歩み寄りを見せた
スペインと英国

 

 英国とスペインの関係は一時悪化したものの、両国の政権の交代などにより、新たな外交が開始された。
マーガレット・サッチャー首相(在任1979~1990)政権下の1980年、国境封鎖の解決策として、スペイン―英国の間で行われたジブラルタルを巡る合意シリーズの最初となる協定が締結される。しかしこれは、互いの解釈の違いから何の変化も得られず、結局、国境再開にいたるまでには、もう少し時間が必要となる。
そんな折り、1981年、チャールズ皇太子と故ダイアナ元妃の新婚旅行の地としてこのジブラルタルが選ばれた。ロイヤル・カップルは住民から温かく迎え入れられ、英国はジブラルタルとの良好な関係を強めるのに成功する。
一方、スペイン国王フアン・カルロス1世はこれに抗議し、ロンドン・セントポール大聖堂での皇太子の結婚式への参列を拒否、両国の応酬は果てしなく続くかに見えた。
膠着状態にあった関係を打開する機運が高まったのは、1982年にスペインが北大西洋条約機構(NATO)に加盟したことにある。
両国間で話し合いがもたれ、第2弾となる協定が結ばれる。ジブラルタルと近隣領土間の物、乗り物、人の自由な往来などを中心とした内容でまとまり、1985年2月、16年の歳月を経て、再びジブラルタル―スペイン間の国境が開かれた。
ようやく国境封鎖が解かれたことで、領土問題にも光が見え始めたように思われた。ところが、この話し合いに、ジブラルタル政府も参加してはいたものの、英国代表団の一部としての立場であり、あくまでスペインと英国の話し合いであったため、ジブラルタル内で強く批判される結果となり、新たな課題が顔をのぞかせていた。

 

 


ジブラルタル市内には免税店が建ち並び、
買い物目当てに多くの観光客が訪れる。
 

 

 

 

共同統治には絶対反対

 

 トニー・ブレア首相(在任1997~2007)の政権下では、大きな変化が見られる。英国側にジブラルタル返還の意思が見られるようになったのだ。軍事費を削減する目的や、EUが組織され、ヨーロッパが平和に向けて協調体制を模索する中で、帝国主義時代の名残を清算し、EU内での主導権確保に専念すべきとの考え方がなされるようになったからというのが理由として挙げられている。
スペイン―英国間の話し合いは、劇的な進展を見せ、2002年にはスペインと英国が共同で統治するということで、大筋での合意に達した。
両国の頭ごなしの共同統治案に反発したのはジブラルタル住民だった。反対運動が盛んに行われ、デモ活動にはおよそ2万4000人が参加したと言われており、人口が3万人であることから、その強い意思が感じとれる。
共同統治の可否を問う住民投票が実施され、結果は1万8176票中、98%にあたる1万7900票が「反対」に投じられ、共同統治案は否決された。
ジブラルタルは、軍事、観光以外に、自由貿易港、租税回避地(タックス・ヘイブン)として金融にも力を入れており、住民らはそれによる繁栄と恩恵を享受し続けることを望んでいる点が最大の理由といわれている。またこの共同統治案について、領有権が完全にスペインとへ移行することを見越しての最初のステップだと考えられていたことから、住民の間では「英国はジブラルタルを見捨てようとしている」という悲しみや怒りの声も上がったという。
これ以降、英政府は、ジブラルタルの民意を無視して領有権移譲の協議をしないことを宣言している。
一方のスペインはジブラルタル住民の権利を手放しに認めているわけではない。英国がこの地を占拠したとき、およそ4000人の原住民のほとんどがこの地を後にしていることから、ジブラルタル住民はほぼ全員が移民であり、権利や憲法を尊重するにも限度があるというのがスペインの主張だ。実際に、英国占拠後の1753年に行われた人口調査によると、英国人434人、ジェノバ人597人、ユダヤ人575人、スペイン人185人、ポルトガル人25人となっており、ほとんどが移民という指摘は的を射ている。しかし300年という年月は、移民から「ネイティブ」へと移行するのに十分の時間で、これがまたこの問題を一層複雑にしていると言えよう。

 


スペインからの抗議を受けながら、2012年6月エドワード王子夫妻がジブラルタルを訪問した。