■17の時、32歳も年上のヘンリー8世に見染められたキャサリン・ハワード。貧しい貴族の家に生まれ、まともな教育を受けずに育った少女は王との出会いからわずか半年後、イングランド王妃となった。贅沢な食事がテーブルに所狭しと並べられ、ドレスや宝石など、欲しいものは何でも与えられた。少女の身に突然訪れた夢のような暮らし。しかし結婚からわずか1年後のある日、結婚前の奔放な性生活ぶりを暴露する密告文が宮廷に届いた
●サバイバー●取材・執筆/手島 功
カンタベリー大主教トマス・クランマーはハンプトンコート宮殿にキャサリンを訪ねた。突然発覚した王妃キャサリンの大スキャンダル。クランマーはこの醜聞をカトリックの大貴族ノーフォーク公ならびにハワード家の人々を宮廷から一掃する千載一遇のチャンスと捉えた。キャサリンは心身ともに衰弱し、一日中すすり泣きながら辛うじて軟禁状態を生きながらえていた。
密告文をまとめ、それがヘンリーに届くよう仕向けたクランマーは優しい表情でキャサリンに近づき、王と出会う前の出来事を尋ねた。キャサリンはまさか目の前にいる男が自分を地獄に突き落とした張本人だとも知らず、聞かれるがまま過去の記憶を洗いざらい話し始めた。それはクイーンの過去として真におぞましい内容だった。キャサリンは処女ではなかったどころか、寄宿舎生活中、フランシス・デラムという男と夫婦同然に暮らしていた時期があった。
クランマーは頭を巡らせた。仮にキャサリンがそのデラムと言う男と結婚の約束を交わしており、その婚約が解消されていないのであれば、キャサリンは今も婚約中。であれば王との結婚はなかったことにできる。キャサリンは宮廷を追放されることになるだろうが、死罪は免れる。ヘンリーとキャサリンはそもそも結婚していないことになるため王妃の不義密通は成立しない。よって、ヘンリーの面子も保たれる。
ところがこの時、キャサリンはクランマーが目の前に垂らした命綱を自らはねのけるように頑なに「デラムとの結婚の約束はなかった」と主張した。それどころか自分はデラムから性的暴行を受けていたのだと供述を翻した。それによって王妃の座にあり続けられると考えたのかどうかは不明だが、キャサリンはかつての恋人、デラムを売った。
救いのシナリオを無駄にされたクランマーは、デラムの尋問を強化する以外になかった。キャサリンはその後、ハンプトンコート宮殿からサイオン修道院へと移送され、そこで厳重な監視下に置かれた。
デラム、陥落
ロンドン塔に連行されていたデラムに対する拷問が始まった。「王妃と肉体関係があったか否か」が執拗に問われた。あったと答えれば命はない。デラムは否定し続けた。指の生爪が一つ、また一つと剥がされていった。痛みに耐えかねたデラムは遂に「あった」と答えた。デラムはラックという拷問台に移され、さらに尋問が続いた。「王妃との関係は今も続いているのか」「キャサリンが王妃となって以降は一度もない」「嘘をつくな。王妃の寝室に忍び込んでいる男がいるという証言がある。お前だろう」。カタカタと不気味な音を立ててローラーが回された。四肢が上下に引っぱられデラムはたまらず悲鳴を上げた。「俺じゃない…」「お前ではない? 別に誰かいるというのか。誰だ。名を言え」。意識が薄れていく中、デラムは落ちた。
「カルペパーだ」。
取り調べをしていた男の顔が強張った。
「カルペパー? トマス・カルペパーか。アシャーの…」
トマス・カルペパー。アシャー(usher)と呼ばれ王の身の回りの世話をする、ヘンリー自身も可愛がっていた27歳の若者だった。すぐにカルペパーが逮捕され、彼の部屋が捜査された。引き出しからキャサリンが送った熱烈なラブレターが見つかった。尋問を受けたカルペパーはキャサリンの女官に手引きさせ、夜陰に紛れて何度もキャサリンの寝室に忍び込み、危険な逢瀬を重ねていたことを白状した。
「貴様、自分が何をしたか分かっているのか」と詰め寄られると「俺から誘ったわけじゃない。誘ってきたのは彼女だ…」と開き直った。一方、尋問を受けたキャサリンの女官、ロッチフォード夫人も拷問を恐れ、全てを白状した。そして「王妃に頼まれて何度か逢瀬の手引きや見張りをしました。何度もお断りしたのに許してもらえなかった」と泣きながら弁明した。
報告を受けたクランマーは監禁されているキャサリンを訪ね、事の真偽を確かめた。キャサリンはやつれた顔に少し笑みを浮かべながら「カルペパー様は私のことをいつも可愛い小さなおバカさんって呼んで下さるの」と答えた。正気を失っているようだった。クランマーは既に彼女を救う方法がないことを悟った。直ちに裁判が開かれ、デラムとカルペパー、ロッチフォード夫人、そしてキャサリンの4人は国家反逆罪で有罪となり、死刑判決が言い渡された。デラムとカルペパーはタイバーン処刑場(現マーブルアーチ)にて四つ裂きの上断頭、ロンドン橋に晒し首。ロッチフォード夫人とキャサリンはロンドン塔敷地内での断頭。
悲しき練習
1541年12月10日、デラムとカルペパーが処刑された。カルペパーはヘンリーに近かったことから断頭刑のみに減刑。しかし日頃から横柄で宮廷内に敵が多かったデラムは判決通り、最も過酷と言われる四つ裂きとされた上、刎ねられた首はカルペパーのそれと一緒にロンドン塔南端に晒された。
キャサリンの処刑日は2月13日と決まり、2月10日、バージ(平底船)でロンドン塔に移送された。
ロンドン橋の下をくぐる時、その南端にデラムとカルペパーの首が晒されていることを知らされ、激しく動揺した。ロンドン塔に到着すると反逆者の門をくぐって敷地内に入った。処刑までの3日間を厳重な監視の下で過ごす。処刑前夜、キャサリンは「練習をしたいので断頭台を貸してもらえないか」と願い出た。王妃として恥ずかしくない最期を遂げたいとの思いからだった。
断頭台がキャサリンの部屋に運び込まれた。キャサリンは自分の首を断頭台に置く練習を何度も繰り返した。ヘンリーは本気だ。もはや慈悲は期待できない。キャサリンに出来ることは最期のスピーチをやり遂げ、立派に死ぬことだけだった。
断頭台に首を置きながら、キャサリンはわずか2年の間に起こった目まぐるしい出来事の数々を思い起こしていた。デラムと幼稚な夫婦ごっこに熱中していた日々。突然宮廷に呼び出され、王の愛人として過ごした日々。巨漢老王の欲望に身を任せているうちに突然目の前に用意された王妃の座。年の違わない侍女や王の身の回りの世話をする若い男性たちと戯れる無邪気なひと時。カルペパーとの危険な逢瀬。甘美で煌びやかな映像が走馬灯のようにキャサリンの脳裏を駆け巡った。
最期のスピーチ
1542年2月13日、月曜朝7時。部屋のドアがノックされた。既に身支度を終えていたキャサリンはそっとドアを開けた。暗闇に神父や守衛らの顔が浮かんだ。建物の外に出るとまだ辺りは真っ暗だった。その中をキャサリンたちはおずおずと歩みを進めた。
ホワイトタワーの北側に処刑台が組まれていた。6年前、従妹のアン・ブリンが処刑されたのと同じ場所だった。周囲の人に支えられつつ階段を上ると、既にロッチフォード夫人が到着しており、無表情でキャサリンを見詰めていた。処刑台の周りにはごく一部の関係者のみが集まっていた。貴族としての教養や気品を備えず、17歳で突然ヘンリー5番目の妻となったキャサリンに深い愛情を抱く者は少なかった。しかし32歳も年上の老王に見染められたがため、わずか19歳で首を刎ねられる少女の姿は誰の目にも痛ましく映った。
静まり返ったロンドン塔。「善良なるクリスチャンの皆さん…。私は死ぬためにここに決ました…」。キャサリンは声を震わせながらも最期のスピーチをやり遂げた。そして断頭台の前に歩み寄ると少しだけ明るくなり始めた空をゆっくりと仰ぎ、そっと呟いた。
「王妃としてより、カルペパーの妻として死にたかった」。
周囲の動揺をよそにキャサリンはゆっくりとひざまずき、断頭台の上にその細くて白い首を置いた。次の瞬間、斧がキャサリンの首めがけて勢いよく振り下ろされた。
彷徨うキャサリンの魂
キャサリンの一家はイングランドの大貴族ハワード家の系譜でありながら父親が3男だったため家督を継がせてもらえず金銭的に困窮した。口減らしのためにキャサリンは5歳で祖母宅に出され、貴族の子として教育を受けることもなく、大人たちの目もそれほど届かない環境の中で自由奔放に育った。17歳の時、伯父の第3代ノーフォーク公から宮廷に出仕するよう命じられた。時の国王ヘンリー8世に見染められ、わずか半年後にはイングランド王妃となった。そのまま王子を産んで幸せに暮らしたのであれば真のシンデレラストーリーであったが、王妃となった自覚に乏しく、その無分別や軽率さが命取りとなった。とはいえ宮廷へのお召しさえなければ、そのままデラムの妻となり、小さな幸せを手に入れていたのかもしれない。結局はチューダーと言う激動の時代と、大人たちの身勝手な都合に翻弄された19年の生涯だった。
かつてキャサリンがヘンリーを探して必死に駆けたハンプトンコート宮殿の廊下では、今も彷徨うキャサリンの霊が何度も目撃されている。(了)
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本誌編集部が制作したキャサリン・ハワードの動画「暴かれる過去(前編)」と「裏切りの代償(後編)」をユーチューブで観よう!
週刊ジャーニー No.1258(2022年9月22日)掲載