姉の代わりに見初められ「悲運」のはじまり

 一八五三年八月、バイエルン王国ヴィッテルスバッハ家の次女、エリザベート(本名はエリザベート・アマーリエ・オイゲーニエElisabeth Amalie Eugenie von Wittelsbach)は、母ルトヴィカと姉ヘレネとともにオーストリアの温泉郷であり、フランツ・ヨーゼフが夏の別荘を構えたバート・イシュルBad Ischlを訪れた。ルトヴィカと、ルトヴィカの姉であり、フランツ・ヨーゼフの母であるゾフィーが、若き皇帝のためにヘレネとの縁組をお膳立てしたからである。
 つまり、フランツ・ヨーゼフとバイエルンのプリンセス姉妹はいとこ同士だった。ハプスブルク家ではこのような近親婚姻は珍しいことではなく、ゾフィーとルドヴィカにとって、年頃の二人はベストマッチと思えた。しかし、フランツ・ヨーゼフは母と叔母の期待を裏切り、十九歳の気立てのいいヘレネではなく、十六歳の天真爛漫なエリザベートにひと目惚れした上、求婚してしまう。ヘレネの動揺は想像に難くないが、エリザベートもまた、思いがけない展開に大いに戸惑った。英気に溢れた美青年、フランツ・ヨーゼフに見初められたことはこの上ない名誉だが、迫りくる皇妃としての人生は、まだあどけなさの残るエリザベートにとっては不安と恐怖でしかなかった。
 「皇帝のことは慕っています。でも、あの方がわたしのことを想ってくれる、というのがわからないの。こんなに若くて至らない娘なのに。皇帝が幸せになるよう、何でもするつもりよ。でも、ほんとにうまくいくのかしら。ああ、あの方が皇帝でさえなければ…」
 エリザベートは求婚を受け入れた夜、一晩中泣き明かしたという。
 彼女の憂いに反して、フランツ・ヨーゼフは自分好みの若く美しい妻を迎え有頂天になり、オーストリア中が皇妃誕生を祝福し、他国の王族も彼女見たさで公式行事に参列したがるなど、エリザベートはどこに行っても注目の的となった。「エリザベート万歳!」の声に、たとえ憔悴しきっていても笑顔で応えなければならないこと、皇妃という身分をわきまえて親類と会っても抱擁してはいけないこと、政務に追われる皇帝と共に過ごす時間が十分得られないこと―こういった皇妃ゆえの制約や重圧は日に日にエリザベートから笑顔を奪っていった。
 エリザベートの生家であるヴィッテルスバッハ家は、神聖ローマ帝国に皇帝を二人も輩出している名門であるが、芸術家気質で変わり者が多いことでも知られる。御多分にもれず、エリザベートの父親、マクシミリアン公爵もこのタイプで、時に農民の格好をしては、バイオリン片手に酒場や路頭をうろつき、幼少時代のエリザベートは、通行人が投げてくれる銅貨を集めたことさえある。彼は湖のほとりの緑豊かな地に城を構え、子供たちに狩りや乗馬、水泳やボートこぎなどを教え、自然の中で伸び伸びと育てた。自家用のサーカス小屋を建てるほどのサーカス好きで、エリザベートは、この父親に鍛えられ、曲馬なみの馬術をこなすほどの名騎手に成長している。
 父親譲りの自由奔放で活発な気性のエリザベートが、長い伝統を背負った宮廷の堅苦しい儀礼や作法を楽しめるはずもなかった。
 ハプスブルク家の女傑として、若き皇帝の背後で実権を握っていた母后ゾフィーは、そんな「田舎臭い」エリザベートに一流の宮廷作法を仕込もうと目を光らせる。素直で可憐なヘレネであれば、姑の手引きにさぞかし感謝したことだろうが、エリザベートにとってはがんじがらめの「くつわ」をはめられるようなものだった。
 第一子のゾフィー(生後一年で赤痢にかかり死亡)が生まれると、乳児は宮廷の定めに従い、乳母・養育係りに預けられ、エリザベートは我が子と母子らしく過ごすことが許されず、はがゆい思いをした。第三子の皇太子ルドルフにいたっては、立派な宮廷人および軍人に育てようとする母后ゾフィーの干渉がひどく、嫁姑は度々激しい口論を交わすことになる。頼みの綱のフランツ・ヨーゼフはこの頃、イタリア独立戦争に奔走しており、愛妻を気遣う余裕も時間もなかった。
 エリザベートは不眠症、食欲不振、対人恐怖症、肺炎などを患うようになり、半年ほど、大西洋に浮かぶポルトガル領マデイラ島に療養に発たねばならなくなった。宮廷から離れると驚くほど回復したものの、戻るとすぐに悪化してしまったため、今度はイオニア海に浮かぶコルフ島で長期療養した。こうして一年後にウィーンに戻ると、子供たちはすっかりゾフィー色に染まっていた。子供を奪われたように感じたエリザベートは、虚脱感を埋めるように引き続きさすらいの旅を続ける。結果、宮廷生活への興味をすっかり失い、皇妃、母、妻としての責務を放棄するようになっていった。
 この頃のエリザベートの日記には次のように記されている。
「人間を避ければこの世は素晴らしい」
「旅の目的地が重要なのは、その間に道のりがあるから」


エリザベートと家族との貴重な写真。1861年撮影。
後列左端がフランツ・ヨーゼフ1世。
手前左がエリザベートで皇太子ルドルフを抱き、次女ギーゼラが膝元に立っている。
その隣が母后ゾフィー。