空腹が生んだアフタヌーン・ティー

 

 1800年代の中頃、アナ・マリアは空腹に悩まされていた。と言っても、食うに困る暮らしだったわけではない。それどころか、アナ・マリアは英国有数の貴族の夫人であり、華やかな暮らしを送っていた。
 ところが当時の食事は、朝食と夕食の2回で、食間があまりに長く、アナ・マリアはこれに困り果てていた。朝食をどれだけたっぷりとっても、遅い時には9時頃になったという夕食までは、到底もたない。
 「気持ちが落ち込んでしまいますわ」とアナ・マリアは夫に訴えたという。
 そんなこと言ってないで勝手に何か食べればいいのに、とお考えのあなたのために、それが簡単にはできなかった時代事情と、アナ・マリアがどういう人物であったのかを少しご紹介しよう。
 アナ・マリアは1783年、第3代ハリントン伯爵の長女として誕生。1808年、第7代ベッドフォード公爵となるフランシス・ラッセルと結婚、ウォーバン・アビーという豪邸で暮らすようになる。
 ウォーバン・アビーは、その名の示す通り、もとは1145年にウォーバンの地に建てられた修道院だった。ヘンリー7世、8世に仕えたジョン・ラッセルに、1547年に与えられた。
 ジョンには、その後、伯爵の位も与えられたが、そのラッセル家の爵位が、公爵に格上げされた背景には、痛ましい犠牲があった。ライハウス陰謀事件と呼ばれるものだ。国王暗殺を企てたとしてホイッグ党の主要党員だったウィリアム・ラッセルが処刑されるが、後にこれが冤罪であったと認められ、1694年、ウィリアムの父(名は息子と同じウィリアム)に公爵の位が与えられたのである。
 ジョンの時代にコベント・ガーデン一帯の土地も与えられたラッセル家は、ロンドンに所有する地所を次第に広げ、開発を推進。その過程で作られたのがラッセル・スクエアだ。他にも、コベント・ガーデン近くのベッドフォード・ロードなど、ラッセル家にちなんで名付けられた場所がロンドンのウェスト・エンドにいくつも見られる。
 そのラッセル家に嫁いだアナ・マリアは、べッドフォード公爵夫人としての務めを果たすだけでなく、1837年から1841年まで、ヴィクトリア女王の側近である女官も務めている。
 生まれも育ちも良いアナ・マリアにとって、その頃の貴族社会の慣習を変えるのはきわめて難しいことだった。ヴィクトリア朝時代の貴族社会には様々なルールが存在し、みながんじがらめになっていた。それに反するには強い批判を覚悟しなければならなかったのだ。
 アナ・マリアは社交的で、時には、たわいない噂話に花を咲かせるなど気さくな面もあったうえ、心優しく、ベッドフォード所領地に住む民からも愛された。
 豊かな趣味人でもあり、ガーデニングを愛した。また、演劇は、見るばかりでなく演じることにも強い興味をもち、家族のメンバーによる劇を演出、クリスマス時などに美しく飾られた館内で披露することもあった。加えて手芸も好み、アナ・マリア自らが刺しゅうをほどこした品々が、客人たちにプレゼントされることもあったという。
 そんな妻を愛した夫のフランシスも社交家だったようだ。夫妻は、ヴィクトリア女王はじめ、多くのゲストを館に迎え入れた。ある年など年間1万2000人をもてなしたという記録が残されている。招かれた人々のお付きの者も含めての数字だが、1日あたり30人のペースでなければこの数字は達成できない。これだけの人々に、くつろぐ場所や、お腹を満たすものを提供したのだから、その収容能力はホテル並みだ。
 そんなホスピタリティの権化のようなアナ・マリアだから、(もし当時、テレビがあったとしても)「テレビの奥様番組を見ながら1人でおせんべポリポリ」などというようなことは、決してしないのである。
 では、アナ・マリアはどうしたか?
 夕方頃に紅茶と軽いサンドイッチやお菓子を用意し、友人のご婦人方を招くことを始めた。
 アフタヌーン・ティーの誕生である。
 1日2食という習慣を変えることに対して批判が聞かれなかったどころか、逆に上流社会で流行するようになったのも有力貴族の夫人、アナ・マリアが始めたことだったからといえそうだ。

 

 


第7代ベッドフォード公夫人アナ・マリア。右手には、ヴィクトリア女王の
細密画をあしらったブレスレットを身につけている。
Reproduced by kind permission of His Grace the Duke of Bedford
and the Trustees of the Bedford Estates。
© His Grace the Duke of Bedford and the Trustees of the Bedford Estates.

  

アフタヌーン・ティーにまつわる エチケット


キュー・ガーデンそばのティー・ルーム「ニューウェンズNewens」も、アフタヌーン・ティーが人気。
 お茶を注文しようとする時に、
「クリーム・ティー」というメニューを目にすることも多いだろう。これは、デヴォンやコーンウォール地方が起源(どちらも自分たちがオリジナルだとして譲らない)。こってりとしたクロテッド・クリーム(clotted cream=甘くない。脂肪分は60%程度でバター〈80%程度〉と生クリーム〈30~48%〉のあいだ)にイチゴジャムを添えたスコーンと紅茶のセットのこと。サンドイッチなどはつかない。デヴォンシャー・ティー、コーニッシュ・クリーム・ティーなどと呼ばれることもある。今日、ホテルで供される「トラディショナル・アフタヌーン・ティー」には、このクロテッド・クリームとジャムを添えたスコーンのセットが欠かさず含まれている。

 

■「トラディショナル・アフタヌーン・ティー」は、次のような構成であることが多い。
 

①サンドイッチ
普通の食パンを4分の1程度の幅に切った、細長い四角形であることが多い。パンは薄く、耳は切り取ってあるのが上流階級式。具は、これまた薄く切ったキュウリ、あるいは薄いハム+マスタード少々、ゆで卵のみじん切りのマヨネーズあえ、ローストビーフ、ツナ、薄いスモークサーモン(キュウリといっしょにはさむこともある)など。
 

②スコーン
クロテッド・クリームとジャムが添えられているのが一般的。ナイフで水平に2つに分け、口に入れる分のみにクロテッド・クリームとジャムをのせ、指で上品に食す。クロテッド・クリームとバターの両方が供された場合は、どちらかひとつを選び、両方一度に塗るのは避ける。
 

③ケーキ
サンドイッチなど、甘くないものを先に食べ、スコーン、ケーキはその後で食べるのが正しいエチケット。しかし、現在では、温めたスコーンが冷めないようにスコーンから食べることを薦められることもあるほか、堅苦しいことは言わずに、好きなものから食べればよしとする意見も聞かれる。どれだけ「気取って」食べたいか、で判断すれば良さそうだ。
 

④紅茶
銀のポットから、薄く繊細かつ美しい陶磁器のカップに注ぐのが理想。ミルクを入れる習慣は17世紀後半ごろにフランスで始まり、それが英国に伝わったとされている。行儀作法を教える学校の中には、紅茶→砂糖(好みによる)→ミルクの順が正しいと断言するところもあるという。レモン・ティーを所望する場合、ミルクは入れないこと!