輸送船の沈没と捕虜生活行
1802年10月、大使の任期満了を間近に控え、英国での彫刻披露の計画を練っていたエルギンのもとに、一通の手紙が届けられた。胸騒ぎがしたエルギンが恐る恐る封を切ると、ギリシャ南端に浮かぶキティラ島の港付近にある岩に、エルギンが所有する帆船の1隻が衝突し、沈没したことが告げられていた。「なんてことだ!」。エルギンは頭を抱えた。同船には、神殿彫刻が収められた木箱17箱が積まれており、英国へと向かう途中であった。
船はアテネ近郊の港湾都市ピレウスを出港した2日後の深夜、想定外の大嵐に遭遇。乗船していた作業員は脱出して無事であったが、積み荷はすべて沈んでしまったとのことだった。幸いなことに、船は陸からほど近い場所で沈んだため、船内から飛び出た4箱はダイバーによって即引き揚げることができた。しかし、ほかの木箱を引き揚げるには海中で船体のデッキを切り取らねばならず、多大な時間と費用を要することが予想された。貴重な彫刻を海底に眠らせるわけにはいかない…。エルギンは覚悟を決める。この17箱がすべて引き揚げられ、無事に英国に着くのは1812年。アテネを発ってから10年もの歳月が過ぎた後だった。
この日を境に、エルギンの人生は急降下していく。
1803年、3年にわたる大使の任務を終えたエルギンは、次期駐仏大使の座を獲得するためにパリで情報収集や視察を行おうと、無謀にも対立国であるフランスを通り抜ける陸路での帰国を選択する。妻メアリーの反論にも耳を貸さず、船で英国に戻る子供たちを見送った後、マルセイユからパリへと進んだ。その結果、ナポレオン軍による「英国人狩り」に遭遇し、重要捕虜として夫妻は投獄される。命令に従うことを誓う「恭順宣誓」を行い、フランスから出国しないことを条件に解放されたが、各地を転々とする先の見えない生活に耐えねばならなかった。
「略奪者」の汚名と彫刻の売却
移動の多い暮らしの中で、出産と生後間もない我が子の死に直面したメアリーが体調を崩したため、エルギンはナポレオンに手紙を出し、妻の出国許可を得る。帰国したメアリーと英政府の尽力により、1806年、エルギンは6年ぶりに英国の地を踏む。しかしながら、彼を取り巻く状況は一変しており、英政府にとってエルギンはもはや『お荷物』でしかなかった。捕虜となったあげく、他国で恭順宣誓を行った者を外交官として採用するはずもなく、社会的信用は完全に失墜していた。
また、エルギンは多額の負債も抱えていた。ブルームホールの大規模な再建が招いた財政難は、妻の充分すぎる結婚持参金のおかげで凌げたものの、パルテノン神殿の調査や彫刻の輸送、帆船の購入、沈没した積み荷の引き揚げなどに費やした金額は莫大なものだった。
失意のどん底にいるエルギンに、さらなる苦しみが襲いかかる。なんと妻が愛人をつくり、彼のもとを去ってしまったのである。相手はスコットランド貴族で、フランス幽閉中に夫妻の相談役を務めていた人物であった。
驚くべきことに、次々と苦難が押し寄せる中でも、エルギンの「古代ギリシャ彫刻を公開したい」という思いは色褪せなかったようである。いや、この思いが、プライドを打ち砕かれたエルギンを支えていたというべきかもしれない。彼はロンドンで屋敷を手に入れ、彫刻を展示するための建物を庭に建設する。採光用の天窓があるだけのシンプルで薄暗い空間だったが、そこにアテネから持ち帰った彫刻群を並べ、1807年、「エルギン・コレクション」として無料で一般公開した。
エルギン・コレクションは多くの人々の古代ギリシャへの憧憬を煽った。特に、本物のギリシャ美術を間近で見られた芸術家たちは大いに喜んだという。これまで古典として敬われていたのは古代ローマ芸術であり、ローマ時代につくられた複製でしかギリシャ彫刻を知らなかった彼らにとって、夢のような邂逅だったであろうことは容易に想像できる。熱心に写生する画家や彫刻家、学生で、建物内は賑わった。
だが一方で、エルギンを「略奪者」と非難する人々も少なくなく、詩人バイロンは激しく痛罵した。持ち出し行為の正当性を厳しく問われ、また妻との離婚裁判が同時期に行われていたこともあり、面白おかしく記事に書きたてられた。賞賛する声をかき消すほど、批判や中傷の声は大きかったのである。糾弾が激化し続けて止む気配がない上、巨額の負債整理にも迫られたエルギンは、やむなく展示室を閉鎖。大英博物館へのコレクション売却を決めた。
1819年に描かれた、大英博物館のエルギン・マーブル展示室の様子。
来日していた!? 『略奪者』の息子 第8代 エルギン伯爵 |
エルギンが45回目の誕生日を迎えた1811年7月20日、前年に再婚した妻エリザベスが、ロンドンで第一子となる男児を出産。ジェームズと名づけられる。1841年、兄(前妻メアリーとの子供)に次いで父が死去したために爵位を継ぎ、第8代エルギン伯爵となった。 |