悲劇を生んだ『想定外』と人為的ミス

 

 タイタニック号の悲報は、あっという間に世界を駆け巡った。
なかでも船会社の社長が生き残ったということには、非難の声が高まった。イズメイは乗組員とともに懸命に乗客の救助にあたっていたが、最後のボートを下ろす準備が整ったとき、そのボートに飛び込み、九死に一生を得ている。後年、ある証言者によって、イズメイがボートに乗り込む際に他の人を押しのけていたという目撃談も残されている。彼を見る世間の目は厳しく、ブルースという彼の名前をもじって「ブルート(bruteけだもの)」という別名までつけられた。
イズメイはボートの数に関して負い目を感じていた。設計の段階で、合計2886人を収容できる48艘の救命ボートを搭載する案を見せられたが、数分検討しただけでその案を却下していたのである。もしそれだけのボートが設けられていたら、多くの人々の命を救えただけでなく、イズメイ自身の人生も大きく変わっていたことだろう。事故後、彼はすべての職務から引退。糖尿病の合併症により、ロンドンにある自宅でひっそりとその悔恨の生涯を閉じる。享年74。タイタニック号の沈没から25年が経っていた。
スミスはタイタニック号と運命をともにし、62歳で最後の航海を道なかばにして終えた。彼の死後、とくにイズメイとの比較から、きわめて英雄的だと絶賛された一方で、スミスのとった行動を疑問視する声もある。彼は氷山を警戒して進路を少し南方に変更したものの、見張り員には氷山を警戒するようにと命令したのみで、増員を計るなどの対応を怠った。カルパチア号がタイタニック号の救助に向けて猛スピードを上げたとき、船長は見張り員の数を少なくとも7人追加していることからも、スミスの判断ミスが事故の一因となった可能性も否定できない。
さらに、タイタニック号の不運は氷山との接触の仕方にもある。氷山の発見がもっと遅く、むしろ正面からぶつかっていたら、損傷は前方の一部で済んだかもしれないのだ。1879年にも同様の氷山衝突事故があり、そのとき氷山に正面からぶつかったアリゾナ号は、船首から約10メートルにかけて押しつぶされたように破損したものの、死者を出すことなく港まで無事に辿り着いている。
氷山という自然の脅威がもたらしたこの大惨事は、数々の偶然と想定を超えた不運が重なり合った結果だった。もし処女航海が延期されなければ…、氷山の発見があと数秒早いか、もしくは遅ければ…、カリフォルニアン号が無線を切らないでいたら…、沈むまでにもっと時間があれば…。しかし、どれひとつとしてタイタニック号に 味方するものはなかった。



タイタニック号の生還者たちを出迎えるニューヨークの市民。

 奇しくもタイタニック号沈没から100年目の今年1月、イタリアで大型客船の海難事故が起きた。100年前、『不沈』と言われた船が不運に見舞われてあっけなく沈んだように、技術が大きく進歩した現代でも、技術を過信し慢心すれば船は沈み、簡単に人の命が奪われてしまうことを教えた。さらに昨年、日本は「想定外」の規模の大地震に見舞われ、さらに「想定外」のサイズの津波が福島原発を襲う瞬間を目撃した。一体、「想定内」とは何だったのか。
少なくとも私たちは「想定外のことは起こる」ことを知っておかなければならないだろう。そして、その「想定外」を「想定内」にすべく全力を挙げて備えるともに、人為的ミスをいかに回避するか、その方策を練るのに人智を尽くすことが今を生きる私たちに与えられた課題なのではなかろうか。タイタニック号の悲劇や、東日本大震災のような非情な天災を振り返るとき、無念のうちにこの世を去った多くの人々が、声なき声をもってそう訴えているように思えてならない。



タイタニック号の生存者を乗せて、ニューヨークに到着したカルパチア号。
同船は温水や暖房装置へのエネルギー供給を停止し、
最高速度14ノットを上回る17.5ノットまで速度を上げて、遭難現場に急行した。

 

 

『卑怯者』の烙印を押されたイズメイ苦悩の晩年

 カルパチア号に救助され、約700人の生還者の中の一人となったイズメイ。ニューヨークから帰国した彼を待ち受けていたのは、査問委員会と世論からの激しい非難であった。イズメイはホワイトスター・ライン社を辞し、やがてアイルランドに居を移した。
イズメイは事故後、航海士を養成するための練習船の建造に携わったり、第一次世界大戦時には商船に資金援助を、また商船海員の未亡人基金に寄付を行なったりしたが、1936年糖尿病により右足を切断。ホワイトスター・ライン社のあるリヴァプールに戻り、翌年ロンドンにて74歳で死去した。



事故後の査問委員会で答弁に立つイズメイ
(タイタニック号の絵の右隣)。

 

体験型ミュージアム
Titanic Belfast 3月31日にオープン!

 タイタニック号の沈没から100年を経て、同船が建造された北アイルランド・ベルファストの造船所跡地に、タイタニック・ミュージアムがオープンする。6階建ての館内では、当時の造船所内や沈没の様子などを特殊効果やアニメーション等で再現する体験型展示が用意されているほか、豪華な船内を再現したスペース、ダイナミックな海底探索シアターなど、9つのギャラリーでタイタニック号の物語を紹介する構成になっている。
また、同館のオープンに先駆けて、アルスター民俗交通博物館(Ulster Folk & Transport Museum)でもタイタニカ(Titanica)展を開催中。ここでは、タイタニック号関連の写真や資料に加えて、海中から引き揚げられた船体の一部なども展示されている。



タイタニック号内にあったレストランも再現。実際に食事もできる(メニューは現代風)。



ニューファンドランド沖で眠るタイタニック号を探索できるシアター(イメージ)。