王配として99年を生き抜いた フィリップ殿下の
生涯
フィリップ殿下の逝去後、ピカデリー・サーカスに大きく掲げられた遺影

■エリザベス女王の最愛の夫、エディンバラ公フィリップ殿下が4月9日に99歳でこの世を去った。フィリップ殿下といえば、思ったことをそのまま口にする性格で失言が多々あり、英王室のお騒がせメンバーというイメージがあるが、逝去に際して、波乱万丈の子供時代や自身のキャリアを犠牲にして女王の支えに徹してきたことに改めてスポットが当たった。2021年6月10日は、フィリップ殿下が存命なら百歳となっていたはずの日でもある。この誕生日にあわせて、今回は彼の若き日を中心に、その生涯を振り返ってみたい。

●サバイバー●取材・執筆/名取 由恵

歴史に翻弄された幼少時代

フィリップ殿下の紋章。
左上:デンマーク王室との縁を示す。
右上:ギリシャ王室との縁を示す。
左下:マウントバッテン家を示す。
右下:岩の上に建つエディンバラ城。

4月17日午後2時45分、フィリップ殿下の棺を載せたランドローバーがウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂に向かった。その後ろをチャールズ皇太子やウィリアム王子など英王室メンバー、最後にベントレーに乗ったエリザベス女王が続く。葬儀を中継したBBCの司会者ヒュー・エドワーズ氏は「生涯を通して、エリザベス女王の二歩後ろを歩んでいた殿下が初めて―最初で最後となるのですが―女王より先に進んでいます」と解説した。その言葉通り、フィリップ殿下の生涯はエリザベス女王を常に後ろから支えるものだった。

フィリップ・マウントバッテンは、1921年6月10日にギリシャ王国のコルフ島で生まれた。父親はギリシャ王国ゲオルギオス1世の四男アンドレアス王子、母親はドイツの名門貴族バッテンベルク家出身のアリスで、5番目の子供にして唯一の息子だった。ギリシャ王国は19世紀のギリシャ独立戦争で欧州列強の支援を受けてオスマン帝国から独立。デンマーク王家などから王をあてがわれたことから、フィリップの称号はギリシャ王子及びデンマーク王子という言葉を含んでいた。また、母方を通してヴィクトリア女王の玄孫にあたり、英国王位継承権も有していた。

しかし、フィリップが1歳半のときに政変が起き、国王コンスタンティノス1世は退位、アンドレアス王子は追放の身となり、一家は英国王ジョージ5世(エリザベス女王の祖父)の助けでギリシャを脱出した。一説によると、ジョージ5世が亡命に協力したのは、1917年に従弟のロシア皇帝ニコライ2世と家族を革命から救うことができなかったことを後悔していたためといわれる。一家はパリで亡命生活を送ることとなるが、父アンドレアスは愛人をつくってモンテカルロやドイツなどを行き来する一方、1930年には母アリスが統合失調症でスイスの精神病院に入院。4人の姉は次々とドイツ皇族と結婚したため、結果として一家は離散。家族が同じ家に住むことは二度となかったという。

8歳にして孤独の身の上になったフィリップは英国に渡り、母方の祖母ミルフォード=ヘイヴン侯爵夫人ヴィクトリア・マウントバッテンや叔父ミルフォード=ヘイヴン侯ジョージ・マウントバッテンのもとに身を寄せ、教育を受けることになる。なお、一家は第一次世界大戦中に反独感情を鑑みて、ドイツ語のバッテンベルク(Battenberg)から英語風のマウントバッテン(Mountbatten)に改姓していた。

ルイス・マウントバッテン卿Louis Mountbatten, 1st Earl Mountbatten of Burma(1900~1979)。アイルランドでの休暇中に、IRAによって船ごと爆破され非業の死を遂げた。

13歳からはユダヤ系教育者クルト・ハーン氏が創設したスコットランド北部の寄宿学校ゴードンストウン(Gordonstoun)に学ぶ。ここでの規律を重んじる生活は自身の人格形成に多大な影響を与えたと肯定的に捉えていたフィリップは、後にチャールズ皇太子はじめ息子三人を同校に送っている。

しかし、フィリップにさらなる試練が訪れる。1937年、16歳のとき、敬愛していた姉のセシリア一家が飛行機事故で落命する悲劇が起こる。さらに6ヵ月後には叔父ジョージが病死。相次ぐ不幸のなかで、ジョージの弟であるルイス・マウントバッテン卿がフィリップの保護者となる。フィリップにとってルイスは父親代わりのような存在になった。フィリップが海軍に入隊したのはルイスの勧めであり、フィリップとエリザベスの出会いの橋渡し役となったのも彼だった。

運命の出会い

1939年の夏、英国王ジョージ6世は家族を伴って英南西部ダートマスの王立海軍兵学校を訪問する。ゴードンストウン卒業後、士官候補生として海軍兵学校で訓練を受けるフィリップは、ルイス・マウントバッテン卿の手配で、エリザベス王女とマーガレット王女の案内役を務めることになり、ふたりは初めて対面する。リリベットの愛称で呼ばれるエリザベスは13歳、フィリップは18歳。ブロンド、碧眼、ハンサムで背が高く、スポーツ万能のフィリップにエリザベスが一目惚れしたというのは有名な話だ。

海軍兵学校を首席で卒業したフィリップは第二次世界大戦に従軍、ドイツ側の親戚と敵味方となって戦うことになるが、やがて終戦。1945年9月2日に日本の降伏文書調印式が行われた東京湾には、フィリップをのせた英駆逐艦の姿もあった。戦時中、フィリップとエリザベスは文通をしながら親交を深め、エリザベスは海軍制服姿のフィリップの写真を寝室に飾って、彼の無事を祈っていたという。

戦後にふたりのロマンスは花開き、1947年7月9日、バッキンガム宮殿は婚約を発表。21歳になったエリザベスは初恋を実らせての結婚であり、フィリップにとっては幼い頃に奪われた家族との温かな生活を取り戻す機会だった。婚約を前にフィリップは帰化して英国市民権を取り、ギリシア正教会から英国国教会へ改宗。母方の姓マウントバッテンを名乗り、ギリシャ王子及びデンマーク王子の地位を放棄した。1947年11月20日、ふたりは結婚式を挙げ、新たな人生のチャプターへと踏み出すことになる。

苦渋の決断と女王への忠誠

エリザベス2世戴冠式(1953年)の際のポートレート。© Cecil Beaton/Library and Archives Canada

結婚後もフィリップは海軍で活躍し、1949年にはマルタ島に駐在。48年には長男チャールズ、50年には長女アンが生まれ、エリザベスは海軍士官の妻として、しばし時期君主という重責を忘れさせてくれる幸せな生活を送っていた。しかし、その穏やかな暮らしは長く続かなかった。英国王ジョージ6世の健康状態が悪化すると、エリザベスは次第に公務を代行するようになり、1952年には英連邦加盟諸国訪問のために夫妻はケニアへと旅立つ。ところが、ジョージ6世が突然崩御。エリザベスに訃報を伝える役目はフィリップに課せられたという。夫妻は急遽帰国し、エリザベスは若干25歳でエリザベス2世として即位する。

この突然の変化でフィリップは苦しい決断を迫られる。同年には海軍中佐に昇進しており、護衛艦の艦長を務め、将来は海軍トップの第一海軍卿になることが期待されていたが、悩み抜いた末、王配としての役割に徹するために、30歳の若さで退役の道を選んだのだ。自身のアイデンティティでもあった海軍でのキャリアを諦めるのはさぞかし辛いことだっただろう。

さらにフィリップは名字をめぐって苦悩する。当初はマウントバッテン姓やエディンバラ姓を名乗ることを提案したが、メアリー太王太后(ジョージ6世の母)やチャーチル英首相の強い反対にあい、ウィンザー姓のままになったのだ。フィリップは「この国で自分の姓を自分の子供に与えることが許されない父親は私だけだ」と嘆いたといわれる(1960年に子孫はマウントバッテン=ウィンザーと名乗ることになる)。

また、フィリップの称号は「His Royal Highness The Prince Philip, Duke of Edinburgh」でヴィクトリア女王の夫アルバート公のような「Prince Consort」ではなく、共同統治者としての権限はなかった。これは、フィリップにとって痛手だったようだ。海軍での自分のキャリアを犠牲にして英王室に奉仕することを選択したフィリップの気持ちは空回りし、一時期は結婚危機なども伝えられた。生涯において、一度ならず試練に見舞われたフィリップだが、エリザベス即位にからむ一連のできごとを経験したこの時期が精神的にもっともつらいものだったのではなかろうか。

フィリップ殿下の逝去を受け、エリザベス女王の「お気に入りの1枚」として公開された写真=2003年、アバディーンシャーのバラター近郊、風光明媚なことで知られるザ・コイルズ・オブ・ミック(Muick)にて。
© The Countess of Wessex

しかし、夫婦でこれを乗り越え、次男アンドリュー、三男エドワードも誕生。祖国ギリシャで政変により王政廃止になった経験から、国民に開かれた王室を目指すことを助言するなど、良き王配・夫・父親として、常にエリザベス女王の助けとなって、多忙な公務をこなしていく。1956年には世界中の青少年を対象にさまざまな活動を提供するデューク・オブ・エディンバラ・アワード(The Duke of Edinburgh's Award)を設立。数多くの慈善団体のパトロンを務め、2017年に「引退」するまでに2万2200回以上の公務をこなし、英国及び英連邦への貢献度も高く評価されている。

ふたりの結婚生活は73年に及んだ。エリザベス女王は1997年の金婚式でのスピーチで、夫のことを「私の力、私の支え」と表現した。まさにその言葉の通り、エリザベス女王にゆるぎない忠誠を尽くし、英国史上最も長く仕えた王配、そして世紀の純愛物語の主人公として、フィリップ殿下の名前は永遠に記憶されることだろう。

エリザベス女王の治世と英王室を 虚実織り交ぜて描くドラマ『 ザ・クラウン』

©Robert Viglasky/ Netflix

英米共同製作のNetflixオリジナルドラマ『ザ・クラウン』は、これまでにシーズン4まで配信されている人気シリーズだ。シーズン1ではエリザベス(クレア・フォイ)とフィリップ(マット・スミス)の関係に焦点を当て、王配という裏方に徹するフィリップの苦悩や夫婦のすれ違いが綴られる。本作のフィリップはマッチョな性格で、戴冠式で妻である女王の前にひざまづくのを拒否するシーンや、紳士クラブで遊び歩き不倫が疑われるシーンなどもある。ドラマの内容について、フィクションと事実の境い目が曖昧という批判の声もある一方で、ゴールデン・グローブ賞など数々の賞を受賞し、実在の人物を演じる俳優たちのそっくりぶりも絶賛されている。本作の人気の高さは、世界中で英王室への関心の大きさを示すものといえるだろう。

週刊ジャーニー No.1192(2021年6月10日)掲載