動き出した陰謀

 キャサリンを亡くしたトーマス・シーモアの野望は、エリザベスとジェーンに向けられる。彼はエリザベスと婚姻関係を結び、さらに自身が後ろ盾となったジェーンとエドワード6世を娶わせることで、王室の実権を握ろうと画策していた。しかしながら、事態は思わぬ方向へと進む。トーマスが反逆罪で逮捕され、ロンドン塔で処刑されたのである。死刑執行の命を下したのは、兄のサマセット公だった。これで長年の兄弟闘争に終止符が打たれたかと思いきや、この事件は意外な形でサマセット公の足をすくうことになった。「弟殺し」の烙印を捺されたのだ。挽回を図ろうとしたサマセット公は失策を繰り返し、まるでトーマスの呪いであるかのように、破滅への坂道を転がり落ちていく。
そんなサマセット公の凋落を虎視眈々と待ち望んでいたのが、当時のウォーリック伯ジョン・ダドリー。同じく反逆罪でサマセット公を処刑するのに成功したダドリーは、エドワード6世よりノーサンバランド公爵位を賜り、護国卿へと昇進。念願であったイングランドの最高権力者となった。ちなみに、この頃ジェーンの父もサフォーク公爵に叙せられている。
元来病弱であったエドワード6世は、天然痘とはしかを患って以来、健康状態は日々悪化の一途をたどっていた。1553年には悪性の風邪をこじらせて重い肺の病にかかり、床から起き上がれない日も多くなる。「陛下はもう長くないのでは…」。そんな言葉が王宮内で囁かれはじめていた。
これに最も焦ったのが、ジョン・ダドリーである。ヘンリー8世の遺言に従うと、次に王冠を手にするのは王の異母姉メアリー(後のメアリー1世)。 当時のイングランドでは旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)が対立しており、どちらの宗派の王が即位するかで勢力図が一変する可能性があった。頑迷なカトリック教徒であるメアリーは、徹底的にプロテスタントを弾圧するだろう。そうなれば現プロテスタント政権の頂点に立つ自分は良くて宮廷追放、悪ければ断頭台行き。今のうちに、何か手を打っておかなければ…。そんな思いが湧き上がっていたに違いない。そこで目をつけたのがジェーンだ。グレイ家は敬虔なプロテスタント教徒。メアリーとエリザベス、ジェーンの母に続いて第4位の王位継承権を持つジェーンは、とても『魅力的』に思えた。同じプロテスタントとはいえ、エリザベスを懐柔するよりも容易にことが運ぶだろう。ダドリーは壮大な策略を巡らせはじめる。



13歳頃のエドワード6世(右)と、ウォーリック伯ジョン・ダドリー(後のノーサンバランド公爵、左)。

ヘンリー8世の離婚が発端!
カトリックVSプロテスタント

 ヨーロッパにおいて、ローマ教会(ローマ教皇)は皇帝や国王も従わせるほど絶大な権力を持つようになっていったが、16世紀に入る頃になると聖職界の腐敗が深刻化。その現状に疑問を持ち、ローマ教会に異議を唱えたのがドイツの神学者ルターだった。
以降、ヨーロッパ中に「宗教改革」の嵐が吹き荒れ、従来のローマ教皇を中心とする信仰を「カトリック(旧教)」、 ルターが唱えた聖書による信仰を「プロテスタント(新教)」と呼ぶようになった。

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他のヨーロッパ諸国とは異なり、英国では、世継ぎ欲しさに離婚・結婚を繰り返したヘンリー8世が、離婚ができないカトリックと決別し、1534年に英国国教会(プロテスタント)を創立したのが始まり。以後、イングランドの政治は新旧両教の思惑が絡む複雑なものとなり、ジェーンはプロテスタントの旗印とされた。礼拝統一法が制定され、ようやくプロテスタントで国内が統一されるのはエリザベス1世の時代である。