栄華の象徴、ジン・パレス

 良くも悪くも一世を風靡したジンを新たなステージへと向かわせたのは、まもなく始まった産業革命である。社会構造の大きな変化に合わせて、ジンもその装いを新たにすることになる。
1700年に55万人だったロンドンの人口は、1800年に入るとすぐに100万人を突破。50年後には200万人に膨れ上がった。そんな中で、政府は、蒸留酒の取引を自由化し、販売ライセンス取得に掛かる費用を半分以上も減額。酒税も大きく軽減された。だが、ここで政府が懸念したのは、「ジン・クレイズ」の再来である。回避すべく打った策は、蒸留酒ではなくビールを『飲ませる』ことだった。ビールにかけられていた規制は緩められ、街のあちこちには販売店やパブが乱立した。
そんな状況を、ジン酒造家らも黙って見てはいなかった。パブに対抗し、古ぼけて暗くくすんだ雰囲気が定着していた酒屋のイメージを一新させ、ジンの新たな活躍の場として、遥かに贅沢な空間の「ジン・パレス」を登場させたのだった。
ジン・パレスでは、オイル・ランプに代えて新たにもたらされたガス灯が店を明るく照らし、豪華な外観と、これまでにはない大きな板ガラスの窓が人々を迎えた。煌びやかに輝く様は都会の風景に彩りを添え、産業革命の栄華が詰まったジン・パレスのかもし出す雰囲気は、「粗悪品」という印象が強かったジンのイメージ・アップを大いに進めていった。
ジンの変化は、味にも表れていた。ロンドンでは、「ゴードンズGordon’s(1769年)」、「タンカレーTanqueray(1830年)」、「ビーフィーターBeefeater(1863年)」など、現在にまで続くブランドが創業しており、ジンの蒸留は大きなビジネスとなっていた。各社が競って製造する一方で、ジンの質と価格の安定を目指す目的で組合が形成され、違法運営を敢行するような小さな蒸留所は淘汰されつつあった。酒造りに情熱を傾ける酒造家らによってその味と質は日ごとに改善され、蒸留酒は信頼を築きはじめた。
また自由貿易に沸くロンドンに、世界各地から食材が安定して寄せられていたことも、ジンの発展に寄与する。国内で収穫される穀物以外に、アジアからは香辛料やハーブ、地中海からの柑橘類、カリブ海の砂糖などがロンドンに集まってきた。酒造メーカーらは、国内外からもたらされた素材にも視野を広げて、ジンの味を進化させた。こうしてできたものがジン・パレスで提供されるようになる。
上品で良質のジンへの関心の高まりと、それらを心地よい空間で飲むことへの欲求により、ジン・パレスはロンドンで広がりを見せる。次第にジンは、「人を酔わせて現実を忘れさせるための酒」から「社交や娯楽、味わいを楽しむための飲み物」へと脱皮を果たしたのだった。



ジン・パレスは現在パブへと形を変え、ロンドンの各所に残っている。
写真はホルボーンにある「Princess Louise」。住所:208 High Holborn, WC1V 7EP

 

カクテル文化とドライ・ジン

 ジンは19世紀の成功を手に、20世紀の頁をめくる。そしてカクテル隆盛期を迎えることになるのだが、話を進める前に、19世紀当時、どんな味のジンが飲まれていたのかについて触れておきたい。
「ジン・クレイズ」の時期に貧困層で飲まれたのは、劣悪な穀物からも造られるような代物で、その不快な味を隠すために、大量の香辛料などが添加されていたのは前述の通り。上流階級で飲まれるジンも蒸留方法が発達しておらず、蒸留後の雑味を消すためにさまざまな工夫がなされた。しかし19世紀には、熱意あふれる酒造メーカーと、産業革命に鼓舞され、ジンは現在の形へと近づいていく。
香りづけにスモモやブラックカラント(黒すぐり)などを用い、豊富な種類のジンが造られた。以前は高級品だった砂糖が、ヴィクトリア朝時代には一般市民でも手に入るようになったことで、庶民の間では甘くして飲む飲み方が好まれるようになっていた。その流行から、砂糖を加えて造られる「オールド・トム」という名のジンが一時代を築いていた。
またオールド・トムが広く飲まれる傍らで、19世紀後半になると、ほかの飲み物と混ぜ合わせても調和する、甘くない味も好まれるようになる。加えて、1826年にスコットランドの酒造家が、これまでとは異なる蒸留器(連続式蒸留器)を開発したことも大きな影響を与え、以前に比べ、純度が高く雑味のないクリアなジンが造られるようになっていく。こうして誕生したのが、現在に知られるドライ・ジンである。たとえば、1879年にビーフィーターが採用したレシピには、原料として、「Sweet Orange」の皮ではなく、「Bitter Seville Orange」の皮を使うことが記されている。これは当時のトレンドの明らかな表れである。



産業革命以降、ジンの味と質はレベルアップを見せる一方で、
18世紀前半の「ジン・クレイズ」のイメージから、ジンを厳しく批判する動きも見られた。
19世紀の風刺画家ジョージ・クルックシャンクもそのひとりで、
彼の描く絵には、ジンを飲む子供(上絵中央)や、ジン中毒になり自殺を図る少女などが登場した。