「9日間の女王」の妹 禁断の愛を貫いたキャサリン・グレイ
▲ロンドン塔内で描かれた、 キャサリンと長男のエドワード。

■ エドワード6世の病没後、突如イングランド女王にまつりあげられたものの、わずか9日後にその座から引きずり下ろされ「王位簒奪者」として断頭台の露と消えた、若き女王ジェーン・グレイ。「王位にもっとも近い一族」と言われたグレイ家には、ジェーン以外に2人の妹たちがいた。今号では、グレイ家の次女キャサリンの命を賭けた一途な恋模様を送る。

●サバイバー●取材・執筆/本誌編集部

追い出された13歳の花嫁

絶対王政という強権のもと、英国繁栄の礎を築いたヘンリー8世。しかし同王の亡き後、病弱な息子エドワード6世が9歳で王位を継いだことにより、イングランドは権力闘争と宗教対立が激化していく激動の時代に突入した。様々な思惑が錯綜する中、その荒波にもっとも大きく翻弄されたのが、サフォーク公爵家の長女ジェーン・グレイだ。ナショナル・ギャラリーに展示されている絵画でも知られる彼女の生涯は短くも劇的で、「9日間の女王(9Days Queen)」の名は歴史に深く刻まれている。

そのグレイ家には、彼女以外にも2人の娘がいた。1537年に生まれたジェーンに続き、1540年に次女キャサリン、1545年に三女メアリーが誕生。姉妹の母親はヘンリー8世の妹の娘にあたり、イングランドにおいてグレイ家は王家にもっとも血縁の近い一族であった。

ジェーンが反逆罪でロンドン塔へ幽閉されたとき、次女のキャサリンはまだ13歳。しかし、姉が婚姻する際に合同結婚式を挙げており、すでに「人妻」となっていた。夫のペンブローク伯爵家の嫡男ヘンリー・ハーバートは15歳、彼の母親はヘンリー8世の6番目の妻キャサリン・パーの妹で、グレイ家姉妹の王位継承権とプロテスタント信仰をさらに強めるための政略結婚であった。ペンブローク伯爵家はジェーンの投獄の報を耳にすると、すぐさまキャサリンを切り離すことを決断。2人は夫婦関係のない「白い結婚」だったとして、婚姻無効を教会へ訴えた。

訴えは認められ、実家に戻されたキャサリンだったが、「反逆者を出した家の娘」と蔑まれ息を殺すような毎日を送るかと思いきや、意外にもその生活は何不自由のないものとなる。それは母親、フランセスのおかげだった。

1554年2月12日、ジェーン・グレイはロンドン塔のタワーグリーンにて処刑された。享年16。

予想外の女王の寵愛

ヘンリー8世の最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンが王家に嫁いできたのは、フランセスの母にあたるメアリー王女が5歳のときのこと。2人は本当の姉妹のように仲良くなり、同妃は娘を出産すると、王女の名前にちなんで「メアリー」(のちのメアリー1世)と名付けたほどだった。ヘンリー8世がキャサリン・オブ・アラゴンとの婚姻無効訴訟を起こした際には、王女は同妃をかばい、兄に激しく抗議し対立している。そうした経緯から、ジェーンの処刑後に「正当な王位継承者」として即位したメアリー1世とフランセスは従姉妹という関係にとどまらない、母たちから受け継いだ強い絆で結ばれていた。

メアリー1世は、没収したグレイ家の財産の一部をすぐにフランセスへ返還し、女王付きの侍女として娘ともども王宮に出仕させた。女王の庇護下にある彼女たちを悪く言える者はいなかったのである。

運命の出会い

キャサリン・グレイ(中央)が13歳で結婚した最初の夫ペンブローク伯爵ヘンリー・ハーバート(右)と、極秘婚をした2番目の夫ハートフォード伯爵エドワード・シーモア(左)。

だが、穏やか日々は長くは続かない。病に倒れたメアリー1世の在位はたった5年で幕を下ろし、エリザベス1世が即位すると状況は一変。新女王は、グレイ家を快く思っていなかったからだ。ヘンリー8世の直系の子どもはもうおらず、もしエリザベスに何かあれば、次に王位を継ぐのはキャサリン・グレイ。ジェーンのように、王位を狙う者に担ぎ出されては困る…。そう考えたエリザベスは、キャサリンを厳重な監視下に置いた。

一方、グレイ家とは反対に女王の交代によって「怒り」が解けた一族もいた。亡きエドワード6世の母の実家、シーモア家(サマセット公爵)である。かつては縁戚として若年の国王の後ろ盾となって権威を振るったが、政権闘争に敗れ、当主はロンドン塔で斬首刑に処されている。一族は爵位を剥奪されて不遇の生活を送っていたものの、エリザベスの即位時に恩赦でハートフォード伯爵位を授与された。そのシーモア家の嫡男エドワードが、宮廷に返り咲いたのである。

引き続き侍女の仕事を任されるも、それは行動を監視するためであり、息が詰まるような王宮生活を送るキャサリン。そして復位が叶ったとはいえ、他の貴族から遠巻きにされるエドワード。ともに肉親を刑死で失っている20歳と21歳の若い2人は、あっという間に恋に堕ちていった。

秘密の露呈

エリザベスの侍女の一人が、キャサリンの異変に気づいた。

「いつも具合が悪そうだし、食欲もないみたい。それに身体つきがふっくらしてきたのではないかしら。まるで妊娠でもしているようだわ」

もしかして子どもが? でも彼女は結婚していないはず…。当時、王族の血を引く者の結婚には、君主の許可が必要だった。エリザベスがまだ婚姻を結んでいなかったため、王位継承順位1位のキャサリンの結婚はイングランドの未来を決めるほどの「一大事」だ。しかし、かつて王室を揺るがした両家の婚姻が認められるはずがない――追い詰められた2人がとった手段は、なんと「極秘婚」。エリザベスに無断で、秘密裏に夫婦となったのである。こっそりと王宮を抜け出したキャサリンとエドワードは、牧師とエドワードの妹の立ち合いのもと、ささやかな結婚式を挙げた。1560年12月、クリスマスを数日後に控えた夜のことだった。

キャサリン妊娠の噂は、凄まじい勢いで宮廷内を駆けめぐった。焦ったキャサリンはエリザベスへの取り次ぎを頼むが、誰もが巻き込まれることを恐れて手を貸してくれない。エドワードは仕事でイングランドを離れており、孤立無援の彼女が藁をも掴む思いですがったのは、女王の恋人ロバート・ダドリー――姉ジェーンの夫の兄、つまりかつてキャサリンの義兄であった人物だった。

「ロバートお義兄様、どうか女王陛下にお取次ぎをお願い申し上げます!」

極秘に結婚していたことを告白した後、床に膝をつき、髪を振り乱して頭を下げるキャサリンを不憫に思ったロバートは、翌朝エリザベスに事の次第を伝えた。

事情を聞いたエリザベスは、当然ながら激怒した。

「あの恩知らずが! これは反逆である。直ちにロンドン塔へ投獄せよ!」

キャサリンはすぐさまロンドン塔へ、帰国したエドワードはロンドン塔内の別の建物に幽閉された。キャサリンは間もなく男児を出産したが、正当な手順を踏んでいれば王位継承順位2位となるはずの子どもは、2人の婚姻無効が宣告されたことにより「私生児」とされ、王位継承権を失った。

さらなる裏切り

「お粗末」と言える発覚の仕方から鑑みて、2人に王位簒奪を目論むような意図がないことは明らかだった。王位継承者としての自覚がキャサリンにあるのかどうかは疑わしいものの、ほとぼりが冷めたら彼女を釈放することも考えられていた。

ところが1563年、そうしたエリザベスの温情を無にする出来事が起こる。看守の手引きで2人は密会を重ね、キャサリンが次男を生んだのだ。激高したエリザベスは、キャサリンと生後間もない次男をグレイ家の親戚宅に閉じ込め、エドワードと長男はシーモア家の別邸に監禁するよう命じる。2人は二度と会うことなく、キャサリンはその5年後の1568年、結核で死去。27年の生涯にそっと幕を下ろした。

一方エドワードはというと、キャサリンが世を去った後に自宅監禁を解かれ、宮廷に復帰している。しかし、なかなか要職に就くことは叶わなかった。43歳のときに秘密裏に再婚。のちに婚姻の事実を公表し、キャサリンが残した2人の息子たちを養子に迎えて「嫡出子」にしようと企てるも、再びエリザベスの逆鱗に触れ、ロンドン塔に投獄された。だがエドワードは懲りず、もはやエリザベスが絶対に婚姻の許可を出さないことがわかっていたため、今度は40歳下の若い妻と極秘に再々婚している。

キャサリンとの間以外に子どもはできず、81歳の長き人生を終えたエドワードは、ソールズベリー大聖堂内に建設したシーモア家の礼拝堂に、キャサリンとともに眠りについている。

ソールズベリー大聖堂のシーモア家の礼拝堂。中央手前に横たわる像がエドワード、一段高い奥にいるのがキャサリン、左右で跪いているのは2人の息子たち。
© Jules & Jenny

グレイ姉妹の3女、メアリーの生涯

波乱万丈な姉たちに対し、グレイ家の末っ子メアリーは、どんな一生を過ごしたのだろうか?

 長姉ジェーンが処刑されたとき、メアリーは8歳だった。母フランセスと次姉キャサリンがメアリー1世の侍女として仕官すると、王族に次ぐ身分を持つ未亡人との結婚を狙う男性が絶えず、娘たちの王位継承権を維持するためにフランセスは自身の主馬頭と再婚。幼いメアリーを連れて王宮を辞した。フランセスは1559年、キャサリンが極秘婚する前に世を去っている。

母の死後、姉に続き王位継承順位2位であるメアリーは、エリザベスの召喚により女王付きの侍女として出仕。そうした中で彼女が惹かれたのは、6人以上の子持ちで20歳上の筋骨たくましい要塞隊長だった。あまりの身分差から、女王の結婚許可は得られないと思ったメアリーは、姉と同様に「極秘婚」を選択。ただ、のちに秘密が露呈したときに婚姻無効とされないように、エリザベスの不在時を狙って多くの立会人のもと挙式した。

だが、秘密を知る人が増えれば情報も漏れやすくなる。わずか1ヵ月ほどで女王の知るところとなり、夫は衛生環境の悪い監獄へ送還され、メアリーはグレイ家の親戚宅で幽閉処分となった。1578年、33歳で病死。これにより、エリザベスの後継者の座はヘンリー8世の姉の血筋である、スコットランド女王メアリー・スチュアートの息子へと譲られることになる。

週刊ジャーニー No.1214(2021年11月11日)掲載