妥協のポーツマス

 

  ロシアは敗北を認めようとしなかった。大国としてプライドが許さなかったし、さらなる戦力を保有していたロシアにとって戦い続けることは可能であった。
 一方、日本は今すぐにでも終戦、講和への駒を進めないと、戦力は限界の域に達していたから、小村は米ルーズベルト大統領に講和勧告を働きかけた。日本に好意的な世論も手伝って、なんとか講和に持ち込んだ。
 勝利の歓喜に包まれた国民は、万歳三唱でポーツマスへと向かう小村を見送った。しかし、この会議が一筋縄でいかないことを知っていた小村は「帰ってくるときは人気はまるで反対でしょう」と桂首相に告げ、同じく日本代表であった高平小五郎駐米公使も「万歳の代わりに馬鹿野郎で済めばいいところですね」と皮肉を述べたとされる。
 交渉内容は、韓国の全権をロシアに認めさせること、ロシアに満州から撤退させること、旅順・大連・東清鉄道支線を割譲させること、賠償金15億円を支払わせることなどであった。最も意見が割れたのは樺太の割譲と賠償金問題で、ロシアのウィッテ前蔵相は意見の割れるたびに、「そんな条件に服するぐらいなら、また一戦を交える」とまくし立てた。ここが小村の腕の見せどころであった。日本はロシアに戦力の限界を絶対に知られてはいけない。兵力が尽きてしまえばどんなに有能な軍でも敗北をみる。負ければ今よりひどい条件を飲まされることになる。
 小村は「日本にもまだまだ続戦の覚悟はある」ことを主張しつつ、人民の平和、日本の要求の正当性などを説いて決着をつけようとねばった。
 しかし、交渉は難航した。あまりにロシアが引かないので、小村はウィッテ前蔵相に「あなたはまるで戦勝国のような要求をつきつけている」とこぼしたと知られる。



日露両国全権初会見。
右より、高平小五郎(全権委員)、小村寿太郎、ルーズベルト米国大統領、
ローゼン(ロシア側副使)、ウィッテ(ロシア側全権) ©日南市総務課

 

 結果、日本は続戦を避けるために妥協を強いられた。
 「日本国天皇は文明と人道を尊重し、平和のために妥協の精神を以って、賠償要求を撤回し樺太の分割を承認せられ、会議成立を命ぜられたり」―。小村は苦し紛れに戦勝国の誇りを見せ付けるべく発表した。これにアメリカ、英国のメディアは「寛大な戦勝国」と賞賛し、小村にも英米から多くの祝電が寄せられたという。
 一方、軍事力が限界に達していることを知らない日本国民は怒りと落胆に包まれた。条約破棄を叫び、群衆が官邸や新聞社を襲撃するというデモが繰り広げられ、1000人以上の負傷者を出すほどであった。小村には「速やかに処決して罪を上下に謝せよ」との電文も届いた。
 帰国の際、新橋駅から馬車に乗ろうとする小村を、桂首相と山本五十六海相が挟んで隠すように歩いたという。桂と山本はこの時、万が一、小村に銃弾が向けられたら共に倒れる覚悟でいたとされる。