタンス網でもあった。彼らは、ドイツ軍が大量のシャンパンを注文する際に、決まってその送付先に進駐することを読み取り、ドイツ軍の動向を逐一、英国諜報機関に伝達するなどしていた。
この委員会の代表者となったのが当時、モエ&シャンドン社長を務めていたロベール・ジャン・ド・ヴォギュエ伯爵だった。が、1943年にはドイツの国家保安本部に疑いを持たれ、モエ&シャンドンの経営陣のほとんどが強制収容所に入れられ、ヴォギュエ伯は死刑判決を受けてしまう。しかしこの時も、シャンパーニュは見事な結束力を見せた。シャンパーニュ全土で大規模なストライキが起きたのである。この片田舎に鎮圧軍を向ける余裕のなかったドイツ軍は結局譲歩し、全シャンパン・ハウスに重い罰金が科せられたものの、ヴォギュエ伯の死刑が執行されることはなく、終戦を迎えた。
その後のシャンパンの成功は推して知るべしである。映画「007」シリーズやオードリー・ヘップバーン主演の映画にキー・アイテムとして使われたり、マリリン・モンローやフランク・シナトラがシャンパン愛好家を名のったりし、シャンパンは瞬く間に大衆の憧れの的となったのである。
もともとは出来損ないのワインであるシャンパンが世界的に成功した裏には、天候上不利な土地柄をものともせず、戦乱に翻弄されながらも他国や時代のニーズに応えて柔軟に対応してきた、生産者や職人たちの辛苦がある。それは商魂というよりもシャンパーニュ人としての誇りによって支えられてきたものだ。
キリスト教とワインの長い関係を持つフランスだからこそ、名だたるワインの名産地をライバルに持ち、常にヨーロッパの要所であったシャンパーニュだからこそ、生まれたサクセス・ストーリーだといえる。そしてそのストーリーに登場する高貴な王侯貴族や勇ましい軍人たちがこの上ない広告塔となったわけだ。
シャンパンの発泡は偶然の産物だったかもしれないが、その栄華は勝ち取るべくして得られたものだったように思う。泡が喜ばれるなどとは思いもよらなかったドン・ペリニヨンも、現在のシャンパン人気には目を細めることだろう。

 

シャンパンができるまで
ボトルを少しずつ回転させ澱を口に溜めるルミアージュの作業を描いた版画。1889年作第1次発酵 ----- 果実に含まれる糖分をアルコール転換させる
アッサンブラージュ ----- ①でできたベースワインで、様々な畑のものや違う品種、異なる年に作られたもの(ノン・ヴィンテージに限る)を調合する
ティラージュ ----- 酵母とその発酵を促進するための糖分を加える
瓶内2次発酵 ----- 瓶詰めされ、一定に温度の保たれた貯蔵室で寝かせられ、発酵により二酸化炭素が発生、瓶内に閉じ込められる。
熟成 ----- ノンヴィンテージで15ヵ月以上、ヴィンテージもので3年以上寝かせる。発酵を終えた酵母は澱(沈殿物)となり、その澱を寝かせることによって、酵母の自己分解によってできた旨み(アミノ酸)がワインの中に溶け込んでゆく。
ルミアージュ ----- ピュピトル板と呼ばれる台に差し込み、約1ヵ月半~2ヵ月かけて、瓶を毎日8分の1ずつ回転させながら、傾斜の角度を水平から徐々に倒立した状態にさせる。これにより、澱が瓶の口の部分に溜まっていく。手作業によるルミアージュの場合、ベテラン職人が1日2~5万本も瓶をまわすという。現在はコンピューター制御によりルミアージュを行っているところも多い。
デゴルジュマン ----- 口の部分を氷点下20度に冷却し、栓を抜いて瞬間的に凍った澱を気圧の力で抜く方法。
ドサージュ ----- ⑦で目減りした分をワインと砂糖溶液の混合液(リキュール)で補充すること。この時のリキュールの分量によって甘口レベルが決まる。
⑨ コルク栓をしてラベルが貼られ、いよいよ出荷!

 

シャンパンのDos and Don'ts
東京タワーで行われた「クリスマス・イルミネーション2010」の点灯式で、シャンパンタワーにシャンパンを注ぐ仲村トオルと小西真奈美=2010年11月3日、東京都港区 ● シャンパンは移動が嫌い。買ってきたら飲むまで2週間程度寝かせることが大事。貯蔵の際は10~13℃くらいに保たれるのが理想。
● 7~9℃くらいで飲むのが理想的、4~5℃に冷やしておくとグラスに注いだときにちょうど飲み頃になる。キンキンに冷やすのはタブー。
● 注ぐときは3回に分けて。グラスの口にボトルがつかないようにすること。
● F1の表彰台でもない限り、大音量とともにコルクを飛ばし、泡を放出するのははしたないので止めよう。物を壊したり、人に怪我をさせたりせずに上品に栓を抜くコツは、コルクをしっかりと押さえ、コルクではなく、ボトルの底の部分をゆっくりまわすこと。まわしているうちにボトルから炭酸ガスが逃げ出そうとしているのを感じるはず。その力をボトルとコルクを両側から押さえることで溜めておき、静かに解放してやると「ポンッ」と軽やかな音が立つ。
● ボトルは開けたら飲みきってしまうのがベターだが、半分以上残ってしまった場合はストッパーをして適温に冷やしておけばまた飲むことができる。
● シャンパングラスが背が高く細いのは、香りを保ち、美しく立ちのぼる泡立ちを見て楽しむため。シャンパンを美味しく飲むことのできる、専用のグラスを用意しよう。。