死後の楽園、エーリュシオン

 不衛生で気味悪い場所として見られていた墓地は、『庭園』『アート』と呼ばれるほどの画期的な大転換を遂げた。この時代の建築家や造園家らの功績は、都市に美しい霊園を誕生させたのみならず、市民にとっての憩いの場をもたらしたことにもあったと言えるだろう。彼らが生み出そうとしたのは、牧歌的で平穏な世界が広がる古代ギリシャの理想郷アルカディア。彼の地を思い描き、シンプルながらも風光明媚な景観を探求した。同時に、ギリシャ神話に登場する死後の楽園「エーリュシオン」の創造を志して建てられた霊園も数多くあった。神に愛された者が死後に住むことを許されるという楽園は、温暖な気候に恵まれ、植物の豊かな芳香が広がる、幸福の地とされた場所―。こうしたイメージは、コレラやチフスなどの伝染病がたびたび街を襲い、自分や家族の身にいつ死が訪れるとも知れない戦々恐々とした時代のなかで、心の救いと平安に寄与したことは想像に難くない。



ケンザル・グリーン・セメタリーを散策する人々。奥にはイングランド国教会用の礼拝堂が見える。
© Friends of Kensal Green Cemetery 2014

 

 現代では「死」に関する話題はできれば避けたいトピックスと言えるだろう。しかし、ヴィクトリア朝時代において、死は悲しむべきことではないというキリスト教の考えを背景に、人々は永遠の魂に強い信念を抱き、死を受け入れた。そして霊園を頻繁に訪れては、気の向くままに散策して時間を過ごした。遺族や故人の友人らが頻繁に顔を合わせる場を提供したのも霊園である。ガイドブックが執筆され、それを手に人々が散策することも珍しいことではなかった。冒頭で紹介したハイゲート・セメタリーにある石門を前に、当時の人は天国への入り口を見ていたのかもしれない。静かで、落ち着いた雰囲気は訪問者の心を静め、瞑想的な助言を与える存在へと昇華していった。

 

衰退と保全、その果てに

 20世紀になると、霊園はかつての輝きを失ってしまう。豪華な墓石装飾に対する熱意は損なわれていたし、家系の断絶、引っ越しなどの理由から、人々の足は霊園から遠のいていた。また埋葬区画の飽和により、霊園会社の採算が取れなくなったことも衰退の要因として大きい。散策を楽しむ人でにぎわい、手入れの行き届いていた霊園は、管理がおぼつかなくなり、墓は自然のままに生い茂る草木に埋もれ、荒れ果てていく場所が続出した。
ただ、興味深いことに、地元住民の強い反対を押し切って建設された霊園でも、荒廃した姿を前に、住民らが救済に乗り出す姿も見られるようになった。ハイゲート・セメタリーもそのひとつで、1975年以降、チャリティ団体「フレンズ・オブ・ハイゲート・セメタリー」によって、墓地の保護や管理、修復が行われている。取材班が参加したガイド・ツアーも同団体のボランティア・メンバーがガイド役となって、催行されているものだ。
霊園を歩くと、墓石や記念碑、霊廟の数々からかつての繁栄と荒廃の歴史をうかがい知ることができる。墓石などがすえられた芝地にも樹木が根を張り、地面が盛り上がるのに合わせてゆがんだ記念碑群や、ダメージを受けた石碑の数々が見て取れる。
しかしながら、故人への哀悼の意を込めて建てられ、風雪に耐えて留まる石碑は、祈りを伝えるかのように独特の輝きを放っている。そして墓石に刻まれた、死者を悼む言葉の数々は、心に響き、時にユニークで、深い癒しと安らぎを与えてくれる。ヴィクトリア朝時代の「死者の楽園」は、現代もなお人の心にそっと寄り添っている。そんな魅力を秘めた場所であると言えるだろう。