■ 今となってはハロウィンの仮装や童話の主人公として人気の「魔女」だが、数百年前のヨーロッパでは、キリスト教の教義に反する「異端者」だった。魔女とされた人々は迫害され、残忍な拷問の末に殺害される「魔女狩り」が横行。魔女探しや尋問を代行して荒稼ぎする輩まで現れた。今号では「魔女狩り将軍(Witchfinder General)」と呼ばれた英国の悪名高き人物、マシュー・ホプキンスを取り上げる。
●サバイバー●取材・執筆・写真/ネイサン弘子・本誌編集部
稀代の詐欺師
マシュー・ホプキンスは、裕福な清教徒の聖職者の四男として、サフォークのグレート・ウェンハムで1619年頃に生まれた。弁護士を目指していたものの、実際には弁護士としては成功していなかったといわれている。
やがてウェンハム近郊にあるエセックスのマニングツリーに移り住み、亡き父親の遺産で家を購入。その地で、彼は当時のスコットランド王ジェームズ6世(後のイングランド王ジェームズ1世)が1597年に発刊した、魔女の見分け方などを解説した著書「悪魔学(Demonology)」や、1612年にランカシャーで起きたイングランド最大の魔女裁判「
」の詳細を記した本「ランカスターの魔女の驚くべき発見(The Wonderful Discovery of Witches in the County of Lancaster)」など、魔女に関する本を読みふけった。そして、それらの本から得た魔女に関する知識と自身の持つ法律の知識を駆使し、自ら「魔女狩り」に乗り出すことを思いつく。英国では、魔女は1563年から「違法の存在」と法律で定められており、魔女を発見しそれを証明した者に報酬を支払っていた。ホプキンスにとって、魔女狩りは「割のいい金稼ぎ」だったのである。
最初の犠牲者
1644年、20代半ばで魔女狩りを始めたホプキンスの最初の犠牲者は、エリザベス・クラークという片足の老婆で、かつて魔女として絞首刑にされた女性の娘だった。ホプキンスは、のちに発行した自著「魔女の発見(The Discovery of Witches)」の中で、この事件を次のように語っている。
1644年3月、マニングツリーに恐ろしい魔女の一派が住んでおり、金曜の夜にホプキンスの家の近くで魔女集会(サバト)を開く様子を目撃した。しかし、集会を盗み聞きしたことがバレて脅されたため、魔女の一人、エリザベスを捕らえて監禁。食事も睡眠もとらせなかったところ、弱り切ったエリザベスは4日目の夜、ついに自身が魔女であると認めたという。ホプキンスは「彼女は悪霊を楽しませ、夜はベッドを共にしている。また彼女の身体には、通常の女性にはない3つの乳首があった」と証言した。エリザベスは魔女と断定され、母親と同じように絞首刑になっている。
エリザベスの自白で魔女のでっちあげに成功したホプキンスは気を良くし、さらに収入を増やそうと画策。村人に魔女を糾弾するよう呼びかけて、「議会からの特別な依頼を受け、この国から魔女を一掃する」と吹聴しはじめた。1641年頃から起きた清教徒革命を含むイングランド内乱により、法と秩序が崩壊する中で、悪魔崇拝を嫌う教会と魔女を恐れる村人の気持ちを利用した「ビジネス」の誕生だった。
彼の尋問法は、次第に残酷さを増していく。他者に苦痛を与えることに喜びや興奮を覚えるサディストのジャック・スターンら助手を数人雇い、「魔女狩り将軍」としてあっという間にその名を轟かせていった。
針攻め、水攻め、歩行攻め
当時ほとんどの村には、魔女と噂される老婆がいたのでターゲットはすぐに見つかった。また、噂話に耳をたて、村の嫌われ者や、時には聖職者も標的にした。尋問方法は魔女嫌いのジェームズ1世の妄想で描かれた「悪魔学」などを参考にし、次のような方法で魔女の烙印を押した。
「魔女の印」――悪魔と契約を結んだ魔女には、その証として身体に悪魔の印があるとされた。その印は刺されても痛みを感じず血が出ないため、身体中のあらゆる痣やシミ、ほくろに魔女刺し専用の針「witch-pricking needles」を突き刺して悪魔の印を探した。身体中にさんざん針を刺し苦痛を与えた挙句、最終的には先端の尖りが鈍く、身体に押しつけると針が柄に引っ込む細工がなされた偽針を使い、『血が出ない』として魔女の印との判定を下した。
「スイミング・テスト」――ホプキンスが最も好んでいた方法で、水は聖なるもので邪悪な魔女を受け入れないため、「水に浮く者は魔女」とした。被告人を池や川に沈め、橋の上や池の両側からロープで引っ張ることで沈めたり浮かべたりの苦痛を与えながら、最終的には沈ませずに魔女と判定した。
「歩行攻め」――裸にした被告人を冷たい石の床の上で素足で歩かせ続ける。倒れても無理やり立たされ、自白するか足に水ぶくれができて血が出るまで、休むことなく歩き回らされた。
「放置」――テーブルやスツールの上にあぐらをかいた状態で座らされ、紐で身体を拘束。痙攣や痛みがでるまで放置された。
これらの拷問は、当時ヨーロッパ大陸で行われていた拷問ほど残虐ではないとされているから驚きだ。拷問を受けた被害者の多くは、苦痛で意識が朦朧とした状態で自白を強要され、魔女であることを認めてしまう。自白に必要なのは、でっちあげられた話にうなずくか、一言「はい」と発するだけ。あとはホプキンスと助手たちが好き勝手に詳細を埋めていった。告発内容のほとんどは、魔術による殺人や疫病の拡散、悪魔の集会に参加した、悪霊を楽しませた、悪魔と契約した…というものであった。
魔女と認めることは死を意味し、罪人は市中引き回しの上、村や町の広場・刑場などで見せしめのように生きたまま火あぶり、絞首刑に処された。娯楽の少なかった当時、公開処刑は市民の怖いもの見たさと好奇心を満たす残忍なイベントだったのだ。
死神のビジネス
ホプキンスは「議会からの依頼」と称して、高額な報酬を支払わせるために市民から特別税を徴収するよう要求することもあった。記録によると、サフォークのストウ・マーケットでは、平均賃金が1日わずか6ペンスだったのに対し、彼は28ポンドもの報酬を得ている。その理由として、魔女を探し出すには高度な技術を要し、魔女と対峙するときには危険もともない、少なからず勇気が必要であるからと説得力のない説明をしている。
まるで死神のごとく現れ、短期間の間に村から村へものすごいスピードで歩き回り荒稼ぎしたホプキンス。だが、このような強引なやり口が長く続くはずがないのは明白で、やがて魔女狩り将軍に対する人々の反応は、恐れから反感へと変わっていった。
1646年の終わり頃から、ホプキンスに対する風当たりが強くなり、ついに牧師のジョン・ゴールが、勇気を持って彼を批判する。ホプキンスが自分の町にやってくることを知ったゴール牧師は、彼の過剰な拷問の証拠を集めはじめた。その調査結果とホプキンスを非難する内容を「魔女と魔術に触れた良心の事例集(Select Cases of Conscience Touching Witches and Witchcraf)」という本にまとめて発表。「顔にしわがあり、眉間に毛があり、唇に毛が生えていて、歯が抜けていて、目がぎらぎらしていて、声がキーキーしていて、毒舌で、背中にゴツゴツしたコートを着ていて、頭に髑髏の帽子をかぶり、手に紡錘を持ち、傍らに犬や猫を連れている老婆は、すべて魔女の疑いをかけられるだけでなく、宣告される」と記された内容には説得力があり、世論が動いた。ホプキンスは牧師が住むグレート・スタウトンを訪れないようにしていたが、みるみるうちに信用を失い、同年末頃には彼の悪名高いキャリアが始まったマニングツリーに戻ることを余儀なくされた。
翌1647年、ホプキンスは自分を正当化するかのように、先述した著書「魔女の発見」を発表するものの、世論を覆すことはできなかった。
血塗られた名前
その後のホプキンスはというと、魔女であると告発され、魔女のリストが載っている本を盗んだ罪で起訴された後にスイミング・テストによって溺死した、または水に浮いて魔女と判定されて絞首刑に処された――という説がある。しかし、そのような裁判記録は残っておらず、彼の助手であったスターンによる著書「魔術の確認と発見(A Confirmation and Discovery of Witchcraft)」の中では、「長い病の後、マニングツリー近郊で安らかに亡くなった」と記されている。1647年8月12日に埋葬されたという教会の記録も発見されているので、今では病死であったとの見方が強い。埋葬地では、魔女の安息日に近い金曜日の夜になると、ホプキンスの亡霊が池周辺を彷徨うと言われており、確かに彼が安らかに眠っているとは考え難い。
当時の英国には彼のほかにも魔女狩りを生業とする悪党や、拷問を専門商売とする輩が存在したが、たった3年の間に230人以上もの無実の人々を処刑台に送った血塗られたホプキンスの名は、他のどの魔女ハンターよりも英国の暗黒史に強く刻まれている。
現在もカルト的人気を誇るフォーク・ホラー映画「Witchfinder General」
ホプキンスを主人公にした映画といえば、1968年公開の半伝記ホラー「Witchfinder General」。民話や伝承をもとにしたフォーク・ホラーの元祖といわれる作品で、今でもカルト的人気を誇っている。
ホプキンスを演じたのは、ホラー映画で活躍した米俳優ヴィンセント・プライス。魔女狩り当時のホプキンスは20代半ばだったので、当時50代のプライスが演じるには歳をとりすぎているが、冷酷さと不気味さを増すには効果的だったようだ。
ちなみに、プライスの遺作は彼の大ファンだというティム・バートン監督の「シザー・ハンズ」(1990年)で、ジョニー・デップ演じるエドワードの生みの親である発明家を印象深く演じている。
本作はホプキンスに恩人を殺され、恋人を捕らえられた若きイングランド兵士による復讐劇だが、冷酷なエロおやじ風に描かれたホプキンス、乗馬や酒場での乱闘シーンなど、西部劇のような独特の世界観にはまる人は少なくない。
「Witchfinder General」は、「ドライヴ(2011)」でカンヌ監督賞を受賞したニコラス・ウィンディング・レフン監督がリメイク権を獲得したと2019年に報じられたが、続報は届いていない。
週刊ジャーニー No.1212(2021年10月28日)掲載