閉ざされた生活

 イングランド中部のレスターシャー。
緑深いチャーンウッドの森に囲まれたブラッドゲート・パークは、13世紀から続く王侯貴族の鹿猟園としてその名を知られており、広大な同地を流れるリン川の岸辺から小高い丘へと続くなだらかな斜面に、グレイ家の邸宅「ブラッドゲート・ハウス」があった。赤レンガで造られたテューダー様式の館は、当時のイングランド王ヘンリー8世が所有するハンプトン・コート宮殿に次ぐ規模を誇っていた。
グレイ家には3人の娘がいた。
1537年に長女ジェーン、1540年に次女キャサリン、1545年には三女メアリーが誕生。父は第3代ドーセット侯爵(後のサフォーク公爵)ヘンリー・グレイ、母はヘンリー8世の妹メアリーと初代サフォーク公爵とのあいだに生まれた娘、フランセス。ヘンリー・グレイの父親はヘンリー8世の異父兄であったため、3姉妹の両親は「はとこ」という関係でもある。どちらの血筋をたどっても王族と深い繋がりがあり、グレイ家は王家にもっとも血縁の近い一族のひとつであった。
両親は、長子であるジェーンをどの姉妹よりも厳格に育て、高度な教育をほどこした。閉ざされた毎日の中で、彼女が見出した心休まるひとときは、書物があふれる館の塔での読書。母や侍女たちの目を盗んで塔内の小さな部屋に足を運んでは、本の世界に没頭したり、窓辺に腰掛け、遠くうねる緑の丘陵や駆け巡る鹿の群れを眺めたりしたという。ラテン語学者でジェーンの家庭教師ロジャー・アスカムが、ジェーンについてこんな記述を残している。

ブラッドゲートを訪れると、グレイ家夫妻は側近を従えて鹿狩りに出かけていたが、ジェーンは1人でプラトンの『ファイドン』をギリシャ語で読んでいた。「狩りに加わらないのですか?」と尋ねると、彼女はこう答えた。
「読書に勝る喜びはありません。両親の前では、立ち居振る舞いは当然のこと、会話でも食事でも刺繍でもダンスでも、何でも完璧にやってのけなければなりません。そうしないと残酷な言葉でののしられ、身体を打たれることもあります。読書や勉学以外は、悲しく恐ろしいことばかりです」


おそらくジェーンにとって、塔で過ごすひとときは「自分」になれる欠くことのできない時間であり、書物の中の世界は、 誰にも止められることなくジェーンが自由に駆け巡ることのできる唯一の空間だったのだろう。



ジェーンの母フランセス(右)と、ナショナル・ポートレート・ギャラリー所蔵のジェーンとされてきた絵(左)。
だが近年の研究で、キャサリン・パーであると訂正された。

つかの間の幸福

 厳しくも単調に過ぎていた日常に、変化が訪れる。
1547年、ヘンリー8世が逝去し、王位はわずか9歳の息子エドワード6世に移った。ヘンリー8世の6番目にして最後の妃、現王太后キャサリン・パーは王宮を去り、ロンドン・チェルシーに宮殿を構える。そして、ジェーンを自らのもとに呼び寄せたのである。当時の上流階級の若い子女たちは、後見人となる身分の高い貴婦人のもとに預けられ、社交や礼儀作法を身につけるのが一般的であった。キャサリンの宮殿には、すでにヘンリー8世の娘エリザベス(後のエリザベス1世)が身を寄せていた。1人で長閑なブラッドゲートを飛び出し、王族に囲まれた華やかなロンドン生活に足を踏み入れることに、ジェーンは期待とともに不安も隠せなかったのではないだろうか。
ロンドンでの新しい暮らしは、意外にも楽しいものとなった。当代一流の教師陣による授業は、学問へのさらなる探究心を呼び起こし、ジェーンはギリシャ語、ラテン語、フランス語のほか、スペイン語やイタリア語の習得にも励んだという。一方で、多種多様なドレスを試着したり、楽士を呼んで演奏会を開いたりするなど、自由を十分に享受した。キャサリンがヘンリー8世の遺児たちを常に気にかけていたことから、ジェーンも同い年で又従兄にあたる王と「有力な花嫁候補」との噂がたつほどに親交を深めていった。
だが、幸福な時間は長くは続かない。
キャサリンは極秘にエドワード6世の伯父トーマス・シーモア(エドワード6世の母である3番目の妃ジェーン・シーモアの兄)と再婚していた。 しかし、野心家のトーマスは「護国卿」の称号で摂政としてエドワード6世の政治を補佐していた兄のサマセット公エドワード・ シーモアとの権力闘争に忙しく、身籠った彼女を顧みないどころか、なんとエリザベスを誘惑したのである。激怒したキャサリンは エリザベスを宮殿から追い出し、ジェーンを連れてグロスターシャーのスードリー城に移った。ところが、出産後にキャサリンは死去。 トーマスは生まれた子が女児であったことに憤慨し、城を去ってしまったため、ジェーンが葬儀を取り仕切ったとされる。このとき彼女は11歳。 ブラッドゲートを発ってから、まだ2年も経っていなかった。

キャサリン・パー エリザベス

教養深く慈愛に満ちたキャサリン・パー(左)と、彼女を母のように慕ったというエリザベス(13歳、右)。