ニューヨーク・メッツ対フィラデルフィア・フィリーズ
ニューヨーク・メッツ対フィラデルフィア・フィリーズ

●サバイバー●取材・執筆/本誌編集部

■ 日常的に飲むワインやビールとは一線を画し、慶事や「特別な日」に嗜むことが多いシャンパン。クリスマス、年末年始と1年でもっとも華やかなパーティー・シーズンが到来した今、あらためてシャンパンの発祥の歴史を紐解いてみたい。

ブルゴーニュには負けられない

日本では「シャンパン」(英語では「シャンペイン」と発音)と呼ばれているが、正式呼称は「シャンパーニュ(Champagne)」。文字通り、フランスのシャンパーニュ地方特産のスパークリングワイン(発泡性ワイン)だ。イタリア産のスプマンテ(Spumante)、スペイン産のカバ(Cava)、ドイツ産のゼクト(Sekt)もほぼ製法は同じであるものの、これらは「シャンパン」と呼ぶことはできず、フランス産であってもシャンパーニュ産以外のものは「クレマン(Cremant)」と呼び名を変えるなど、その呼称は法律で厳しく保護されている。

シャンパンが誕生したのは、今から300年以上前のこと。
シャンパーニュ地方の小さな村オーヴィレールの修道院で出納係および酒倉係を務めた、ベネディクト派のドン・ペリニヨン修道僧(1638~1715)を生みの親とする説が有名だ(近年では否定的な意見も多い)。フランスの老舗シャンパンメーカー「モエ&シャンドン」の銘柄であり、誰もが知る高級シャンパン「ドンペリ(ドン・ペリニヨン)」の名前の由来ともなった人物である。

ランスから南に30キロ離れた田舎町エペルネにあるシャンパン・ハウス「モエ&シャンドン」には、ドン・ペリニヨン修道僧の銅像が建っている。© Victor Grigas
最高級シャンパン「ドン・ペリニヨン」。安価なものから順に白、ピンク(ロゼ)、ゴールド、プラチナのランクがある。© Renato Marques

修道僧とアルコールは一見、不似合いな印象を受けるかもしれない。だが、キリスト教においてはパンは「キリストの体(肉)」、ぶどう酒(ワイン)は「キリストの血」を意味し、洗礼式や聖体拝領式(聖餐式)でもワインが使われるなど、ワインはむしろキリスト教に欠くことのできないものである。旧約聖書の創世記には、神がぶどうの栽培法とワインのつくり方を教える一節があり、昔はぶどう畑の管理は聖職者や修道士に任されていた。

シャンパーニュ地方には、古代ローマ帝国の属州時代から栄え、フランスの歴代の王たちが戴冠式を執り行ってきた大都市ランスがある。戴冠式では聖職者が新君主の顔や手に聖油を塗って「神聖化」させる儀式があり、この「聖別式」の後に地元のワインが振舞われたため、シャンパーニュのワインは中世以前から広く知られていた。しかし、フランス最北端に位置する同地域は冷涼であるため、ぶどうがなかなか完熟に至らず、とくに黒ぶどうは色素が薄く酸味の強いものができがちだった。お隣のブルゴーニュ産ワインの評判には、どうしても引けを取っていたのである。

赤ワインでは、ブルゴーニュの味わい深さに勝つことはできない。それならば、一流の白ワインをつくってやるんだ…!

ドン・ペリニヨン、そしてシャンパーニュのワインのつくり手たちは、躍起になって試行錯誤を繰り返した。

失敗作の「悪魔のワイン」

ランス郊外に広がるぶどう畑。

当時の白ワインの製法はきわめて基本的なもので、しぼった白ぶどうの果汁を樽や甕(かめ)に入れ、果実に付着した天然酵母(野生酵母)によってアルコール発酵させた後、樽で数ヵ月から数年間熟成させ、それを瓶詰めするという手法であった。

ところが、この地方のぶどうは熟すのが遅く、秋に収穫するため、気温が下がって発酵が十分に終わらず、酵母が生きて休眠したまま瓶詰めされてしまうことが多かった。春になり暖かくなると、瓶内で二次発酵が始まってしまい、炭酸ガスによってボトルが倉内のあちこちで破裂。ドン・ペリニヨンは頭をかかえた。瓶内での二次発酵を食い止めるには、一体どうすればいいのか…。

彼はまず、現在「アッサンブラージュ」(ブレンドの意味)と呼ばれている、異なる品種のぶどうや別の畑のぶどうを組み合わせてみた。その結果、白ぶどうは黒ぶどうよりも二次発酵を促進させる傾向があることを見出し、黒ぶどうの割合を多くしてブレンドすることを決断。最良の黒ぶどうを早摘みし、傷ついたり大きすぎたりする粒は慎重に取り除くことを徹底させた。

© Beazy
また、黒ぶどうから透明な白ワインをつくるため、果皮との接触をごく最小限にする圧搾機を考案。圧搾機を畑の近くに置き、新鮮な果汁だけを素早くしぼらせた。さらに、樽熟成は空気に触れることで芳香を奪ってしまうことから、早い段階での瓶詰めを推奨。二次発酵時のボトルの破裂を防ぐため、より強度の高い英国産のボトルを使用し、当時の一般的な栓(木片に油を染み込ませて麻の縄を巻いたもの)の代わりに、気密性の高いスペイン産のコルクを導入したのだった。

こうして誕生した良質なシャンパーニュ産白ワインは、二次発酵の阻止に尽力したドン・ペリニヨンのおかげで、9割は発泡しなかったという。しかし10本に1本の確率で、炭酸ガスが瓶内に閉じ込められた「泡立つ白ワイン」が生まれてしまった。通常の赤ワインよりも手塩にかけられ、しかも生産量が少ない珍しいワイン――。当初は「デビルワイン(悪魔のワイン)」と呼ばれて敬遠されたが、珍しいものを好む王侯貴族たちの間で話題となり、その希少性が人気に拍車をかけていくことになる。

ドン・ペリニヨンの誤算

1729年、シャンパーニュ地方に世界初の「泡立つ白ワイン」、つまりシャンパン専門の製造会社「ルイナール」が創業する。次いで「ティタンジェ」が設立され、1743年には「モエ」(現モエ&シャンドン)も創業するなど、シャンパンの知名度は瞬く間に拡大していった。

モエ&シャンドンの広告塔として貢献した、フランス国王ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人。
2018年に限定販売されたポンパドゥール夫人をイメージした限定ロゼ・シャンパン

1807年7月26日に、フランス皇帝ナポレオンがモエ&シャンドンの地下洞窟セラーを訪れたときの様子。

モエの広告塔として大きく貢献したフランス国王ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人は「飲んで、なお女性を美しく見せてくれるのはシャンパンだけ」と語り、居城に年間200本のシャンパンを運ばせた。また、皇帝ナポレオンは「戦に勝った時こそ飲む価値があり、負けた時には飲む必要がある」と説き、軍属のシャンパン・ハウスがナポレオンの遠征先に頻繁に赴いていたという。このようにして、シャンパンは「権力と気品の象徴」としての地位を不動のものにしていったのであった。

「モエ&シャンドン」のグラスに注がれた、黄金の泡が美しいシャンパン。© Deleece Cook

シャンパーニュ地方の土壌は、農業には致命的ともいえる石灰質で、他の穀物はほとんど育たない不毛の地だが、一方で水はけがよく、ミネラルを豊富に含んでいるため、ぶどう栽培には適していた。また、石灰質地層は温度・湿度を一定に保ちやすく、シャンパン・セラーをつくるのにも最適だった。ランスの地下には全長100キロ、エペルネの地下には全長150キロのシャンパン・セラー洞窟が走っているが、この巨大な天然の貯蔵庫を地下に確保できたことは、シャンパンづくりをする上で大きな利点であっただろう。

「出来損ない」であるはずの発砲する白ワインが、これほどまでに人々に喜ばれ、世界的な人気を誇る「憧れのワイン」にまで成長を遂げるとは、ドン・ペリニヨンは想像もしなかったに違いない。

週刊ジャーニー No.1320(2023年12月7日)掲載