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◆◇◆ テムズ河のほとりに居城を構える王家 ◆◇◆

 

 請われて英国に来たものの、ハノーヴァー朝1代目、2代目の王の人気は芳しくなかった。英国民も議会も彼らを「よそ者」と見なしたからだった。しかし、英国生まれのジョージ3世(在位1760~1820)の代になり、ようやく国民の支持を得ることに成功。同王の在位中、英国は植民地戦争に敗れ、アメリカ合衆国の独立を許したほか、王自身、晩年に一時正気を失い、息子が「プリンス・リージェント」として摂政政治を行うなど、波乱に満ちていたとはいえ、在位59年を記録した。来年には、エリザベス女王に追いつかれることになると見られているが、今のところは、これをしのぐのはヴィクトリア女王(在位1837~1901)の64年という記録のみ。また、放蕩息子として悪名高かった「プリンス・リージェント」こと、後のジョージ4世(在位1820~30)は、ロンドンのリージェント・パークやリージェント・ストリート、ブライトンのロイヤル・パビリオンといった大建築プロジェクトに湯水のごとく税金を使い、激しく非難されながらも、後世に誇るべき遺産を築いた。
 ところが、こうして、ハノーヴァー朝が英国になじんできたと思われた矢先、再び問題が起こる。
 


ヴィクトリア女王(右から4人目)、アルバート公(左から3人目)夫妻は子宝に恵まれた。9人の子供は、それぞれヨーロッパの王家筋に嫁ぐなどし、大英帝国のさらなる発展に一役も二役もかった。
 ジョージ4世、その跡を継いだウィリアム4世(在位1830~37)を始め、ジョージ3世の子供、および孫が次々に亡くなり、王位はジョージ3世の四男の娘、ヴィクトリアに引き継がれる展開になったのだ。
 ハノーヴァー選帝侯家では、女性の跡継ぎを認めておらず、ハノーヴァー朝を名乗ることが許されなくなる。
 1837年、18歳の若さで国家元首となったヴィクトリアは1840年、ドイツ中部のザクセン=コーブルク&ゴータ(Saxe-Coburg & Gotha)公国の君主の家系出身であるアルバートと結婚。ヴィクトリアは王室の名を、ザクセン=コーブルク&ゴータ朝とすることを決めた。正式には、ヴィクトリアの息子、エドワード7世の代からこの長い名前を名乗ることになるのだが、次の代であるジョージ5世(在位1910~36)の御世に、また別の問題が浮上。ヴィクトリアの夫、アルバート(1819~61)が42歳という働き盛りの年齢で腸チフスで亡くなったことも含め、ザクセン=コーブルク&ゴータ朝は、英国史とあまり縁がなかったようである。
 「別の問題」とは、第一次世界大戦だった。ドイツを主軸とする中央同盟国と、英、仏、露、伊などからなる連合国が衝突。ヨーロッパを主戦場とした、人類史上初の「世界大戦」で、大きな傷跡が残った。ジョージ5世は「敵国」のドイツ風の名前、ザクセン=コーブルク&ゴータを、英国風の「ウィンザー朝」へと改称する。同王は、既に城の名として浸透していたことから「ウィンザー」を選んだとされており、かくして、テムズ河のほとりにそびえる城の所在地と同じ名の王家が生まれるに至ったのである。
 


昨年11月16日に行われた、婚約発表の模様。ケイト・ミドルトンの左手薬指に輝くサファイアの指輪は、ウィリアム王子の母、故ダイアナ元妃のもの。一躍話題となり、この婚約発表後、世界の至るところでこれと似た指輪が発売され、大いに売れた。(写真提供: PA / Kirsty Wigglesworth)
 1917年の改称から94年。
 ウィンザー朝が歩んできた道も決して平坦ではなかったが(14ページ参照)、エリザベス2世のもと、一応の落ち着きを見せている。
 息子のチャールズ皇太子は既に還暦を越え、まもなく30歳になる孫のウィリアム王子に、王位を直接譲ってはどうか、という声も聞かれる。
 故ダイアナ元妃との離婚の原因ともなった、カミラ夫人(本人も離婚歴あり)と再婚したことにより、チャールズ皇太子はみずから大きな問題を抱えることになったからだ。というのも、英国国教会は君主に、離婚歴のある人物との結婚を事実上認めておらず、エリザベス2世の伯父にあたるエドワード8世が、離婚歴のあるウォリス・シンプソン夫人との結婚を選んで退位したことは、国民に大きな衝撃を与えた。
 このチャールズ皇太子の将来のみならず、エリザベス女王を悩ます頭痛のたねが複数ある。アンドリュー王子の別れた妻、ヨーク公夫人サラは相変わらず借金にまみれ、それにまつわるスキャンダルが続く。その夫のアンドリュー王子も「貿易大使」としての職権を乱用したとして、大きな批判をあびたばかりだ。
 それだけに、ウィリアム王子がきたる4月29日、ケイトことキャサリン・ミドルトンと結婚式を挙げることは、ウィンザー朝にとって、久々の明るい話題といえる。
 いつかは国王夫妻となるウィリアム王子とケイト。この若い2人が玉座に就く頃、世界情勢は、英国は、そして王室そのものはどうなっているだろう。
 誰も予想することは叶わないが、せめて平和であることを祈りたい。