コレラ上陸…墓地が足りない!

 「私どもはゴミと汚物の中に住んでいます。地域全体に便所もなければ屑入れもなく、排水設備も水道栓も下水溝もありません」
これはヴィクトリア朝時代の真っ只中、タイムズ紙に寄せられた陳述書の一部である。まばゆい繁栄の陰で、ロンドンは別の顔を露にしていた。貧困者や下層労働者らはゴミだめさながらの場所に暮らし、その一帯はスラムと呼ぶべき様相を呈していた。こうした劣悪な住環境が病気を蔓延させ、死を助長したことは言うまでもない。1820年代、都市部で暮らす人の平均寿命は35歳と概算され、これは伝染病が蔓延した30年代には29歳に縮まる。1800年代前半の死亡率は、14世紀にロンドン市民のおよそ半数を無慈悲に殺したペスト時に次ぐ勢いを記録した。
死者の増加に伴い、埋葬するための墓地がどこも満杯状態となったのは当然だろう。19世紀の英国で衛生改革に尽力していたエドウィン・チャドウィックはこんなレポートを残している。中心部の墓地は気味が悪く、陰鬱な場所である。超満員の埋葬場に死体がさらに殺到し、死体が埋められた場所は街路の高さよりずっと高く盛り上がっている…。 都市の成長とともに混雑を極めたロンドンに、墓地不足の問題が重くのしかかっていた。
とはいえ、墓地不足はそのときに始まった問題ではない。17世紀のロンドン大火、ペストの再流行を経て、建築家のクリストファー・レンらは郊外に大規模な墓地建設の重要性を訴えていたが、提案が聞き入れられることはなかった。それは埋葬地不足がすでに深刻となっていた1830年でも同様で、プリムローズ・ヒルに大規模な「グランド・ナショナル・セメタリー」を建てる計画が持ち上がったものの、実現にはいたらず頓挫。これらの経緯から、政府の対応の鈍さとともに、障害の大きさが伺える。
しかし、1832年にロンドンを襲った出来事が墓地建設の風向きを変えることとなる。
世界各地で猛威を振るっていたコレラがとうとうロンドンに上陸したのだ。諸外国からの情報をあらかじめ得ていた政府も、検疫を強化するなどの対策を講じるが、原因不明の伝染病の流行をむざむざと許すしかなかった。激しい嘔吐、下痢を繰り返して脱水症状に陥り、次第に目がくぼみ、頬がこけ…。罹患すれば2人に1人は命を落とすとされた恐ろしい病を前に、ロンドンはパニック状態に陥った。病の正体は何なのか―。激烈な議論が交わされた。

墓石に描かれたシンボル

墓地を歩いてみると、墓石にさまざまな図像が施されているのを目にすることができる。故人を悼み、安らかな死後を祈って設えられた図像の各々は、一体どんな意味を持つのだろうか。そのほんの一部をご紹介。

空席の椅子
Empty Chair

免れられぬ死を意味する。椅子が小さい場合は、子供の死を意味したと考えられる。

 

握手
Shaking Hands

お別れ、See you soonの意味のほか、深い絆を表すことも。家族の墓に設けられた場合は、希望と再統合の意味も持つ。

 

ヘビ
Snake

尻尾をくわえ、円を形作っているヘビを描いたものが多く、永遠を意味する。

 

トーチ
Torch

不死の意。逆さになっているのは、生命の消滅を意味する。

壊れた柱
Broken Column

免れられぬ死の意。若くして亡くなったことを示す場合もある。写真は、2006年に毒殺されたロシア人アレクサンドル・リトビネンコ氏(当時44歳)の墓=ハイゲート。

 

ツボ
Urn

死を意味する。布に完全に覆われたもの、半分だけ覆われたものなどがある。燃えているツボは、新しい生命を意味。

 

IHS

米ドル記号のように見えるシンボルは、「Iesus Hominum Salvator(人類の救い主イエスJesus the Saviour of Man)」の頭文字を重ねたもの。