■ 善と悪の「2つの顔」を持つ二重人格者を主人公にした、英作家スティーブンソンの代表作「ジキル博士とハイド氏」。実は、この物語にはモデルとなった実在の人物が数人いる。その中のひとりがウィリアム・ブロディだ。今号では、昼は「模範的な紳士」、夜は「ギャンブル好きの強盗犯」として世間をだまし続けた男の驚くべき二重生活と、その終焉を追う。
●サバイバー●取材・執筆/本誌編集部
1785年、スコットランドの首都エディンバラ。エディンバラ城とホリルードハウス宮殿を結ぶメインストリート「ロイヤル・マイル」の一角に建つ工房で、ひとりの男が流れ落ちる汗を拭いもせず、大きな木材を一心不乱に削っていた。手がけているのは、腕が確かな者しか製作することが許されない、人の生死を左右するもの――「絞首刑台」だった。
エディンバラには、市民への見せしめを兼ねて、犯罪者への体罰や拷問が行われる広場が数ヵ所設けられていた。そのうちのひとつが、ロイヤル・マイル沿いに建つセント・ジャイルズ大聖堂に面した広場。そこで新たに絞首刑も公開されることが決まり、その男、ウィリアム・ブロディのもとに絞首刑台の製作依頼が舞い込んだのである。皮肉にも3年後、その台で自分の命が潰えることになるとも知らず…。
信頼あつい「親方」
ウィリアムは1741年、エディンバラの裕福な家具職人の長男として誕生。祖父は法律家で、父親は家具の製作・修理や大工作業のほか、棺の製造を含めた葬祭業も営んでおり、ロイヤル・マイルに軒を連ねる商店の中では「成功者」として頭ひとつ突き出た存在だった。
ウィリアムは幼いころから父に厳しく家業を教え込まれ、やがて店を継ぐと、若くしてギルド(商工業者の組合)の組合長に抜擢される。本名のウィリアム・ブロディではなく、市民からは親しみと敬意を込めてディーコン・ブロディ(「Deacon」は組合長の意味)と呼ばれ、エディンバラ市議会の評議員を務めるまでになった。
昼間は職人や議員としての仕事を積極的にこなす一方、夜は「選ばれた者」だけがメンバーになれる紳士倶楽部で、名曲「蛍の光」を作詞した詩人のロバート・バーンズ、英国王ジョージ4世の肖像画家ヘンリー・レイバーンといった芸術家や街の有力者と交流。忙しくも華やかな生活を送る男性にありがちな、女性や飲酒によるスキャンダルとも無縁で、「紳士の中の紳士」として尊敬を集めた。
しかし、光には影、コインには表と裏があるように、欠点がまったくない「完璧な紳士」などいるはずがない。模範的な人物を演じるストレスとプレッシャーは、知らず知らずのうちに彼の中に蓄積していた。
初めての犯罪
ある日、ウィリアムのもとに銀行の扉のスペアキー作製依頼が入る。スペアキーの製作方法は、まずロウを錠前に流し込んで鍵型をとり、その型にピッタリと適合する金属の鍵をつくるというもの。ウィリアムは錠前技師として街一番の腕を誇っており、それを見込まれての注文だった。
通常なら鍵をつくり終えた後、鍵型のロウは溶かされて次の仕事に使われる。彼もこれまでそうしてきたが、なぜかふと魔が差した。
「これで複製をつくれば、銀行に忍び込めるんじゃないか?」
一度思いついてしまうと、どうやってもその考えが頭から拭い去れない。人々が寝静まった深夜、ウィリアムは複製した鍵を使って銀行にこっそり侵入し、誰にも見とがめられることなく大金を入手。人生初の銀行強盗は、あっさりと成功してしまった。日々の鬱屈を一瞬で振り払うスリルと達成感、そして手にした多額の金…。27歳のウィリアムにとって、この刺激と快感は忘れられないものとなった。
現れた「もうひとりの自分」
何事もなかったかのように、その後も真面目に紳士を演じ続けていたウィリアムに1782年、大きな転機が訪れる。「目の上のたんこぶ」だった偉大な父親の死である。豊潤な遺産と自由を手に入れ、ついに彼の箍(たが)は一気に外れた。抑え込まれていた「もうひとつの顔」が解放されたのだ。
まずウィリアムは多忙を理由に、紳士倶楽部と距離をおく。そして日が暮れると、紳士の証であるウィッグを外し、普段は身に着けない質素な服をまとい、話し方や歩き方も粗野に変えて別人になりきった。評判の良くない酒場に出入りしては、バカ騒ぎしながら浴びるように酒を飲む。カードやダイス賭博に溺れ、コックファイト(闘鶏)場にも足繁く通って、毎晩のように散財した。
やがて酒場で出会った女性と別宅で事実婚状態になり、子供を授かると、「仕事へ出かける」と嘘をついて早朝に自宅兼工房へ帰宅。何食わぬ顔で「紳士」としての生活に戻った。隣人はもちろん、内縁の妻や子供でさえも、その完璧な二重生活に気づくことはなかった。
悪人たちが街を席巻
だが、そうした生活は長くは続かない。父親が残した遺産は底をつき、賭博で抱えた多額の負債は増える一方で、さらに家族を養うための生活費も必要だった。昼間に稼ぐ金だけでは到底賄えない…。追い詰められたウィリアムの頭をよぎったのは、数年前に成功した銀行強盗であった。
手口は以前と同じだ。「金のありそうな客」から家や店の鍵の作製を任されるたびに、忍び込んで現金や金目の物を盗んだ。ときには裕福そうな家を訪問し、盗難防止のために鍵を付け替えたほうがいいと自ら「営業」も行った。当時、空き巣や窃盗は日常茶飯事であったことから、ウィリアムが疑われることはなかったのである。
しかし、ちまちまと小銭稼ぎをしたところで、資金繰りは苦しいまま。
「大金を手に入れるには、『大物』を狙うしかない。そのためには人手が必要だな」
ウィリアムは、窃盗罪で7年の流刑中だったジョン・ブラウン、食料品店を営む錠前師ジョージ・スミス、金遣いの荒い靴屋のアンドリュー・エインズリーに声をかけ、4人で次々と大型高級店を襲うようになる。金細工店、タバコ店、エディンバラ大学内の宝物庫…。「こんなに上手くいくとは!」。ウィリアムは笑いが止まらなかった。
海外逃亡の果てに
まったく足がつくことなく、昼と夜の顔を使い分ける日々が6年ほど過ぎた頃、ウィリアムはついに大胆な強盗計画を立てる。税務局本部への侵入だ。成功続きで慢心もあっただろうが、実は最近別の女性とも新たな家庭を築いたばかりで、2人の妻と5人の子供を抱える身のウィリアムには、金がいくらあっても足りない状況だったのである。そして、この計画が彼の二重生活を破綻させることとなる。
ウィリアムを含む4人は、深夜に税務局本部を襲撃。ところが想像以上に警備が厳しく、犯行は初めて失敗に終わってしまう。目撃証言により、捕まるのは時間の問題ではないか…。そうした不安が胸を渦巻く中、政府から「犯行を名乗り出た者には『恩赦』を与える」という揺さぶりがかけられた。
裏切ったのは、流刑中のジョン・ブラウンだ。彼は恩赦を求めて自首し、2人の仲間ジョージ・スミスとアンドリュー・エインズリーの名前を売った。ウィリアムの名を告げなかったのは、「頭脳役」でもある彼を逃がして、いずれ合流しようと企んでいたからである。ジョージとアンドリューは即座に逮捕され、噂を耳にしたウィリアムはロンドンへ逃亡する。ロンドンから船でオランダへ行き、そこからさらに米国へ渡るつもりだった。
捕まった2人はウィリアムの存在を暴露し、追手がかかる。そして米国への出港を翌日に控えた前夜、宿泊していたアムステルダムの宿屋で、ウィリアムは捕縛された。寝間着姿のまま、泊まっていた部屋のカップボードの中に隠れていたところを発見されるという無様な逮捕劇となった。エディンバラで行われた裁判では、満場一致で死刑が確定した。
1788年10月1日、ロイヤル・マイルに面した絞首刑広場には、4万人もの人々が集まった。当時のエディンバラの人口は5万7000人ほどで、総人口の約7割が集結するという注目度の高さだった。ウィリアムが木材で組まれた絞首刑台の上に立つと、人々の間に大きなどよめきが走る。「本当に彼が犯人だったのか…」。愕然とする者、裏切られたとののしる者、面白おかしく揶揄(やゆ)する者など、様々な声を一身に浴びながら、ウィリアムは3年前に自身が完成させた自信作で47年の生涯を閉じたのであった。
週刊ジャーニー No.1174(2021年2月4日)掲載