雨の多い英国での最強ビジネス

 


常にアーノルドのよき理解者である、姉ソーニャと夫ユレク(撮影年不明)。
 アーノルドは、当初希望していた大企業ではなく。チェコ生まれのユダヤ人、アナトール・ドリンが北ロンドンで経営する、小さな工具機械設計会社「ヘルメス・マシーン・ツール・カンパニー」に勤めることになった。
ドリンは、ナチス・ドイツの脅威をいち早く察して1937年に英国に逃れてきた人物だった。
アーノルドは、先輩社員たちにこう紹介された。
「今日からうちで働くことになった、ハリーだ」
ハリー? 一瞬、訂正しようかと思ったアーノルドだったが、それを飲み込み、ハリーとして仕事にまい進することにした。アーノルドは23歳になっていた。
様々な機械工具を設計する同社で、新参者として奮闘する日々が始まった。途中、中古車屋にだまされて借金を負い、ネコ用のエサに牛脂をまぜた「特別食」で空腹をしのぐといった経験もしたが、ニワトリの羽をむしる際に効率をあげる便利な機械を考案するなど、職場では徐々に実績を積んでいった。信頼を得るようになり、一時は、娘の婿候補に、とまでドリンに望まれたが、アーノルドは、彼女が自分より4歳年上であることを理由に丁重に断った。
小さい会社ながらもやりがいのある毎日を送っていたアーノルドだったが、再び予期せぬ形で転機が訪れる。
1955年4月。フランクフルトに出張したドリンが、機上で帰らぬ人となったのである。心臓発作だった。ドリンを父親のように思うまでになっていたアーノルドだけに、この悲報がもたらした衝撃は大きかった。また、ドリンには確固たる後継者がおらず、彼なき後、同社の存続はきわめて難しいように思えた。次の道を探らねばならない。
アーノルドは、人の下で働くのはもうよそう、自分でビジネスを始めたい、と考えるようになっていたものの、戦争により経済面で受けた打撃からまだ立ち直りきれていない英国で、24歳の若造に融資をしてくれる銀行などあろうはずもなかった。
思い悩むばかりのアーノルドに救いの手を差し伸べてくれたのは、姉のソーニャだった。招待を受け、一家が住むストックホルムへとアーノルドは飛んだ。
ソーニャと夫ユレクは、スウェーデンの首都で小規模ながらも傘工場を立ち上げていた。もともと、ポーランドでユレクの実家は傘ビジネスに携わっていた。2人がこの新天地で、なじみのあるビジネスを始めたのは自然な流れだったといえる。
「これからどうするつもり?」
ソーニャに尋ねられても、アーノルドは「分からない」と肩をすくめるしかなかった。
「傘はどう? 英国は雨ばかりなんでしょう?」
最初は、「まさか、傘ビジネスなんて」と笑っていたアーノルドだったが、彼の心の中で次第にある考えがふくらんでいった。
それから3日後。朝食の席でアーノルドはユレクに切り出した。
「傘ビジネスのことなんだけど…。興味が出てきたんだ」
「そうくるだろうと思っていたよ。アレック」
アーノルドは近い人々から「アレック」または「アルシュ」と呼ばれていた。
「まだ確証はないけど。でも、その前に傘ビジネスの全てを知りたいんだ」
「傘ビジネスを学ぶのに、ここ以上に最適なところがあると思うかい」
ユレクは自信に満ちた笑顔を見せた。


移住先のスウェーデンのストックホルムで傘ビジネスを成功させた、
ユレク・イグラ(Jurek Igra)とソーニャ(Sonja)。

 

東ロンドンのピーナツ工場の隣で創業

 

 それからの3週間、アーノルドは毎日ユレクについて傘工場に通った。アーノルドは、商売を始めるには、まずその商品を真に理解する必要があると考えていた。ユレクに弟子入りしてのこの3週間、アーノルドは夢中で傘について学んだ。
やがてロンドンに戻る日が来た。
ソーニャは、アーノルドに300ポンド(現在でいう5200ポンド相当)を手渡した。また、ユレクは、傘作りに必要な資材の買い付け先としてイタリアやドイツの業者の連絡先をくれた。アーノルドはこの2人の心強い味方に感謝するばかりだった。
ロンドンでは、ユレクのいとこが東ロンドンに格安物件を探してくれていた。ピーナツの加工工場とユダヤ人相手の精肉店にはさまれた、みすぼらしい建物で、トイレも外にしかなかったが、グランド・フロアは事務所と受付に、ファースト・フロアは作業場、セカンド・フロアは倉庫にと使える十分な広さがあり、そして何より週5ポンド(約90ポンド)と借り賃がきわめて安かった。コマーシャル・ロードの469A番地で「A. Fulton Company Limited」は創業したのである。
1955年10月31日、アーノルドが英国の地を踏んでから約9年半がたっていた。
アーノルドはオルドゲート・イースト駅からバスで工場まで通った。従業員は、お針子歴12年という英国人女性、デイヴィス夫人ひとり。当時、英国では年間300万の傘が買われ、74の傘会社がひしめきあっていた。アーノルドの会社は75番目の末席からスタートしたのだ。
何か新しい製品を作らねばならない。アーノルドは、当時、傘の骨が8本というスタイルが主流だったところに目をつけた。また、地元の小売店で自社製品を売ってもらった結果、女性にはカラフルな傘のほうが人気があることも分かった。
アーノルドは骨が10本という、丈夫で、かつ従来の商品とは違って見える傘を作ることにした。カラフルな生地を選び、持ち手もおしゃれに見えるものにし、本体とおそろいの生地で作ったカバーをつけた。しかし、それまでのように周囲の小売店に置いてもらう程度では大きな発展は望めない。
かつて、工具機械設計会社に勤めていた時に、初めて一人前のエンジニアとして任された、ニワトリの羽をむしる際に効率をあげる機械を考案するにあたり、良い案が浮かばず弱り切っていたアーノルドを救ってくれたセルフリッジズのことが頭に浮かんだ。たまたま訪れたこのデパートで、彼は重要なヒントをつかみ、ニワトリの羽をむしるための機械を無事に完成させることができたのだった。
セルフリッジズに売り込んでみよう。
バイヤーの名前を探し当て、アーノルドは思い切って電話をかけた。
そのバイヤーはパトリック・マッキンタイヤーといった。アーノルドは、彼の傘が他の傘とどんなに違うかを電話口で懸命に説明した。マッキンタイヤーに、「では、サンプルを持って来てください」と言われた時、アーノルドは興奮を抑えることができなかった。
しかし、1回目の面談は散々な結果に終わった。約1時間待たされた後、ようやく部屋に入ってきたマッキンタイヤーは、多忙であることを全身に漂わせていた。
「申し訳ない、フォクストンさん」
「フルトンです」
「すまないが、来週、またきてくれませんか」
翌週、アーノルドは再びセルフリッジズの受付でマッキンタイヤーを待った。
「いやー、本当に申し訳ない、フォクストンさん」
「フルトンです」
「目が回るくらい忙しくてね。来週、出直してもらえませんか」
アーノルドがマッキンタイヤーにサンプルを見せることができたのは、4回目の約束の時だった。その日は金曜日だった。
サンプルを見てマッキンタイヤーは言った。
「確かに英国では見ないスタイルですね。かなり『ヨーロッパ』風だ」
マッキンタイヤーがあまり気に入っていないらしいことを察し、アーノルドは必死で訴えた。
「この傘を作るのに多くの時間とお金をかけたのです」
「それは、見れば分かります」
「売れなければ引き取りますので、少しでも店に置いてもらえないでしょうか」
「そう言われてもねえ、フォクストンさん」
「フルトンです」
アーノルドはさらに食い下がった。しばらく考えてからマッキンタイヤーが口を開いた。
「いいでしょう、2ダースほど預かりましょう」
その場を辞し、セルフリッジズの外に出るや、アーノルドはこぶしを天に向かって突き上げた。とにかく、1歩目を踏み出したのである。