スペイン王座をめぐる戦い

 


スペイン継承戦争での海戦のひとつ、ビーゴ湾の海戦。イングランド・オランダ艦隊は勝利するが、戦略拠点を得ることはできず、ジブラルタル占拠へとつながっていく。

 さてこの地が英国領となった経緯へと話を進めたい。
時は17世紀。ヨーロッパでは、イングランド、スペイン、フランス、オランダなど、各国がヨーロッパ、ひいては世界の覇権を得ようと、熾烈な領土争いを繰り広げていた。
16世紀中頃から17世紀前半にかけて「黄金時代」として全盛を極めたスペインは、現在のベルギーにあたる南ネーデルラント(北ネーデルラントは後のオランダ)や南イタリアなどを属領とし、中南米、フィリピン、さらにはアフリカ大陸沿岸などを支配。大帝国を築いていた。しかし17世紀後半、スペイン・ハプスブルク家のカルロス2世(Carlos II  1661~1700)の治下になると、すでに勢力にかげりが見え始める。加えてカルロス2世は生まれながらにして病弱で、同家は存続の危機を迎えていた。
落ち目になっていたとはいえ、それでも国外に多くの領土を持つ大国。「スペインの王位に誰がつくのか―」。ヨーロッパ中から関心が寄せられた。
我先にと名乗りを上げたのが、絶対王政を誇ったフランスの国王ルイ14世(Louis XIV 1638~1715)だ。血気盛んに戦争を行い、勢力を拡大していた同王は、スペイン王家と血縁関係のある自分の孫、アンジュー公フィリップ(のちのフェリペ5世Felipe V 1683~1746)を送り込むことを決めた。
それはスペインにも認められることになるのだが、他国がそれをだまって見守るはずがない。「フィリップが王位につけば、いずれフランスとスペインによる強大な同君連合が築かれる」。そう恐れたイングランド、オーストリアなどは同盟を結んで、同じく血縁関係にあったオーストリア・ハプスブルク家のカール大公(のちのカール6世Karl VI 1685~1740)を対立候補として擁立。1701年にスペイン王座をかけた戦争が勃発した。いわゆるスペイン継承戦争である。

 

地中海の拠点を求めて

 

 反フランス同盟は、イングランド、初代マールバラ公ジョン・チャーチル率いる陸軍を南ネーデルラントへと派遣。地中海へは海軍を派遣し、上陸作戦の拠点を得ることを画策した。のちに世界最強の海軍として力をつけるイングランド海軍にとって、そこには地中海内に半永久的な要塞を得る目論みがあったのかもしれない。スペイン西部の港湾都市カディス、北西部の港湾都市ビーゴでの海戦を経て、1704年7月ジブラルタル占拠に成功。およそ1800人の海軍兵が上陸し、地中海に戦略拠点を構えたのであった。
戦争勃発から10年が過ぎたころから、各国では和平の声が高まり始める。そして1713年に結ばれた講和条約(ユトレヒト条約)で、フィリップはフランス王位継承権を放棄することを条件にスペイン王位継承が認められ、戦争が終わりを迎えた。王座獲得に躍起になったフランスは、晴れて王座を獲得するも、その代償として多くの土地を失う結果となった。カール大公を推したオーストリアは、同国の王が急逝したことでカール大公が王となり、現実問題としてスペイン王位を兼ねることは考えられず、王座をかけたそれまでの争いが無意味なものとなってしまう。
この王座争奪戦で一番いい思いをしたのはイングランドだったようだ。もともと王位に関心を示していなかったイングランドは、フィリップのスペイン王即位を認めたものの、同君連合を阻止することに成功。さらに、国益へとつながるジブラルタルをはじめミノルカ島(1782年にスペインが奪還している)などの海外領土獲得というお土産までついてきたのだ。
ジブラルタルという地は、地中海と大西洋が交わるジブラルタル海峡にあることから、交通の要衝であることは周知の事実。またこの海峡は最も短いところでわずか14キロほどしかなく、岬から海峡を見渡せば、ここを通過する船を監視下におくことができ、軍事的に攻撃することもきわめて容易だ。さらに、ザ・ロックを有する独特の地形は、守備にも適していると考えられていた。先のカディス、ビーゴの海戦で成果が得られず、結果的にこの地を占有するに至ったことが、英国にとって幸運となったのは、のちの歴史が如実に物語っている。
これがスペインが繰り返し返還を求めている領土問題の発端だ。ちょうど300年前のことになる。

 

スペイン継承戦争とブレナム宮殿

 ヨーロッパのみならず、北アメリカ大陸をも舞台にしたスペイン継承戦争で活躍した人物として知られているのが、初代マールバラ公ジョン・チャーチル(John Churchill, 1st Duke of Marlborough, 1650 - 1722)=左の肖像画=だ。アン女王の下で出世を遂げると、反フランス同盟軍の司令官として軍才を発揮。ドイツ・ブレナムの戦いでフランスに大勝利したことで、アン女王から領地を与えられ、のちに宮殿を築くことになった。これが、世界遺産として、また英首相ウィンストン・チャーチルの生家としても知られるブレナム宮殿=写真下=である。


©Magnus Mansks