「ガラクタ屋」の情熱の結晶 大英博物館 誕生

●サバイバー●取材・執筆/木下真寿美・本誌編集部

■ 世界各地から多くの人々が訪れる大英博物館。約700万点の資料を所蔵、すべては無料公開されている。仰々しい日本語名から、英政府が創設した博物館だと思う人もいるかもしれない。しかし実は、ある人物が収集した自身のコレクションの行方について、驚くべき「遺書」を残したことが同館の始まりだ。今回は、大英博物館の誕生の物語をお届けする。

身勝手な遺書で大混乱

「ロンドンの大ガラクタ屋の親父」とも揶揄されたハンス・スローン。投資家でもあり、スローン・スクエア、スローン・ストリートなど、主にチェルシーエリアに今もその名を残している。

1753年1月11日、ロンドンのチェルシーにある自宅で、ハンス・スローン卿が静かに息をひきとった。享年92。その顔には、「思う存分生きた」とでも言っているような満ち足りた表情が浮かんでいた。しかし、その穏やかな死の16日後、彼の遺書が公開されると一転、国を巻き込んだ大騒動が引き起こされる。

「生涯かけて集めた約8万点に及ぶコレクションをまとめて、国に譲渡したい。ただし、国は2人の娘に1万ポンドずつ、計2万ポンド支払うべし」

また、コレクションの一般公開も念頭に置かれており、「好奇心旺盛な人々の知的欲求、すべての人々の学習、研究、情報収集に役立てばよい」との希望も添えられていた。

3500冊もの貴重な写本を含む4万冊余りの図書、古いコインや工芸品、エジプト、ギリシャ、ローマ、インドなどの古美術品、動物の剥製や植物の標本、鉱物類…。スローンの収集品は、まさに古今東西のあらゆるものに及んでいた。外国へ行くのが容易でなかった当時、これだけのものを集めるにはかなりの熱意と資金が必要だっただろう。だが一方で、その雑多さゆえに「ロンドンの大ガラクタ」とも評されていた。世界の成り立ちや歴史を理解するための貴重な資料か、はたまたガラクタか――。どう評価すべきかわからない膨大なコレクションを突然押し付けられた英政府は困惑した。

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ジャマイカが結んだ縁と富

ハンス・スローンは1660年、北アイルランドの小さな町キリレイで7人兄弟の末っ子として生を受けた。スコットランド出身の父親は伯爵家の管財人を務めており、母親はその伯爵夫人の侍女で、ウィンチェスター大聖堂の名誉参事会員の娘でもあった。

スローンは子どもの頃から好奇心旺盛で、豊かな自然に囲まれてのびのびと育ち、植物をはじめとするさまざまな生き物に興味をもった。しかし16歳のときに肺を患い、3年ほど療養生活を余儀なくされたことで、医学の道に進むことを決意。19歳でロンドンに上京した後、フランスへ渡ってオランジュ大学で医学の学位を取得、さらにモンペリエ大学で解剖学のほか、興味のあった植物学も学んだスローンは、ロンドンに戻ると24歳で開業医となる。やがてカレッジ・オブ・フィジシャンズ(医学校)の特別研究員、王立学士院(ロイヤル・ソサエティ)のメンバーとしても認められ、若くして富と名声の階段を駆け上がっていった。

ところが、社会的な地位を確立しても好奇心は衰えず、当時ジャマイカを統治していた公爵が侍医を探していると聞きつけると、多くの肩書を放り出し、喜び勇んで随行。スローンは後に「当時、私は若く、耳にしたことを実際に自分の目で見ないと気がすまなかった」と語っている。

しかし結局、不運にも赴任から数ヵ月後に公爵が急逝したため、予定より短い約20ヵ月でジャマイカ生活を終えて帰国。滞在中に採集した、西インド諸島に生息する多様な植物の標本を持ち帰った。こうした植物はロンドンの人々の想像力を掻き立て、自分の家にもスローン邸のようなエキゾチックな植物園をつくろうと、庭師を西インド諸島に行かせた貴族もいたという。ジャマイカで得た成果は、スローンの「収集熱」を過熱させた。

35歳のときに、ジャマイカとの砂糖貿易を仲介する裕福な商人の娘で、英国人医師の夫を亡くしたばかりの未亡人と結婚。この婚姻で莫大な資産を得たスローンの収集に対する情熱の炎は、ますます燃え盛っていった。


運命を決めた皇太子のつぶやき

現在はサウス・ケンジントンにある自然史博物館に展示されている、ハンス・スローンの植物標本コレクション。© Trustees of the Natural History Museum, London

ジャマイカへ渡るなど情熱に身を任せた時期もあったが、その後は再び順調にロンドンで医師としてのキャリアを積み、王室の侍医に就任、56歳で准男爵位の称号を得る。さらに、67歳でアイザック・ニュートンの死去を受けて、王立学士院の会長にも就いた。だが、多忙な日々を送る中でも、暇を見つけては自分のコレクションの手入れをし、新たに買い足すものがないかと情報収集にも余念がなかった。

当時スローンが居を構えていたのは、ブルームスベリー・スクエア近くのグレート・ラッセル・ストリート。現在、大英博物館が建つ界隈だ。自宅にゲストを招き、自分の膨大なコレクションを鑑賞しながら、話に花を咲かせる夕食会は「名物」として知られるほどだったが、81歳で医師を引退すると、カドガン男爵家に嫁いだ娘が暮らすチェルシーに邸宅を購入。自慢のコレクションもチェルシーへ移し、それらを眺めたり、庭園を散歩したりする静かな日々を送るようになった。だが、そうした穏やかな晩年を過ごしていたある日、ふと不安が頭をもたげてきた。

「自分の死後、このコレクションはどうなってしまうのか。分割され、散り散りになってしまうのだろうか…」

この不安と焦燥は、フレデリック皇太子(ジョージ2世の息子)のひと言で「解決」する。スローン邸を訪れ、コレクションの数々を堪能した皇太子は、これらは大変貴重なものだと評価した上で、「まとめて一般公開されたらどんなに役立つだろうか」と感想をもらしたのである。この発言に、スローンはピンとくるものを感じた。そして1年後、彼は後に騒動を巻き起こす遺書をしたためたのだった。

宝くじで資金集め⁉

スローンのコレクションは貴重な資料か、それともガラクタか? その結論如何によっては、遺書の執行内容についても大きく変わってくる。遺書で指名されたスローンの管財人たちは、まず国王に話をもちかけることにした。

しかし、時の権力の座に就いていたのはジョージ2世。愛人を次々とつくったことでも有名なこの国王、こと金銭に関しては欲が強かった。スローンの遺書にもまったく関心を示さず、「そんなものに使うお金があると思うのか」と一顧だにしなかった。

意気消沈して戻ってきた管財人たちは、気を取り直して今度は議会へと話をもっていく。美術史家などの有識者らも協力し、スローンの遺産を守るために手を変え品を変え働きかけた。

しかしながら、なかなか状況は好転しない。諦めかけたところに、救世主が現れる。下院議長のアーサー・オンズロウである。知識人として知られたオンズロウは、国家によるコレクションの買い上げ案を再び議題として議会で取り上げるために、尽力してくれたのだ。

ただ、例え「貴重な資料」だと認められようとも、スローンの遺志を実現するにあたって一番大きな問題は、国の財政難だった。オーストリア継承戦争などを含む第2次百年戦争のさ中にあって、英国の台所事情は苦しかったのである。娘2人に支払う2万ポンドと、コレクションをまとめて収蔵する建物の建設費用をどうやって捻出するか――。知恵を絞ったオンズロウが思いついた妙案が「宝くじ」。競馬、闘鶏、サッカーくじなど、賭け事の多くは英国で発展したと言われるが、なんと当時の英国は空前の宝くじブーム。国民がこぞって、宝くじを買っていたのだ。オンズロウは「国庫からは1ポンドとして支払う必要はない」と演説し、議会を説得することに成功。賭け事好きな英国民の国民性のおかげと言うべきか、財源問題も見事解決した。

候補地が決まらず再び紛糾

2000年にリニューアルされた大英博物館の天井やグレートコート(写真右)と旧建物(同左)の対比が面白い。

さて、やっと法案が通り、資金が集まったからといって万々歳、というわけにはいかない。次なる課題は、コレクションを収蔵する建物、つまり博物館をどこに建てるか――。交通の便が良く、予算内に収まる場所であり、かつ8万点にも及ぶ品々を所蔵可能な建物を探し出すのは頭の痛い問題だった。

候補のひとつとして挙ったのが、バッキンガム・ハウスだ。バッキンガム公爵が所有する大邸宅で、現在のバッキンガム宮殿の前身である。スローンが死去した1753年当時の所有者であったバッキンガム公の子息は、売る気満々であったものの、予算の折り合いがつかずに購入を断念している。

そうした中でようやく探し出されたのが、ブルームスベリーに建つ、モンタギュー公爵が所有するモンタギュー・ハウス。偶然にも、スローンが昔住んでいたグレート・ラッセル・ストリートに面していた。価格も破格であったことから満場一致で同所に決まったが、いざ改築となると、建物のあちこちにガタがきており、かなりの修繕が必要であることが発覚。この修繕工事に購入額の5倍もの金額がかかり、完成まで6年近くの歳月が費やされたのだった。

大英博物館として買い取られたモンタギュー・ハウス。

1759年1月15日、ついに輝かしき大英帝国を代表する「大英博物館」がその扉を開いた。スローンのコレクションに加え、コットン家とハーリー家に伝わる貴重な写本や蔵書もあわせて収蔵・展示された。

大英博物館の収蔵品は、その成り立ち通りに寄贈品が多くを占めている。ジェームズ・クック船長が太平洋探査から持ち帰った民族資料のほか、ギリシャのパルテノン神殿を飾っていた大理石の彫刻群、古代エジプト文字・エジプト民衆文字・ギリシャ文字が刻まれたロゼッタ・ストーンなど、貴重な品々が「無料で一般公開」されることを条件に寄贈されており、今なおコレクションは増え続けている。手狭になったモンタギュー・ハウスは1842年から取り壊しが始まり、その6年後には現在の博物館が完成。だが、スペース不足は続き、自然史部門はサウス・ケンジントンの「自然史博物館」、図書はセント・パンクラスの「大英図書館」に移されている。

スローンの他力本願で身勝手な遺書は多くの人々に迷惑をかけたに違いないが、彼が長い人生をかけて集めたコレクションへの愛と情熱がなければ、大英博物館はこの世に生まれなかったのである。

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大英博物館逸品5選

© The Trustees of the British Museum

The Rosetta Stone
ロゼッタ・ストーンエジプト /BC196年/Room 4

© The Trustees of the British Museum

The Gayer-Anderson Cat
ゲイヤー・アンダーソンの猫(猫の女神バステト)エジプト/BC600年頃/Room 4

Parthenon Sculptures
パルテノン神殿の彫刻群ギリシャ/BC447~432年/Room 18

Hoa Hakananai’a / Moai
イースター島のモアイ像イースター島/1000~1200年/Room 24

© The Trustees of the British Museum

Egyptian Death and Afterlife: Mummies
エジプトのミイラエジプト/BC2000~AD125年/Room 62-63


Travel Information

The British Museum
大英博物館

Great Russell Street, London WC1B 3DG
www.britishmuseum.org

開館時間 10:00~17:00(金曜は20:30まで)
入場無料 (※企画展は有料)

1時間しかない人のための超高速大英博物館巡り

週刊ジャーニー No.1326(2024年1月25日)掲載