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●サバイバー●取材・執筆/手島 功

■1854年8月末、ロンドンのソーホー地区でコレラが発生した。コレラはたちまち拡散しバタバタと人が斃れた。この時代、ほとんどの疫病は悪い空気「瘴気(しょうき)」に原因があると信じられていた。そこに一人の男が異論を唱えて立ち向かった。男の名はジョン・スノウ。麻酔学が専門の医師だった。

下水と化したテムズ

1828年、ウィリアム・ヒースによって描かれた「一般にテムズウォーターと呼ばれるモンスタースープ」と汚染具合を揶揄する風刺画。

19世紀初めまで糞尿をテムズ河に棄てることは固く禁じられていた。そのためロンドン中心部でさえテムズの水質は上々に保たれ、漁場としても栄えていた。産業革命を経てロンドンで人口爆発が起きた。汚水溜めはすぐに一杯となり、建物裏の中庭に汚物がうず高く積まれた。人々がゴミや糞尿をテムズに投棄し始めたため急速に水質汚染が進んだ。低所得者層がひしめき合う一帯の衛生環境は悪化の一途を辿り、猩紅熱(しょうこうねつ)や腸チフスなどの疫病が蔓延した。

エドウィン・チャドウィック公衆衛生局長官。弱者に寄り添う社会学者だったが、結果的に多くの人を死に追いやった。

問題解決にあたり政府はエドウィン・チャドウィックという高名な社会改革者を公衆衛生局長官に抜擢した。マンチェスターの貧しい家庭に生まれ、成人して弁護士となったチャドウィックは劣悪な環境に置かれた労働者や貧困層の救済に奔走する高邁な改革者だった。彼は疾病の原因は貧困にあり、それは生活環境の改善によって予防できると公衆衛生の改革を訴えていた人物で、労働組合の設立にも奔走した。

「公衆衛生法」を発令し、下水道の整備を推進すると同時に新規の建物は全て下水道と連結させるよう法を整備した。公衆衛生改善に辣腕を振るったチャドウィックだったが、彼もまた「瘴気説」の強烈な信奉者だった。彼が良心と信念から推し進めたもう一つの法案「不快除去および伝染病予防法」は致命的で、皮肉なことに多くの人を死なせる結果となった。この「不快」とはつまり人が出す糞尿のことだ。彼は悪臭の中に潜む瘴気こそが疫病の元凶であると信じて疑わず、そのため汚水溜めの撤去を決めた。それは下水溝拡充とセットで進めるべきだったが撤去だけが先行した。

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行き場を失った糞尿はたちまち古い下水溝や雨水用の排水溝に棄てられテムズに放出された。テムズはたちまちロンドン最大の下水溝となった。満潮時には下流の汚物が逆流し、ロンドン中心部を行ったり来たりした。テムズまで辿り着けなかった糞尿はしばしば下水溝を塞いでメタンガスを発生させ、時に爆発事故を起こした。テムズ河の魚は駆逐された。

たった一人の闘い

1850年にパンチ誌に掲載された風刺画「テムズの雫」

1848年、コレラが再びロンドンを襲った。特にテムズの南側に死者が多かった。コレラ終息後に調査が行われたが結局は悪臭、すなわち「瘴気」に原因があったと結論付けられた。医師スノウだけは汚染されたテムズ由来の飲料水汚染を疑った。

かつて英国では民間の水道会社が乱立し、それぞれ管轄の河川や貯水池から取水、濾過して各家庭に飲料水を届けていた。19世紀前半になるとそれらが淘汰され、10社ほどになっていた。スノウはその中の一社サウスロンドン・ウォーターワークス社がロンドン中心部のテムズ河で取水してテムズ南側に水を届けていることに着目した。


戸籍管理部が集計した表を調べると1848年から49年にかけてのコレラ禍の死者7466人のうち4100人がテムズの南側に住んでいたことが分かった。テムズ南側のある地域では千人あたり8人が死んでおり、それは衛生環境が劣悪と言われたロンドン中心部より遥かに多かった。スノウは「コレラの被害は水源で分かれる。コレラは患者の排泄物で汚染された飲料水を飲むことで伝染する」と結論付けた。スノウはただちに論文を書いて医学書などに投稿した。興味を示した研究者もいたが「裏付ける証拠がない」として結局は捨て置かれた。

1852年、パンチ誌に掲載されたコレラ蔓延時のイラスト。貧民街の人口密度の高さが窺える。

そして5年後、スノウの自宅から目と鼻の先であるソーホー地区で感染爆発が起こった。

1854年8月末、スノウだけが正しくコレラと闘う準備を整えていたのはそういう背景があってのことだった。最初の死者が出てから一週間ほど経過した9月8日、多くの人がソーホーから逃げ出したため新規の感染者は減りつつあった。国から派遣された衛生調査団が現場入りし、住人に期待を持たせたが街に大量のカルキを撒くだけで満足そうに帰って行った。

セントジェームズ教区評議会はコレラに対応するための緊急会議を開いた。スノウも参加した。スノウはこれまでに収集した資料を持参し、全てのデータがコレラの感染源は1つの井戸に集中していると力説した。そこにヘンリー・ホワイトヘッド副牧師もいた。スノウが指摘した井戸とはブロードストリート40番地の目の前にある井戸のことだった。この40番地周辺では大勢が犠牲になっていた。スノウは委員会に「この井戸のポンプの柄を取り外して井戸水を汲めないようにして欲しい」と要請した。スノウの主張には数々の合理性が認められたため評議会はこれを受け入れた。翌9月9日、ブロードストリートのポンプの柄が撤去された。

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生死を分けたもの

副牧師のホワイトヘッドはここに至ってもまだ瘴気説を支持していた。彼自身、この井戸の水が好きで時々家に持ち帰ってはブランデーに垂らして飲んでいた。感染爆発後もその習慣は続いていた。彼は社交的な性格が織り成した地域住民との密な関係性を活用してコレラの発生源に辿り着こうとしていた。

スノウは公衆衛生局や戸籍管理部、そしてホワイトヘッドから上がって来るデータを手に、飲料水媒介説の証拠固めを急いだ。戸籍管理部がまとめた死者週報やホワイトヘッドらがもたらす情報は正確で有益だった。スノウはこれらをまとめて感染マップを作製した。ソーホー地区の詳細が描かれた白地図上、建物別に死者の数だけ太い横棒を描き加えて行った。たちまちブロードストリートの井戸ポンプ周辺が横棒で黒く染まった。そしてその横棒はポンプを中心に放射線状に拡散していた。ホワイトヘッドはそのマップを食い入るように見詰めた。戸籍管理部のデータや自らの足で調べた情報と完全に一致していた。

スノウにはブロードストリート界隈に気になる建物が3ヵ所あった。1つは井戸のすぐそばにあったイーリー(Eley)兄弟の薬きょう製造工場だった。この時英国はクリミア戦争を戦っていた。どんなに湿った環境でも点火できる薬きょうを開発したイーリー社は軍から大量発注を受け大忙しだった。しかし8月末以降、150人の従業員から30人前後の感染者を出した。

一方、井戸から100メートルほどのところにあったライオンビール醸造所では70人ほどが働いていたにもかかわらず、ただの一人もコレラ感染者が出なかった。井戸から徒歩1分のところにあったセントジェームズ救貧院には500人前後の貧困者が収容されていたが不思議と感染者はほんの一握りだけだった。

スノウはこの3軒を尋ね、ブロードストリートの井戸水との関連性を調べた。イーリー兄弟の工場はブロードストリートの井戸から毎日桶2つ分の水を汲んで従業員にふるまっていた。さらにイーリー兄弟はこの井戸水が好きなハムステッドに住む母親に毎週月曜日、水瓶に入れた井戸水を送り届けていた。母親はコレラを発症し、9月2日に死んだ。見舞った姪もその翌日に死に、女中も感染した。兄弟の親孝行が災いした。

ライオン醸造所では毎日就業前にビールが配られ、皆それを水代わりに飲んでいた。さらにロンドン北部が取水先の水道会社からビール用に水道を引いていた。救貧院も同様でロンドン北部から水道を引き、さらには救貧院の中にも独自の井戸が掘られていてブロードストリートの井戸に触れる者は少なかった。

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スノウは自信を深めた。瘴気説を捨てきれないホワイトヘッドだったが、スノウが提示する情報はあまりにも説得力があった。さらに、以前聞き込みをした住民たちに再度話を聞くと、落ち着きを取り戻した人の多くが「そういえば」と感染した人たちが直前に井戸の水を飲んだと言っていたことを思い出し始めるという現象に悩まされた。

ホワイトヘッドは「感染の原因は瘴気ではなく水なのではないか」と思い至るようになった。結局、1854年8月末に始まったソーホー地区のコレラの感染爆発はブロードストリートを中心としたわずか3ブロックで616人もの死者を出した末に収束した。

スノウが作成した感染マップ。1854年のコレラ禍はまさにソーホーだけで起こった。
感染マップ拡大図。ブロードストリート40番地前に置かれたポンプを中心に死者を表す横棒が放射線状に広がっているのが分かる。

全てが繋がった

川底の掃除をする父なるテムズ

年が明け、スノウがまとめた報告書に目を通したホワイトヘッドは、スノウが疫病の原因は「コレラ患者の排泄物に含まれる何か特殊な物質が下水道、もしくは汚水溜めから井戸の中に浸透して井戸の水を汚染した」としており、決して井戸の水自体に問題があると言っている訳ではないと分かり、スノウへの反感が霧消していくのを感じていた。

ホワイトヘッドは井戸の目の前に住み、コレラに感染して死んだ女児の家を再訪し、母親のサラに娘がコレラを発症した時のことをより詳しく尋ねた。そこでこの女児が実際に息を引き取る5日も前からコレラの症状を発していたことを知った。その間、母親は女児の汚れたおむつを桶のぬるま湯で洗い、その湯を汚水溜めに棄てていたことも分かった。女児より後に発症し、女児より先に死んだ住人が多数いたため感染者第一号が誰なのか謎だった。しかしまだ誰もコレラの症状を発する前からこの女児は人知れずコレラに苦しんでいた。そしてその女児が暮らすブロードストリート40番地の目の前にはスノウが柄を撤去させたポンプが立っていた。

ホワイトヘッドは教区評議会を再度招集し、井戸を調査するよう要請した。地元の測量士が呼ばれた。測量士はブロードストリート40番地の地下汚水溜め周辺を丹念に調べた後に上がって来るや興奮した様子で言った。「汚水溜めの周囲はレンガで囲まれているが小指で押すだけで崩れるほど腐食している。そのレンガの壁から2フィート8インチ(約80センチ)下に井戸があるが汚水溜めと井戸の間には人間の汚物が沁み込んだドロドロの土がある。それが井戸の中にまで浸透している」。

長年の腐食により汚水溜めは地下で井戸と繋がっていた。スノウは正しかった。

ホワイトヘッドにはもはや瘴気説に固執する理由がなくなり、素直に自らの誤りを認めた。スノウとホワイトヘッド、全く資質が異なる二人の間に静かな友情が芽生え始めていた。スノウや教区評議会はすぐさま報告書を作成し公衆衛生局に提出した。しかし衛生局がこの報告書をまともに扱うことはなかった。スノウが訴える「飲料水媒介説」を認めてしまえば自らが行ってきた数々のコレラ対策がむしろ多くの市民を殺していたことになってしまう。国が何も手を打てずにいる中、さらなる大混乱がロンドンを襲う。

参考資料
Steven Johnson著「The Ghost Map」並びに矢野真千子訳「感染地図」
Lee Jackson著「Dirty Old London」他。

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週刊ジャーニー No.1269(2022年12月8日)掲載