英国発展のカギを握る
ジブラルタル

 

 スペインの奪還攻撃を交わし続けた、19世紀。産業革命を経て、最盛期を迎えていた英国にとって、地中海の覇権を得るうえで、ジブラルタルは絶対無二の役割を果たすようになる。
まず1805年にジブラルタル海峡の北西約50キロのトラファルガー岬で行われたトラファルガーの海戦で、ネルソン提督率いる英艦隊はジブラルタルを拠点にし、スペイン・フランスの連合艦隊を撃破。艦隊の規模で劣りはしたものの、連合艦隊よりも少ない被害で勝利を収めることとなり、制海権を我がものとした。
1869年のスエズ運河開通後は、アフリカ大陸を回らずに、ヨーロッパとアジアをつなぐ航路の一部としても使われるようになったことから、交通の要衝として、また蒸気船の石炭補給港としての役割は増すばかりだった。
1939年に第2次世界大戦が始まると、ジブラルタルの住民を英国、ジャマイカなどへ避難させることで、英軍は予想されるドイツ軍の攻撃に備えた。前出のトンネルはさらに掘削・拡充され、ジブラルタルは軍事上、英軍が死守すべき要所となった。
ナチス・ドイツによる攻撃への防戦に追われる英軍を、北から攻めるという絶好の機会を与えられたスペイン。しかし、19世紀から20世紀初頭にかけてのスペインといえば、内戦や新大陸の独立運動などの諸問題を抱えていたこともあり、すっかり疲弊していた。虎視眈々とジブラルタル奪還の機会をうかがってはいたものの、大国として君臨する英国を相手にそのチャンスが巡ってくることはなく、第2次世界大戦もきっかけとはならなかった。

 


軍事的役割を果たしたジブラルタル包囲戦トンネル。人力によって掘削されたという。©Scott Wylie

 

 

自治憲法の成立と国境封鎖

 

 再びスペインが奪還に向けて動き出すのは第2次世界大戦後である。
戦後ヨーロッパで唯一のファシズム体制を敷いていたスペインで総統を務めたのは、独裁者フランシスコ・フランコ(Francisco Franco y Bahamonde 1892~1975)=写真左=だ。戦後に国連が組織されたことで、彼はジブラルタルが返還されると楽観視していたようだ。当の英国といえば、軍事的にも貿易港としても重要な役割を担ってきたジブラルタルを手放すはずもなく、返還に向けた準備を始めるどころか、ジブラルタルに立法評議会を設けるなど、住民らによる自治の体系を整えはじめた。
それを耳にしたフランコ総統は、国内メディアを使って痛烈な批判活動を展開する。キャンペーンのなかで英国やジブラルタル住民は憎き人格として描かれた。ところが、政治的にも経済的にも諸外国から孤立し、さらには国連からも排除されるのはスペインのほうだった。
英国では、急逝したジョージ6世の跡を継ぎ、1952年にエリザベス女王が即位していた。女王は、バミューダ諸島、オーストラリア、ウガンダなどの英連邦を訪問するツアーの一環として、初めてジブラルタルを訪れている。街には女王を一目見ようと住民らがかけつけ、盛大な歓迎を受けた。
1955年、スペインがようやく国連に加盟すると、1966年にスペインは正式な返還要求を行い、スペイン―英国間で話し合いがもたれるようになった。
こうした流れの中で、1967年、自治の発展を遂げようとしていたジブラルタル内では、このまま英国領であることを望むか、あるいはスペインへの帰属を望むかという国民投票が行われた。結果は、英領残留希望が1万2138票、スペインへの復帰賛成は44票のみという結果に終わり、フランコ総統の神経を逆なでることとなった。
英国の対応や、ジブラルタル住民の反応に、怒りが最高潮に達したフランコ総統は、ジブラルタル―スペイン間の物流や人の往来に規制をかけていった。
交通、輸出入の制限から始まった制裁は、次第に人の通行禁止へとエスカレートし、1968年5月に陸路国境を封鎖するにいたった。ジブラルタルで働くスペイン人と、通行許可証を得た一部の人のみがかろうじて国境を通過することが可能だったが、ジブラルタル住人が他国へと出るには、飛行機もしくはフェリーを利用するしか手段はなくなった。
スペインと英国の対立が、ジブラルタルに暗い影を落とす一方で、この頃にジブラルタル自治が大きく発展する。1969年に独自の憲法が制定されると、これにより立法議会が誕生。高度な自治政府を持つ都市へと飛躍を遂げた。
ジブラルタルの成長に比例するかのようにフランコ総統の制裁はより厳しくなり、国境は完全に封鎖されることになる。ジブラルタルで働いていたスペイン人およそ5000人の通勤が困難になり、その数はジブラルタルの労働人口の3分の1を占めたという。また、スペインからの食料などの輸出も止められたことから、生活物資が不足したことは想像に難くない。
続いて近郊の港、スペイン・アルヘシラス―ジブラルタル間で運航していたフェリーも停止。スペインとの直接のコミュニケーションとなる電話や電信も切られ、ジブラルタルは陸の孤島と化した。
しかし、領有権を取り戻したい一心でスペインが行った一連の政治活動は、領有権奪還に向けて、プラスに作用するはずもなく、皮肉にも、ジブラルタル住民を味方に引き入れる可能性を自らの手で破壊していく結果となった。
スペイン外交は八方ふさがりとなり、それは1975年にフランコ総統がこの世を去るまで続いた。

サルが去るときは英国が去るとき!?


©Karyn Sig

ジブラルタル名物のひとつとして知られるのがザ・ロックに住むサルの存在。この地にはユニークな伝説があり、「このサルがいなくなったら、英国がジブラルタルから撤退する」と言い伝えられているという。日本語にするとダジャレのようだが、真剣そのもの。第2次世界大戦中、当時のウィンストン・チャーチル首相はサルの保護を命じたというエピソードもあるほど。ただ、そのおサル様、あまりに名物になって人慣れしすぎたせいか、凶暴化していると報じられている。

 

 

 

イングランド・オランダ艦隊がジブラルタルに上陸してから300年たったのを記念し、
ジブラルタル旗とユニオンジャックで飾られた建物(2004年、ジブラルタル)。