●サバイバー ●取材・執筆/本誌編集部

英国で希望する仕事を見つけることの難しさを実感したり、希望する職に就いたとしても、組織に属するがゆえに自分とソリの合わない上司や同僚と一緒に無理して働くうちに自分を見失ってしまったり――。「それだったら、自分が社長になって自分の道を切り拓きたい!」と、「雇われない生き方」を選択肢として考えたことがある人もいるだろう。あるいは一度きりの人生だから誰もやっていないアイディアで社会に旋風を巻き起こしたい! と夢を抱いている人もいるに違いない。

テクノロジー発展の恩恵を受けて、働き方やビジネスの選択肢が無限に広がり、インターネットにさえつながれば開業資金が少なくとも手軽にビジネスを始められる時代でもある。極論をいえば、ビジネスそのものは今すぐにでも始められるし、英国で会社を設立するのは簡単といわれている。実際のところ、英国では1年間に新設される法人の数がおよそ67万社にのぼる。日本の12万8610社(2018年/東京商工リサーチのウェブサイトより)と比較してもその差は歴然だ。

経験と知識、人脈、スキルをフル活用して夢に挑戦する自分を妄想するだけでワクワクは止まらない!? とはいえ、良いアイディアが突然降り注いできたから、今の現状が不満だからとやみくもにスタートしたとしても、成功や幸せが約束されるわけではない。スタートアップ企業が「雨後の筍」状態の英国では、新設法人のうち60%が3年以内に、20%が1年以内に閉業してしまうという(テレグラフ紙より)データもあるとされ、現実はシビアだ。

そこで見切り発車する前に知っておきたい起業のあれこれ。どのようにビジネス計画を立てるか、どうすれば利益を上げられるかといったノウハウは、専門のビジネス書に譲るとして、今回の特集では英国での会社運営に必要な基本情報(前編)と、英国での起業例(後編)を紹介したい。自分の夢にチャレンジしたいあなたも、自分の人生設計を見直したいあなたも、一緒に「起業」について考えてみよう。


「会社を作る」ってどういうことですか?

■ 向かった先は、会計監査・総合コンサルティング大手の「PwC(プライスウォーターハウスクーパース)」。ロンドン・オフィスで活躍中の方々に話を伺った。

ご協力いただいた「PwC」の(右から順に)英国ジャパニーズビジネスネットワークリーダー、パートナーの小堺亜木奈氏、国際税務担当マネジャーの田中聡史氏、シニアアソシエイトのジョセフ・リース氏、グローバルモビリティー及び個人所得税担当シニアマネジャーのプレスマン彩氏。
PwC


監査、アドバイザリー、税務及び法務に関するサービスの提供を通じて、企業経営を多角的にサポートする。世界最大の会計・税務事務所といわれ、世界158ヵ国に23万6000人以上のスタッフを抱えている。

会社にする? しない?

まず前提として、「ビジネスを始める」=「会社を設立する」ではない。事業形態には会社(limited company)のほか、個人事業主(sole trader/self-employed)、パートナーシップ(partnership 組合=経営者2人以上)などいくつか考えられる。一般的に、「会社(法人)」と呼ばれるのはリミテッド・カンパニーだが、もちろん会社を作らなくてもビジネスは始められ、個人事業主ならば会社に義務付けられる面倒な手続きも通常は必要なく、税金を納めるなどの最低限の法令を遵守すれば事業に関わる決定など経営者としての判断で自由に行うことができる。雇用も可能だ。となれば、わざわざ会社にする必要はあるのか? 会社設立を考える切り口として、主に次のような項目が挙げられるという。

・信用度 … 「ビジネスの相手が個人であれば個人事業主でも支障はないかもしれませんが、法人であれば会社形態の方が信頼を得やすいと言えます」。例えば、出版社の場合は個人よりも法人の方が信用を得やすいのが一般的。一方で、自宅でケーキ教室を開く場合、形態が与える影響は少ないことが想像される。

・リスク … 「ビジネスは必ずしもすべてがうまくいくとは限らず、常にリスクが付きまといます。例えば個人事業主のケーキ屋さんで、商品を食べた人の体調が悪くなり訴訟問題に発展してしまうと、責任がすべて事業主にかかってしまいます」。極端な例を挙げると、個人事業主の事業が失敗して借金を抱えた場合、事業主が負債責任を無限に負い、自らの財産を用いて返済することになってしまう。だが、法人の場合の責任は有限。個人の資産と会社の負債は切り離して考えられるという。ならば会社形態の方が良いような気がするが、どうやらそうとは言い切れなさそうだ。その理由は…。

・コストと手間 … 「会社と個人とでは税金や遵守すべき法令の仕組みが変わってきます。会社になると法人税等の支払いが生じるだけでなく、一般的には、会社の方が税務・法務・会計関係の法令遵守に伴う会社維持費が多額になることが想定されます」。つまり、会社の場合、遵守すべき事柄が増え、書類などを作る手間がかかり、結果としてコストが増えることになる。なお、雇用に関する法令は、事業形態に拘らず一人でも雇用した時点で遵守する義務が発生してくるようだ。

会社を設立することのメリットデメリットはケースバイケースなので、以上の点を念頭に検討して、状況にぴったりの形態を選ぶ必要がありそうだ。

どのようにして会社を設立する?

会社(limited company)には、パブリック・リミテッド・カンパニー(Plc)とプライベート・リミテッド・カンパニー(Ltd)とがある。前者は株式公開会社にあたり、発行済株式資本が5万ポンド以上と決められており、その25%を会社設立時に払い込んでおく必要がある。ここでは後者のプライベート・リミテッド・カンパニーを設立すると仮定して、ざっくりと流れを追ってみたい。

会社としてビジネスをスタートするには、カンパニーズ・ハウス(会社登記所)に登記することになる。会社名、住所、ダイレクター名(取締役)、資本金などをオンライン上で登録するもので、専門家のアドバイスがあったほうが安心ではあるものの手続きは比較的簡単とのこと。

登記のほかに、HMRC(Her Majesty's Revenue and Customs歳入関税庁)への法人税、PAYE(源泉税/雇用者が従業員の賃金・給与所得から所得税と国民保険料を源泉し政府に納付)、VAT(付加価値税/課税対象取引額が8万5000ポンド超の場合)の登録が必要となる。さらに主な義務として、カンパニーズ・ハウスへの年次報告書(annual accounts)の提出、HMRCへの法人税申告書(corporate tax return)、VAT申告書(VAT return)の提出、PAYEの支払いや月次申告などが生じることになる。これらの具体的な業務は税理士や会計士などに任せるのが一般的で、会社の規模や予算に合った専門家を見つけて依頼した方がスムーズ。もちろん経営者として少しでも理解しておくと安心だ。

ただ、ビジネスはなにも手続きがすべてではない。むしろこれらは枝葉の部分。「実際にビジネスを始めると、本来の業務の中で想像しなかったトラブルが発生しますし、ビジネスを軌道に乗せることは容易なことではありません」と、数多くの企業を見てきた専門家だからこその一言。趣味の延長として事業を始めて充実感を得るという選択をするのも、アイディアと計画を練って本格的に起業を目指すのも、あなた次第といえるだろう。