悲劇を生んだ船上の不運

 

 出港から2日後の12日、2つの氷山目撃情報がブリッジに届けられ、海図にその位置が記される。これはタイタニック号からは1800キロ以上離れており、また進路からも外れていた。
さらに2日後。問題の14日午前9時ごろ、キュナード・ライン社のカロニア号から「大小の氷山と浮氷原が北緯42度、西経49度から51度付近にあり」という第1の無線が入り、これも海図に記された。また同日午前11時40分ごろにも、別の船からほとんど同じ海域に氷山があるという第2の連絡が届く。
そして2時間後、同じホワイトスター・ライン社のバルティック号からも第3の情報がもたらされる。「〔タイタニック号船長宛〕ギリシャ船アテネ号より、本日北緯41度51分、西経49度52分にて氷山と大量の浮氷原に遭遇した、との報告あり。貴殿とタイタニック号の成功を祈る。船長」。これはタイタニック号の前方460キロを意味した。
そのすぐ後、ドイツの定期船アメリカ号からも、北緯41度27分、西経50度8分にて2つの大きな氷山のそばを通過したとの連絡を受信。さらに午後7時40分には、英レイランド・ライン社のカリフォルニアン号から第5の無線が入る。これによると、タイタニック号は氷山が漂うエリアまで約90キロの距離に到達していた。
刻一刻と運命の時が迫る一方で、これらの情報は航海士の間で共有されることはなかった。寄せられた情報を一つひとつ海図上に記入して総合的に検討すれば、タイタニック号の行く先に流氷の帯が広がっていることがわかったはずである。しかし、この日、カロニア号から届いた警告しか海図に記されなかった。他の無線連絡は、生還した航海士たちの記憶にも残っていなかったという。
このように情報伝達がスムーズに行われなかった理由のひとつは、無線設備を取り巻く当時の状況にある。1896年にイタリアのグリエルモ・マルコーニが無線の実用化に成功し、翌々年に英国王室用のヨットに無線が設えられた。これ以降、無線は急速に発展していったが、それでもまだ当時には珍しい通信装置。遭難などの緊急時に役立つものとして認識されるようになりつつあったが、危険を事前に知らせ合う手段としての本領が発揮されるまでには有効活用されていなかったようである。また、通信士は船会社所属ではなく、電信会社から派遣されて乗船しており、通信士にとっては緯度や経度、船の運航に関することよりも、むしろ誰に宛てたものかが重要だった。そのため、彼らは航行と関係のない通信――例えば「船酔いまったくなし。ポーカーの成績良好」といった乗客の私信のやり取りに、勤務時間の大半を費やしていたのである。



タイタニック号の航海士たち。
前列左から6等航海士ムーディー、航海士長ワイルド、船長スミス、1等航海士マードック。
後列左から事務長マッケロイ、2等航海士ライトラー、
3等航海士ピットマン、4等航海士ボックスホール、5等航海士ロウ。
前列の4人はタイタニック号と運命を共にした。

 

運命が背を向けた1912年4月14日夜

 

 この日は穏やかで風のない、素晴らしく晴れ渡った夜だった。月明かりがなく、水平線と空の境界線ははっきりしなかったが、視界は良好である。しかし、風がないと白波が立たず、通常なら氷山のすそに生じる水しぶきもあがらない。「こんな日は氷山が見つけにくい。まったく厄介な天気だ」と見張り員たちは口々に言いながら、持ち場についていた。
問題は天候だけではなかった。見張り台には通常はあるはずの双眼鏡がなかったのだ。見張り員は双眼鏡を要求したが、その所在を知る者はおらず、この航海では双眼鏡がないまま監視を続けていたのだった。もし双眼鏡があれば、氷山を避けることができたのだろうか。後の査問委員会で、見張り員のひとり、フレデリック・フリートは、「双眼鏡があれば、回避するのに十分な距離で氷山を見つけることができたと思う」と話している。双眼鏡の装備などを忘れるはずがないように思うが、あまりにも当然すぎる事項であったがゆえに、処女航海というこの特別な舞台で見落とされてしまったのだろう。そんな状況をよそに、タイタニック号はスピードをゆるめることなく、高速で走り続けた。
通信士のジャック・フィリップスは、疲れきっていた。この船には2人の通信士が乗船し、12時間交代で勤務を行っていたが、この日の夕方に無線機が故障してしまい、4時間も器械との格闘を余儀なくされたのである。その間にも、乗客たちの通信文書が山のように積み重なり、修理後はその処理に忙殺されていた。午後11時ごろ、フィリップスが一等船客の紳士に頼まれた私信を送っていると、突然、カリフォルニアン号からの無線が割り込んできた。「当船、氷に囲まれて停泊中」。カリフォルニアン号は近くにいたとみえ、その通信音は大きく、疲れ果てていたフィリップスの頭にがんがんと響いた。
「うるさい、黙れ。今、レース岬と交信中で忙しいんだ。Shut up. Shut up. I am busy. I am working Cape Race.」
腹が立ったフィリップスは、カリフォルニアン号からの通信を一方的に切ってしまう。こうしてタイタニック号は、一路悲劇へと舵をきっていく。



沈没直前まで一等船客用のデッキで演奏を続けた楽団メンバー。
バンドマスターのウォレス・ハートリー(中央)は婚約中であった。