2011年12月8日 No.706

●サバイバー●取材・執筆/本誌編集部

明暗を分けた運命の決断

スコット極点隊
全滅へのカウントダウン

後編

南極点にて英国旗とともに失意の記念写真に納まるスコットら極点隊5人。
後列左からローレンス・オーツ ロバート・F・スコット エドガー・エバンス
前列左から ヘンリー・バワーズ エドワード・ウィルソン

南極点一番乗りを目指す「世紀の大レース」は、
犬ゾリを駆使したアムンセン隊の一方的な勝利に終わった。
しかし、勝利を知り得るのは先に南極点に到着した者だけであり、
スコットらは未だ英国隊の勝利を疑うことなく、ひたすらソリを曳き続けている。
南極点への最後の300キロ。そこへはスコットを含む4名だけが行くことになっていた。
選ばれなかった残りの4名は、ここから基地に帰っていく。誰を連れていくべきか。
最後まで迷いに迷った挙句、スコットは今も解析できていない不可解な決断を下す。
そしてその決定は、選ばれし有能な隊員たち全員を壮絶な遭難死へと追いやっていくことになる。

参考資料
■アルフレッド・ランシング著:エンデュアランス号漂流
■A・チェリー・ガラード著:世界最悪の旅 ■ロアール・アムンセン著:南極点 
■本多勝一著:アムンセンとスコット ■白瀬矗著:私の南極探検記 他

スコットの賭け

 スコットは南極点まで連れて行く隊員の名前をゆっくりと読み上げた。ウィルソン、エバンス、オーツそしてバワーズ。
 雪原に短い沈黙が漂った。呼ばれた4人も、呼ばれなかった3人も、怪訝な表情でスコットを見つめている。
 一人多いのである。最終編成は4人でなければならなかった。これではスコットを含めると極点を目指すのは合計5人となってしまう。
 スコットは直前まで極点を目指すのは、スコットを含めた4人と決めていた。しかし最後の最後に心変わりした。急遽、バワーズを連れて行くことにしたのである。
 これは極めて不可解で危険な変心であった。なぜならスコットは前のデポ(復路用に食糧や燃料を埋設してきた場所)を出発する際に、バワーズにスキーを置いていくよう命じているのである。従ってスキーは5人に対して4セットしかない。バワーズは雪原が下り坂となり、ソリやスキーをつけた4人が滑走を始めた場合でも、一人だけ雪原を走らなければならない。もっと深刻なのが食糧だ。ここまでの道のり、各デポに残してきた食糧は全て4人分が1セットとされており、不測の事態が発生し、スケジュールに遅れが生じた場合、食糧が不足する危険がある。さらに5人分の食事を調理するためには燃料も時間も余計に必要となってしまう。
 そして第3の理由にテントがある。ただでさえ窮屈な4人用の三角テントで5人が抱き合うようにして眠らなければならなくなったのである。人は極限の環境下に長く置かれることで、精神を平常の状態に保つことが難しくなると言われる。そのことを熟知していたアムンセンは、3人用のテント2つを縫い合わせ、これに5人が入ってユッタリと眠れるように工夫した。スペースに余裕ができたお陰で精神的に随分と楽になったと後に自伝に記している。

 スコットはその逆をやった。
 スコットの極点隊は偶然ながらアムンセン隊と同じ5人となった。しかしアムンセン隊は当初8人による極点到達を考えていたが、時間的ロスに気がつき直前に3人を減じた上での5人であった。そのため、8人用に予め蓄えておいた物資にもかなりの余裕が生まれた。
 かたやスコット隊は、氷河登山の時から徹底して4人1組で1台のソリを曳くフォーメーションを採用し、食糧から燃料まで全てが4人単位で緻密に計算され、仕込まれていた。にもかかわらず、アタック開始直前に突然1人増員し、5人とした。同じ5人でも、意味合いが全く異なる。
 携帯も無線もないこの時代、スコットらはアムンセン隊が既に南極点に達し、とっくにレースの勝敗が決していることを知らない。ただし、自分たちが予定よりも随分と遅れていることは十分、認識していた。
 「アムンセンは今どこにいるのか…」
 この時、スコットは間違いなく焦っていた。極点が近づくにつれ、目に見えぬライバルの存在が頭の中で日に日に巨大化していた。当時、世界最強と謳われた英国海軍を中心に編成された英国隊が、北欧の小国に負けるわけにはいかない。「疲れ知らずのバワーズを加えることで、ソリのスピードアップが図れるのではないか」。スコットは危険を犯してでも「南極点一番乗り」を取りに行く、という賭けに出たと思われる。その焦りがスコットから冷静さを奪い、最後の最後に計画を狂わせてしまった可能性が高い。
 スコットが真の探検家であったならば、一か八かの賭けはしなかったはずである。極限の状況下においての賭けとは、敗れた場合、それがそのまま死に直結しかねない。アムンセンは常々、「駄目なら引き返せばいい」という探検家として持つべき冷静かつ柔軟な考え方を備えていた。しかしスコットは探検家というよりもむしろ軍人であった。それも、誇り高き英国海軍の。
 この決定に関して、スコットらと氷河の上までソリを曳いて基地に帰還した隊員の一人は、後に発表した回想録の中で「スコットは一人でも多くの仲間を極点まで連れていってやりたかったのではないか」と遠慮がちに感想を述べている程度で、スコットの日記を含む全ての資料が100年もの間、沈黙を貫き通している。スコットの南極点への旅が探検であると同時に軍事行動的な性格を備えていた上、失敗に終わったことを考えれば、その沈黙もある意味仕方がない。そのため今もスコットのこの変心の理由は、推測する以外方法がないのである。