誤解が後押し? 霊園建設

 コレラといえば、代表的な経口感染症のひとつ。汚染された水や食べ物の摂取により感染することが広く知られている。ただ、この常識は疫学研究の進んだ現代でのみ通用するもの。初めてコレラがロンドンを襲った頃は、感染経路が特定されていなかった。
治療法や原因を探るべく研究が進められるなかで、学者らが問題視したのは「空気」だった。あらゆる病気は空気中のある特質によって引き起こされるという考えが広まっており、下水溝からのガスや煙が濃霧と一緒になって、健康状態を損ねていると考えられていた。「悪気病原説」なるこの考えがささやかれるとともに、墓地も悪しき存在としてやり玉にあがる。
墓地へと非難の矛先が向けられた理由を知るには、ロンドンの埋葬を取り巻く環境にもう少し触れておく必要があるだろう。英国での埋葬法といえば、現在では火葬が約7割を占めるとされるものの、当時は土葬が主流。しかも1830年頃までは埋葬方法も満足に確立されていなかったようだ。 死体をぎゅうぎゅうに押し込んで埋め立てた浅い墓穴や疫病死者用の埋葬場などが街に点在。埋葬場からの臭気は、空気を汚染するものとされていた。30年代後半の話ではあるが、墓掘人夫の男2人が、墓場で作業中に死亡したという事故の記録が残っている。正確な死因が何であるかは不明だが、当時は埋葬場からの有害な臭気によって中毒症を起こしたものと語られた。市民の間で、墓地はさらなる死を呼ぶ、忌み嫌われる場所として認識されるのも無理はなかった。
こうした状況の中で、墓地からの臭気がコレラの原因のひとつであるという『誤解』が流布したというわけである。この風説はのちに否定されたものの、コレラの流行と、公衆衛生の必要性の高まりは、社会を動かすのに十分な力を持っていた。広くて安全な墓地の新設が急務となり、墓地を運営する株式会社を設立する法案が議会を通過。1833年、ロンドン初の大規模民間霊園、「ケンザル・グリーン・セメタリー」の完成へと漕ぎつけたのだった。以降、10年のうちに、ウェスト・ノーウッド(1836年)、ハイゲート(1839年)、アブニー・パーク(1840年)、ナンヘッド(1840年)、ブロンプトン(1840年)、タワー・ハムレッツ(1841年)が、民間企業主導のもとに完成した。

 

ビジネスとして成立した霊園建設

 ところで、運営が民間企業によって始められたのは、ある意味において幸運だったと言えるだろう。なぜなら社会的背景とビジネスの需要がうまく作用し、見事な発展を遂げたからである。
永続的に広く市民に利用されるという墓地の性質上、起業家らにとってはビジネスのうまみがあったことは推して知るべし。景気の良し悪しにかかわらず、人は死に、埋葬場所が必要になるためだ。とはいえ、不衛生とレッテルが貼られた時代のなかで、左団扇では利益が上がらないのも事実。霊園会社にとって、高まる需要に応えるだけでなく、顧客をつかむため、また投資家を満足させるための魅力的な環境作りが課題となった。
奇しくも時は建築が盛んに行われたヴィクトリア朝時代。建築家らが墓地改革に乗り出し、自らが霊園会社を興すケースも見られたほか、「セメタリー・デザイナー」なる肩書きを持つ建築家も登場した。



ケンザル・グリーン・セメタリーの中心にあるイングランド国教会用の礼拝堂。
地下にはカタコンベ(共同墓地)を備える。© Friends of Kensal Green Cemetery 2014

 

重要なカギとなったのは、定着していたおぞましいイメージを拭うような「景観」だ。1804年にパリにオープンしていた大規模な「ペール・ラシェーズ墓地」が景観を重視した設計で成功を収めていたことも多大な影響を与えた。建築家、造園家らの役割は、メインゲートや儀式を執り行う礼拝堂、共同埋葬室、埋葬区画の設計のほか、全体を巡回できるような散策道の配置を主とし、優れたデザインを競い合った。採石場、使われなくなったプレジャー・ガーデン(遊園地)、マナーハウス跡地などの利用は、土地の有効活用の側面でもうまく機能した。
プレジャー・ガーデンさながらの雰囲気を目指す場所も見られるなど、新たにできた霊園は、建築、ランドスケープ・デザイン、社会的需要などの要素が相まった画期的なものとして称賛された。『庭園式墓地(ガーデン・セメタリー)』と呼ばれるこのスタイルは、後の霊園建設のモデルとされたことから、「新しい墓地の形」としての成功を収めたことを物語っている。
1848~49年に再びコレラがロンドンを襲い、死者の数が前回をしのぐ1万4000人超に到達すると、民間任せだった運営は、公共事業として盛んに行われるようになる。霊園新設、墓地を巡る衛生管理のための法整備も進み、カウンシル、地域委員会の管理下で、セント・パンクラス(カムデン)&イズリントン・セメタリー(1854年)、ハムステッド・セメタリー(1876年)などが建設された。1840年代から1900年にかけて、160以上の建設デザイン・コンペが行われた記録が残っており、その活況ぶりがわかるだろう。