◆◇◆ 100年越しのプロジェクト ◆◇◆
1881年、イースターの日曜日、「自然史博物館 British Museum (Natural History)」がついに開館した。しかしブルームズベリーからサウスケンジントンへ膨大量の標本や資料を移動させるには、さらに2年の月日を要したという。貴重なコレクションが全て無事に新館に収められたことを確認したオーウェンは、84年、部門長の職を辞した。
グラッドストーンはといえば、ウォーターハウスがフォークスから博物館建築を引き継ぎ新博物館の設計に取り組んでいた68年に首相に初就任している。74年から6年間は野党勢力のリーダーの座に甘んじたものの、80年には首相に返り咲いている。つまり自然史博物館が完成した時にはグラッドストーンは二期目の首相職にあったことになる。ダウニング街に届いた完成の知らせは、ことのほかグラッドストーンを喜ばせたに違いない。
一方、ウォーターハウスはロンドンにはそう長く住まなかった。自然史博物館の建設が始まって数年後にはロンドンを離れレディングに移住。そこでも市役所や学校などいくつもの重要な建築プロジェクトに携わった。また、建築家として活動するにとどまらず、多才ぶりを発揮。絵を描いたり家具を作ったりもしていたという。91年からは息子のポールとパートナーシップを組み、72歳になる1902年まで現役で建築設計を続けた。
自然史博物館は、移転後も「British Museum (Natural History)」と呼ばれたことからも分かるように、長らく大英博物館の一部門であり。文献等の略記としては「B.M.(N.H.)」が使われ、標本番号は、「BMNHXXXX」と記された。ようやく大英博物館法により独自の評議委員会を持つ独立博物館となったのは1963年のこと。オーウェンがグラッドストーンをブルームズベリーに招いてから、約100年がたっていた。
92年の博物館・美術館法により、それまで通称として使われていた「Natural History Museum」を公式名称とすることが決まった。オーウェン、グラッドストーン、ウォーターハウスと言う3人の男たちの情熱、信念、才能の結晶ともいえる自然史博物館は、また新たな歴史を刻み始めたといっていいだろう。
2011年の現在も連日、まさに世界中から多くの人々が訪れる。3人の男たちが望んだように、自然史博物館は一般人には知的な驚きを、専門家には研究開発の機会を、これからも与え続けていくことだろう。
こんなにある!
ウォーターハウスの『作品』たち
売れっ子建築家、アルフレッド・ウォーターハウスは、マンチェスター、ロンドン、レディング時代を合わせると200近くの建物の設計及び改築を手掛けている。
その中から代表的なものを紹介しよう。 建築物
Cambridge Union Building ケンブリッジ大学学生会館
Foxhill House フォックスヒルハウス(レディング)
Reading Schoolレディング・スクール
Manchester Town Hall, Clock Tower マンチェスター市役所、時計台=写真上
The Chapel, Eaton Hall イートンホールの教会(チェシャー)
Natural History Museum 自然史博物館(ロンドン)
Pembroke Collegeケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジ
Seaman痴 Orphan Institutionシーマン孤児院(リヴァプール)
Reading Municipal Building レディング自治体
The Chapel, Reading School レディング学校の教会
Balliol College オックスフォード大学ベリオール・カレッジ
Girton College ケンブリッジ大学ガートン・カレッジ
Oxford Union オックスフォード大学学生組合
Owen Collegeオーウェン・カレッジ(現マンチェスター大学)
Prudential Assurance, Liverpool プルデンシャル保険会社(リヴァプール)
Victoria Building ヴィクトリア会館(現リヴァプール大学)
Prudential Assurance, Nottinghamプルデンシャル保険会社(ノッティンガム)
Former University College Hospital元ユニバシティーカレッジ病院(ロンドン)
Prudential Assurance, Holbornプルデンシャル保険会社(ロンドン)=写真下