2010年1月7日 No.607

●サバイバー●取材・執筆・写真/長谷川ゆか・本誌編集部

 

砂糖から芸術が生まれた!?

ヘンリー・テート卿の功績


Tate Britain © Tate Photography

今やニューヨーク近代美術館、パリのポンピドー・センターと肩を並べ、 世界の現代美術シーンにおいて大きな影響力をもつ美術館「テート・モダン」。 今年で開館10周年を迎える同館はオープン以来、「テート・ブリテン」とともにロンドンで最も人気ある観光スポットのひとつとしても、 確固たる地位を確立している。現在全英に4つの美術館を構える国立美術館グループ「テート」の歴史は、 ヴィクトリア時代に活躍したひとりの伝説的なビジネスマンの、類いまれなる慈善活動に端を発する。革新的な砂糖精製業技術で、 一代で巨万の富を築いたリバプールの起業家、ヘンリー・テート。彼の存在なしには、英国近代美術界が ここまで世界的な評価を受けることは決して容易ではなかったはずだ。 「テート・ギャラリー」の生みの親、ヘンリー・テートの生涯に迫る。

参考文献:『HENRY TATE 1819-1899 A Biographical Sketch by Tom Jones』Tate & Lyle Ltd.刊
Special Thanks: Christopher Bastock, Assistant Curator, Tate Gallery Records.

 


Sir Hubert Von Herkomer, Sir Henry Tate 1897
© Part of the BP British Art Displays at Tate Britain

 

 英国ミレニアム事業の一環として、 二〇〇〇年五月、サウスバンクに産声を上げて以来、今では世界屈指の現代美術館としての地位を誇る「テート・モダン」が、今年で開館十周年を迎える。スイスの新鋭建築家コンビ、ヘルツォーク&ド・ムーロンが建築デザインを担当、独特の存在感を放つ九十九メートルの煙突を持つ元発電所は、新千年紀の幕開けとともにモダンアートの殿堂として華麗なる変身を遂げた。この「テート・モダン」の誕生を機に、それまでミルバンクの「テート・ギャラリー」にあったコレクションが分割され、世界の現代美術作品は「テート・モダン」が、十六世紀からの英国美術品を「テート・ギャラリー」(二〇〇一年、「テート・ブリテン」に改称)が収蔵することになったことはよく知られている。しかし、ロンドンに二ヵ所、加えてリバプールとコーンウォール(セント・アイヴス)の全英に計四ヵ所のギャラリーを擁するこの国立美術館グループ「テート」が、なぜ『テート』なる名前を冠するのかまでを知る人は、かなりの美術館通に違いない。
そもそも「テート・ギャラリー」の前身である「ナショナル・ギャラリー・オブ・ブリティッシュ・アート」が開館されたのは、ヴィクトリア朝後期一八九七年のこと。当時英国において重要な産業の一つであった砂糖精製業によって巨額の富を築いた伝説的な事業家が、自身の貴重な近代絵画のコレクション六十点余りをナショナル・ギャラリーに寄贈しようとしたことが、「ナショナル・ギャラリー」分館開設プロジェクトが起動する発端となり、これが後に「テート・ギャラリー」となった。
この、英国現代美術に限りない情熱を注ぎ、新美術館創立のために大金を捧げた人物こそ、リバプールの砂糖商人、ヘンリー・テート卿であった。一八五九年に彼が設立した会社は、現在は英国王室御用達の大手砂糖メーカー「テート&ライル」社として、英国内外で君臨していることはいうまでもない。家庭のキッチンの戸棚でよく見かける、スカイブルーに白抜きのロゴを持つ砂糖のパッケージと、世界の現代美術シーンを代表する「テート」。この一見全く共通点を見出せない二つのブランドの生みの親が、ヘンリー・テート卿なのだ。また彼は、時の芸術家たちを手厚く支援しただけでなく、リバプール大学、一八四九年にロンドンに設立された初の女性専用の大学、ベッドフォード・カレッジ、地方や大学の数多くの図書館など、多くの寄付を行う慈善家としても名高い人物であった。英国産業の黄金時代といわれるヴィクトリア時代に事業を成功に導く一方で、英国の文化的活動を常に支援し続け、さらには「テート・ギャラリー」の礎をつくった、偉大なるヘンリー・テート卿の生涯を振り返ってみたい。