廃墟と化した古代神殿
見聞を広めるためのグランド・ツアー(長期旅行)が英国で流行し、上流階級の子息が競ってヨーロッパ大陸へと出かけはじめた18世紀。フランスで優雅なマナーを学んだ後、イタリアで古代ローマやルネサンスの歴史的遺産に触れる…というのがお決まりのパターンであったが、中にはさらなる『古代ロマン』を求め、ギリシャへと足をのばす者もいた。
神学者の家系出身で、のちに画家でありながら考古学関連の文筆家としても知られるようになる、エドワード・ドッドウェルもその一人であった。イタリアやギリシャをめぐる5年がかりの旅に出たエドワードは、1801年、アテネにあるアクロポリスの丘の麓にたどり着き、丘の上にそびえ立つパルテノン神殿を見上げた。
「ようやく、夢にまで見た神殿に来たんだ!」
しかし、期待に胸を膨らませ、足取り軽く丘をのぼった彼の目に飛び込んできたのは、驚くべき光景であった。
神殿の壁沿いや円柱の間には石材が高く積み上げられ、即席の足場が設けられている。そこから梯子を用いて神殿の最上部にのぼったとみられる数人の男たちが、はめ込まれた彫刻を次々と剥ぎ取っているではないか!
2300年もの歳月を生き抜いてきた古代彫刻が無残な姿でロープに巻かれ、地上に下ろされていく情景を目の当たりにし、あまりの衝撃でエドワードの身体は大きく震えた。そして眼前で哀れな廃墟と化していく神殿を茫然と見つめた――。
この『強奪』を命じた人物が、当時英国大使としてトルコに滞在していた第7代エルギン伯爵トーマス・ブルース(Thomas Bruce, 7th Earl of Elgin and 11th Earl of Kincardine)。将来を約束された若きエリート外交官が、なぜ英国内外から非難を浴びせられる「略奪者」に変貌したのだろうか?
アクロポリスの丘には、古代ギリシャ建築を代表する4つの傑作、プロピュライア(前門)、
パルテノン神殿、エレクティオン神殿、アテナ・ニケ神殿がある。
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