

▲写真:セントラル線ガンツ・ヒル駅構内
さながら地下のデザイン博物館!
ロンドン地下鉄を彩るアート
しかし、ひとたびその目を、駅を彩るアートとデザインに向けてみると全く違った風景が見えてくる。それぞれの駅が異なる個性を持ち、新しい発見に満ちている。いつしか全駅制覇してみたいとも思わせる、デザインの魅力。今週号では、駅に降り立つのが楽しみになるロンドン地下鉄アート案内をお届けしたい。
●サバイバー●取材・執筆・写真/ホートン秋穂・本誌編集部
パブリック・アートの目覚め
「どんな場所であれ、命あるところに芸術は存在する」1917年にフランク・ピック(Frank Pick)が漏らした言葉だ。ピックは芸術家ではなく、33年に発足した現在のロンドン交通局の前身となる組織、ロンドン旅客輸送委員会(LPTB)の常務だった人物。パブリック・アートとデザインの重要性を深く理解し、駅の設計や字体の統一、路線図の改良を断行するなど積極的にデザイン・プロジェクトを進めた人物として知られる。今日、私たちが目にするロンドン地下鉄駅の高い芸術性は彼の力によるものが大きい。
シカゴからの新しい風
馬車や路面電車との競争も激しかったため、各社ともに運賃の値引きなどで優位に立ち、利用客の獲得を狙った。
しかし、決して安くない運営コストをまかないつつ、収益性の高い郊外への延伸を目指すにあたり、資金繰りは非効率的で困難を伴った。
そこに登場したのが、米国人投資家チャールズ・ヤーキス(Charles Yerkes)である。シカゴでの路面鉄道ビジネスで富を得た後、ロンドンの地下鉄事業に関心を示し、1900~02年にかけて次々と路線を買収。02年にはそれらを傘下に収めたロンドン地下鉄電気鉄道会社を創立する。この合併は地下鉄の電力化推進と駅舎デザインの統一に大きく貢献した。
03年には建築家レスリー・グリーン(Leslie Green)が採用され、現在のピカデリー線、ベーカールー線、ノーザン線にあたる路線で、4年のあいだに50駅の駅舎をデザインした。駅舎はオックス・ブラッド・カラーと呼ばれる赤いテラコッタタイルで覆われた鉄筋構造で、上階に半円状の窓を持ち、駅舎上階に商業施設を追設することを考慮し、平面の屋根で統一。内部には各駅で異なる美しい模様のタイルを施し、ひとめでグリーン設計の駅だと分かる造りになっている。
しかし、グリーンはあまりの短期間で数多くの駅のデザインと設計監督をこなさなければならない仕事のプレッシャーと激務からか結核を患い、33歳という若さでこの世を去ることになる。まだまだやりたいことが山のようにあっただろう。その早い死を多くの人が悼んだ。
「地下の鉄道」のブランド作り
ヤーキスが新風を吹き込んだかと思われたロンドン地下鉄電気鉄道会社だったが、開業当初から経営危機に見舞われた。莫大な借入金の利子の支払いが経営を圧迫し、乗客数も依然と伸び悩んでいたのである。経営の見直しから1907年にジェネラル・マネージャーに就任したアルバート・スタンレー(Albert Stanley)が傘下に入っていない路線も含め、すべてのロンドンの地下鉄路線を「アンダーグラウンド(The Underground)」のブランド名でまとめるとともに、予約システムや統一運賃の導入を決定。収益の改善を図ったという。
08年には赤い丸と青い横帯を組み合わせた図案が考案される。その青い横帯内に駅名や『UNDERGROUND』と白抜きで書かれた統一ロゴマークの「ラウンデル(The Roundel)」の登場である。現在も私たちが目にするこのロゴマークは、経営不振からの脱却を目指した産物だったのだ。
スタンレーの右腕としてデザインに大きく貢献したのが、13年にコマーシャル・マネージャーとなった、先述のフランク・ピックだ。
良いものは使いやすく機能的なものであるべきだというデザイン信念を持ち、「駅名の表示などを覚えやすく認識しやすくすること、そして環境に良く馴染むもの」という依頼のもとに、エドワード・ジョンストン(Edward Johnston)に書体作成を任せた。ジョンストンによる書体『ジョンストン・サンズ』はいくたびかの改良が重ねられたものの、今日でも見ることができる。
また、統一書体の制定だけでなく、それまでは大きさもばらばらで駅構内の至る所に貼り出された広告ポスターのサイズ規格や枚数を統一したほか、乗客が駅名を見やすいようにしたのもピックのアイディアだったという。
20年代以降には郊外への路線の拡張とともに駅舎のデザイン計画にもピックは深く関わる。建築家チャールズ・ホールデン(Charles Holden)を採用し、モダニズム建築による駅舎が30年代、主にピカデリー線の北東エリアで数多く生まれた。広いコンコースで切符売り場の混雑を緩和し、乗客が電車にすぐに乗れるよう、エスカレーターも導入された。
33年には、地下鉄をはじめバスや路面電車をすべて統括する公共機関として創設されたロンドン旅客輸送委員会(LPTB)で、スタンレーは会長に、ピックは常務に就任。地下鉄路線図の改良など様々なプロジェクトにより、統一性を保ちながら、地下鉄デザインは順調な発展を遂げていく。
「統一」から「個性」へ
戦後には人口膨張に伴う交通量の増加を受けて、ヴィクトリア線(68年)、ジュビリー線(79年)が新しく開通し、ピカデリー線も、ヒースロー空港までの延伸が実現(77年)。70年代末以降は、エドゥアルド・パオロッツィによるトテナム・コート・ロード駅のモザイク壁アートや、デヴィッド・ジェントルマンのチャリング・クロス駅にみられる木版アートなど統一性よりも各駅が「唯一無二」の存在になるようなアート・プロジェクトが新しい潮流となった。スタンレーやピックたちが意識した「統一」の中に、斬新なアクセントが加えられたのだった。
開業してから150年あまり。
ロンドンの地下鉄は今も進化を続けているが、これまでに築かれた「財産」をふり返る試みも行われている。2016年7月には地下鉄のアートを巡るガイドマップが発行され、市内中心部の駅では無料で受け取ることができる。フランク・ピックが礎を築いた「誰もが毎日楽しめるアート」の精神は脈々と受け継がれ、様々なスタイルや色でロンドンの地下鉄駅を彩り、乗客の目を楽しませてくれる。いつも利用する地下鉄の駅にも、今度、ゆっくりと目を向けてみてはいかがだろうか。

おすすめ地下鉄駅 15選
じっくり鑑賞したいおすすめの地下鉄駅を15つ独占ピックアップ!
ベーカー・ストリート駅
Baker Street
ゾーン1
1863年の開通当時の面影をそのまま残したハマースミス・シティ線、サークル線ホームは必見。蒸気機関車が通ったというだけある高い天井と幅広い線路、重厚な煉瓦の壁に圧倒される。
一方、ベーカー・ストリートといえばこの人、名探偵シャーロック・ホームズ。ベーカールー線のホームや通路ではホームズを象ったデザインのタイル壁画に出会うことができる。また、中央切符売り場にある「Ticket Office」、「Luncheon」や「WH Smith & Sons」と書かれた昔の標識やメトロポリタン鉄道時代の紋章など、隠された秘宝のように駅のあちこちにちりばめられた、古いものを発見するのもこの駅の楽しみ方といえる。
トテナム・コート・ロード駅
Tottenham Court Road
ゾーン1
1900年開業だが幾多もの改築、改良工事を経たため、当時の面影はほとんど残されていない。79年にロンドン交通局の依頼で、7年かけて制作、86年に完成したエドゥアルド・パオロッツィによるカラフルなモザイク壁画がこの駅の見どころだ。都会の日常を描いたおよそ1000平方メートルに及ぶ巨大なモザイクアートは、大英博物館のコレクションや映画『ブレード・ランナー』、ジョージ・オーウェルの小説『1984』、ファーストフードなど様々なものに着想を得ているといわれる。またノーザン線ホームにある壁画は、同線の黒色を基調により薄い色調のデザインであるのに対し、セントラル線は同線の赤色を基調にし、鮮やかで明るいものになっている。
ホロウェー・ロード駅
Holloway Road
ゾーン2
1906年に建てられた駅でレスリー・グリーンによる設計。グリーンのデザインの特徴といえる赤いテラコッタタイルの外壁を備えた駅舎やホームのタイル模様、草木をかたどった深緑のタイルで飾られたチケット売り場窓口がエレガントで美しい。歴史的建造物として「グレードII」に指定されている。周辺にはサッカーチーム、アーセナルのホームグラウンドがあり、荒くれた労働者階級が集う粗野なイメージのエリアだけに、その中で静かにたたずむ駅の優美な雰囲気とのコントラストが面白い。
チャリング・クロス駅
Charing Cross
ゾーン1
まずはノーザン線ホーム一面に展開される、デヴィッド・ジェントルマンによる木版の原画を転写した壁画アートをじっくりと鑑賞したい。13世紀イングランド国王エドワード1世の妻、エリナー・オブ・カスティルの記念碑が置かれた場所、当時のチャリング村(現在のチャリング・クロス)の様子を100メートルにわたる壁画で表している。
一方、ベーカールー線ホームではシェイクスピア、ヘンリー8世の肖像画やレオナルド・ダヴィンチ、ボッティチェリの絵画の一部など、至近距離にあるナショナル・ギャラリーやナショナル・ポートレート・ギャラリー所蔵の優れた作品がホームの壁を華やかに飾っている。
ピカデリー・サーカス駅
Piccadilly Circus
ゾーン1
1906年開業当時はレスリー・グリーンの建築だったといわれる駅舎は、29年には改築のために閉鎖され、80年代に取り壊されるに至った。現在目にする、ぐるりと回る大円形状のコンコースはチャールズ・ホールデンの設計によるもの(1928年)。ガンツ・ヒル駅同様、地上には駅舎がない数少ない駅の一つだ。ベーカールー線の茶色、ピカデリー線の濃青色を組み合わせたタイルワークに注目して両方のホームを歩いてほしい。またピカデリー・サーカス広場のシンボル、エロスの像のタイルがどこにあるか探してみるのも楽しい(プラットホームとは限らない点、ご留意を)。
レイトンストーン駅
Leytonstone
ゾーン3
映画監督アルフレッド・ヒッチコックが生まれ育った場所としても知られる、東ロンドンのレイトンストーン。生誕100周年を記念して制作されたヒッチコック作品の有名なシーンをモチーフとしたモザイクアートが、駅舎入口から改札へと向かう通路沿いにずらりと並ぶ(写真は『サイコ』の1場面より)。いくつ分かるか試してみては?
オックスフォード・サーカス駅
Oxford Circus
ゾーン1
1900年にセントラル・ロンドン鉄道(現在のセントラル線)の駅として、1906年にはベーカー・ストリート・アンド・ウォータールー鉄道の駅が同じ場所に別々に開業。前者はハリー・ベル・メジャーズ、後者はレスリー・グリーンによる設計とデザインが異なる2つの駅舎の外壁が今でも一部残る。 現在は駅のコンコースにあり、もともとはヴィクトリア線のホームにあったのがドイツ人グラフィック・デザイナー、ハンス・ウンガーのタイルアート=写真左。円を意味する「circle」とオックスフォード・サーカスの「circus」をかけあわせ、同駅に乗り入れる3つの路線の色をクロスで表現している。84年からヴィクトリア線には、複雑に路線が入り乱れ、都会のジャングルに迷いこむ人間をパロディ化した「蛇梯子」のタイル=同右=がこれに代わり設置されている。
ボンド・ストリート駅
Bond Street
ゾーン1
1909年創業の高級デパート、セルフリッジズの最寄り駅であり、そのほかの大手デパートや、高級小売店が軒を並べるロンドン随一のショッピング街にあることからか、ジュビリー線のホームのタイルはプレゼントボックスをモチーフとしている。駅の外壁はチャールズ・ホールデンの設計によるものだったが、80年代に取り壊されており、現在はその一部が駅の東側に遺構として痕跡をとどめている。
ホルボーン駅
Holborn
ゾーン1
大英博物館の最寄り駅である当駅のホームは、エジプト考古学の発見品やヒエログリフ、古代石版画など大英博物館の所蔵コレクションがモノクロの写真で飾られている。注目してほしいのはギリシャ建築物風の柱の写真。3Dのように浮き出て見える工夫がなされている。
ガンツ・ヒル駅
Gants Hill
ゾーン4
チャールズ・ホールデンによる設計。ホールデンが同時期に設計監督を務めていたロシアのモスクワ地下鉄を参考にした、シンプルながら力強いモダニズム建築のコンコースが特徴的。1930年代に工事が始まったものの、第二次世界大戦中は工事は休止、防空壕として利用されたという。円形交差点の下にあり、地上にまったく駅舎がない点もユニーク。
キングズ・クロス・セント・パンクラス駅
King’s Cross St. Pancras
ゾーン1
ヴィクトリア線のタイルに注目。王様の冠を十字(クロス)にしたモチーフは、キングズ・クロスの駅名の語呂遊びをデザイン化したもの。なお、乗り入れる路線が多い割にはデザイン的に見るものが少ないのが意外。むしろ地上の鉄道駅の方が建築デザインとして一見の価値がある。
ヴィクトリア駅
Victoria
ゾーン1
ヴィクトリア線のホームを彩るタイルのモチーフ、こちらは駅名そのまま、ヴィクトリア女王の横顔のシルエットがデザインされている。英国人画家エドワード・ボーデンの作品。
ウェストミンスター駅 / カナリー・ワーフ駅
Westminster / Canary Wharf
近未来的な美しさを備える駅
ウェストミンスター駅の改札からジュビリー線のホームへと続く空間は、巨大なコンクリートの円柱と梁が十字に組まれ、奥深い地底まで複雑に走るステンレス製の長いエレベーターは映画のセットで登場する宇宙船の内部のような趣だ。建築家マイケル・ホプキンスによる設計で1999年に完成し、2001年には王立英国建築協会(RIBA)賞を受賞。
同じく、現代的な建築が印象的なカナリー・ワーフ駅(ジュビリー線)は、広いコンコースに4台並列して走る長いエスカレーターを経て、巨大な半楕円状の窓を仰ぎ見ながら出口へと向かうデザインになっている。そして、窓の外には金融街の高層ビルの姿が映し出される。天井が低く閉塞感を感じる地下鉄駅も多い中、この2駅は広々としており、荘厳かつ近未来的な美を感じさせる。
チェシャム駅
Chesham
ロンドン地下鉄とは思えない! 牧歌的ムードいっぱいの駅
メトロポリタン駅の終着駅チェシャムは地下鉄で行けるロンドン市内中心から最も遠い駅である(チャリング・クロス駅から北西に40キロメートル離れている)。1889年開業当初の小さな駅舎=写真左=や信号扱所=同右下、貯水槽=同右上=は歴史的建造物「グレードII」に指定されている。1つしかない地上ホームには緑があふれ、カントリーサイドの長閑な雰囲気が満ちる。ホームにある煉瓦造りの貯水槽は蒸気機関車の水の補給に用いられたもの。また、信号扱所は今年、修復工事が完了した。
ニュー・ジョンストン書体を造りだした日本人、河野英一氏
ロンドン地下鉄の表示やパンフレット、マップに使われている専用書体「ニュー・ジョンストン」=写真左下=の生みの親が日本人だということをご存知だろうか。目に飛び込んでくるような、くっきりとした書体。この文字は1979年、それまで使われていたジョンストン・フォントを英国在住のグラフィック・デザイナー、河野英一(こうの・えいいち)氏が全面的にリニューアルしたものだ。1916年にエドワード・ジョンストンが生みだした書体は後の書体に多大な影響を及ぼす画期的なものだった。しかし書体は主に駅名表示=同左上=を目的としたため、文字幅が広く、また、ボールド書体(太字)には小文字がないなど、パンフレットや時刻表には不向きだった。1年半かけて制作された河野氏の「ニュー・ジョンストン」書体だが、デザインにおいて同氏が気を使ったのは、意外にも自分のオリジナリティを抑えることだったという。「必要なのは足りない部分を補うこと。人が気づかないように変わっているのが一番いいんです」と、河野氏。イタリック体などを含めて8パターン、1000文字近くが手書きで仕上げられた。「ニュー・ジョンストン」は30年以上、駅名表示から小さなパンフレットに至るまで、愛着をもって使われ続けている。
なお、コベント・ガーデンにある「ロンドン交通博物館」に、「designology」と名づけられた、新しい展示スペースが完成した。この中に、河野氏と「ニュー・ジョンストン」を紹介するコーナーがあるので、機会をつくってぜひ訪れてみていただきたい。
London Transport Museum
Covent Garden Piazza, London WC2E 7BB
Tel: 020 7379 6344
www.ltmuseum.co.uk
鉄道技師が生んだ画期的な地下鉄路線図
地下鉄での移動には欠かせない、おなじみの地下鉄路線図。乗換駅が一目でわかる、この明快な路線図は1931年、地下鉄の従業員だったハリー・ベックにより考案された。それ以前の、地理上の距離を正確に反映した路線図は、利用者にとっては非常に使いづらいものだった。地図とは実際の地理的距離に基づいて作られるべきものだ、という常識を打ち破ったのが、このベックの路線図だ。ベックは地下鉄利用者にとって重要なのは駅と駅の距離などではなく、目的の駅までどう乗り継いで到達するかだと考えた。彼は地理的距離を無視し、駅を等間隔に配置。乗換駅を強調して表示するとともに、路線には水平、垂直、斜め45度の線のみを使った地図を作製した。電気回路図にも似たこの地図、ベックが日常的に電気回路を扱う技師だったことからも納得がいく。その後、改良を重ねられた現在の路線図にもベックの地図は受け継がれており、オリジナル・デザインのコピーは、彼の地元の駅であるフィンチリー・セントラル駅の南行きホームに展示されている。
地下鉄全270駅に存在する「迷路(Labyrinth)」を探せ!
近頃、地下鉄駅でこの不思議な迷路のようなものを見かけたことはないだろうか? 一つ一つすべて異なるデザインの「迷路」が、地下鉄全270駅のどこかに展示されている。 2013年、地下鉄開業150周年を記念して、ロンドン交通局はターナー賞の受賞歴もある気鋭のアーティスト、マーク・ワリンガーにアート制作を依頼。各迷路には番号が振られ、その順番は、2009年にギネス・ブック地下鉄最短踏破記録が樹立されたときのルートに基づいているという。ロンドン地下鉄を一つの総体としてとらえ、そこにある長い歴史とデザインを詩的に結び付けた作品となるよう願って制作された。ちなみに「1/270」は、チェシャム駅にある=写真。 次回、地下鉄駅に降り立つ時はこの迷路を探してみては?