オランダの発展を支えたもの

 

 16世紀のヨーロッパは大航海時代に先んじたポルトガル、そしてスペインが強大な力を誇った時代であった。この2つの国家はローマ教皇の許可の下、大胆にも世界地図に縦線を引き、これより東はスペインのもの、これより西はポルトガルのものと決定し、その条約に従って世界中で搾取、蹂躙を始めていた。
1588年夏、当時まだ弱小国でしかなかった新教国イングランドの艦隊と、カトリックのスペイン艦隊が英仏海峡で激突(アルマダの海戦)。ヨーロッパ大陸でオランダ軍がイングランド軍を後方支援したこともあり、大方の予想に反してスペイン艦隊の多くが沈んだ。
大敗北を喫したスペインではあったが、この一戦だけをもってスペインというスーパーパワーが一気に衰退したわけではない。むしろ手を広げすぎた植民地の維持費や、ヨーロッパ全土に広まった宗教戦争への介入がスペイン経済をゆるゆると疲弊させた。  
ポルトガル、スペインに夕暮れが迫りつつあった頃、世界のひのき舞台に踊り出てきた新興国がある。しかしそれは「無敵艦隊」を完膚なきまでに打ち破ったイングランドではなく、オランダというこれまたちっぽけな国であった。
ポルトガルという小さな国がヨーロッパの他のどの国にも先駆け、一時的とはいえ強大な力を持つに至ったのは、誰よりも先に大洋に漕ぎ出し、大航海時代の幕をこじ開けたためで、極めて明快だ。
オランダの場合はもう少し事情が複雑だ。
我々日本人が「オランダ」と呼ぶ国は実際にはネーデルラント(英語発音ではネザーランド)という。ネーデルラントとは「低地」という意味だ。ご存知の通り、オランダの国土の一部は海抜よりも低い。16世紀のネーデルラントとは現在のオランダの他、ベルギーの多くを含んだ土地を指した。
1556年にスペインのフェリペ2世がこの土地をハプスブルク家の父王、カール5世から引き継いだあたりから、ネーデルラントに不吉な風が吹き荒れ始める。当時、ネーデルラント最大の都市であったアントウェルペン(アントワープ)は商業・金融業を中心に隆盛を誇っていたが、フェリペ2世は父の教えに反してネーデルラントの貴族たちを軽視、本国スペインの財政難の穴を埋めるため、ネーデルラントに過酷な重税を課した。さらにカトリック教の守護者を自認するフェリペ2世は、ネーデルラントに多かった新教徒を激しく弾圧し始めた。そのため、1568年、スペインからの独立を目指したネーデルラントとの間に独立戦争が勃発する。いわゆる八十年戦争というものである。
ネーデルラント南部はもともとカトリック教徒も多く、早くにスペインの圧力に屈した。これが今のベルギーの一部となる。一方、北部ネーデルラントの人々はスペインに対し徹底抗戦を誓った。アントウェルペンを脱出した商人たちの多くはその拠点をアムステルダムに移し、そこにスペインやポルトガルで迫害を受けていたユダヤ人や、フランスからの新教徒(ユグノー)たちなども逃げ込み、アムステルダムは人口が急増した。人口増加だけにとどまらず、豪商や資金豊かなユダヤ人が大量流入したおかげで、交易や金融業が大いに発展し、いつしかヨーロッパ随一の商業・金融の中心都市へと変貌を遂げていく。
スペインの無敵艦隊が来襲した折にはイングランドに協力してこれを撃滅。本来は邪魔者を撃退した勝者のイングランドが世界に打って出てもおかしくなかったが、財政難を理由にモタモタしているうちに資金力豊かな北部ネーデルラントが世界に打って出てきたという構図である。ちなみにオランダという名称は北部ネーデルラントの一州、ホラント州に由来するものだが、16世紀中頃にポルトガル人が日本にその名を伝え、日本ではそのまま国名として定着してしまった。また、ここ英国においてもホランドと表記される場合があるが、あくまでも俗称である。ただし本欄ではこれより以降、北部ネーデルラントを馴染みの深いオランダと表記することにする。
 

 

 
新教国イングランドにお灸をすえるため「無敵艦隊」を派遣するも、
返り討ちにあったスペインのフェリペ2世(上)と「アルマダの海戦」の様子(左)

 

 オランダが眩しいほどに繁栄したのにはもう一つ、理由があった。造船技術の飛躍的な発達である。ではなぜオランダで造船技術が発展を遂げたのか。
風車だ。
風車は英語では「Windmill」といい、その名の通り、元々は小麦を挽く動力として、オランダでも13世紀あたりから使われていた。オランダではこれに改良を加え、流れ込んできた海水を汲み上げて海に戻すための排水機として利用し始めた。さらに250馬力とも言われる風車が生み出す豊富なパワーは、造船に必要な材木の切り出しやセメントの攪拌などにも応用された。また、風車の羽根に張られる帆布は、そのまま風帆船に使えるものであったため改善が重ねられ、品質の飛躍的な向上をみた。一見のどかに回る風車に見えるが、実はオランダの大発展を陰で支えていたのである。
人間、金さえあれば気持ちまで大きくなるのは今も昔も変わらない。オランダは、かつて地獄の門番のように恐れていたポルトガルがほぼ独占している、現インドネシアにある香料諸島を目指すことになった。そして1596年、金のなる木を求めて遂にオランダの船団が香料諸島にやってくる。