繁栄を極めるロンドン

 英国の都市部は、18世紀後半の産業革命を皮切りに、大きく拡大していた。なかでもロンドンの変化は劇的で、続く19世紀には、バッキンガム宮殿が改築されて、絢爛豪華な姿へと形を変えたほか、トラファルガー広場が登場し、市民の新たな憩いのスペースが設けられた。ナショナル・ギャラリーが開館したのもこの時期だ。1837年には18歳の若きヴィクトリアが女王に即位。1851年に世界で初めて開かれたロンドン国際万博で、英国は工業と商業の力を余すことなく見せつけた。翌年にはV&A博物館がオープンし、ロイヤル・アルバート・ホール、セント・パンクラス駅(現インターナショナル駅)などが完成。ロンドンを象徴する施設・建造物の多くが同時期に相次いで誕生したといっても過言ではないだろう。
一方、交通網の飛躍的な発達は、イングランドの各地方、スコットランド、ウェールズから仕事を求める人々をロンドンへと吸い寄せた。1800年には100万人だった人口が、1840年に200万人、1880年になると500万人に達し、倍々に膨れ上がった。こうして集まった人々が、世界最強の帝都を形成する原動力となったのは想像に難くない。栄華を極めたヴィクトリア朝時代の幕開けとともに、ロンドンの街は装いを新たにしていた。だが、ダイナミックな街の発展のかたわらで、これまでに見られなかった問題もすぐそこに忍び寄っていた。

教会墓地(チャーチ ヤード)と霊園(セメタリー)


© Mike Quinn
 墓地と一言にいっても、英国では教会に付属する墓地(チャーチヤード)や、特定の宗教・宗派(たとえば、国教会に属しないプロテスタント、クエーカー教、ユダヤ教など)専用の墓地が存在する。ほかに、戦死者用、疫病死者用の墓地、プライベート埋葬地などもあるが、これらを除くと、宗教・宗派によって埋葬地を異にしている。これに対し、本文中で取り上げた霊園(セメタリー)は、一般的に多宗教に開かれているのが特徴だ。
ヘンリー8世の治世以降、イングランド国教会の教区教会墓地に死者が埋葬されるのが基本だった。ところが、17世紀中頃、宗教に対する締め付けがややゆるまり、非国教徒の存在も暗黙のうちに認められるようになる。これに伴い、教会墓地以外の場所での埋葬が少しずつ始められる(オールド・ストリート駅の近くにあるバンヒル・フィールド=写真=はそのひとつ)。19世紀に入ると都市部では人口が拡大し、墓地の絶対数が足りなくなっていくとともに、イングランド国教徒だけでなく、その他の宗教・宗派を広く受け入れることができる埋葬場が必要となったのだった。こうした流れも霊園の誕生につながっていく。イングランドで初めて特定宗教とは関係のない霊園が完成したのは1819年ノーリッジでのことだった(Rosary Cemetery)。
たいていの霊園では、礼拝堂が複数用意されており、イングランド国教会用とその他として使い分けされている場合もある。また敷地内で、特定の宗派用に区画が設けられているケースも見られる。