2011年2月3日 No.662

●サバイバー●取材・執筆/内園香奈枝・本誌編集部

 

バタシー・ドッグズ&キャッツ・ホーム誕生物語
ロンドンの犬たちを救え!!

今や英国を代表する動物保護施設とされる「バタシー・ドッグズ&キャッツ・ホーム」が、

昨年150周年を迎えた。同施設が創立されたのは、動物愛護という考え方がまだまだ

世間一般に受け入れられていなかったヴィクトリア時代。その逆風の中で、

ロンドンの迷い犬たちのために立ち上がった、ある1人の未亡人がいた―。

 

 

○●○ 英国民の娯楽「動物いじめ」 ○●○

 

  低い唸り声。小屋の中でにらみ合う2匹の犬。その1匹が瞬時に相手をめがけ飛びかかる。互いの首や腹部を引き裂かんばかりに噛みつきながら、バタバタとのた打ち回る犬たち。悲鳴にも似た鳴き声。鋭い牙は彼らの肉をえぐり、そこからどくどくと流れ出た鮮血が犬たちの体や床を染めていく。それを取り囲み歓声をあげながら鑑賞する人々。血みどろで息も絶え絶えの2匹。しかし、どちらかが立ち上がれなくなるまで闘いは続けられる―。
 16―19世紀の頃の英国では、このドッグ・ファイティングdogfightingをはじめ、牛いじめ、熊いじめなどに代表される「動物いじめ」が娯楽として広く普及していた。ようやくこれらの禁止令が出されたのは1835年のこと。しかし、浦賀沖に黒船が現れ、ロンドンのハイドパークで世界初の万国博覧会が開催された1850年代初頭もなお、ドッグ・ファイティングはギャンブルとして密かに行われ続けていたという。
 もちろん現在ではドッグ・ファイティングを条令で禁止している国は多い。ただ、今もって本能的な興奮が得られるこの血なまぐさい娯楽の根絶は難しいようで、英国を含め、法の目をかいくぐって非公式で行われている地域が少なくないのが実態だ。

メアリー・ティールビーに関して唯一残されている、彼女の直筆署名の写真
約150年前まで犬たちを取り巻いていた苛酷な環境を象徴するのは、ドッグ・ファイティングだけではない。通りを見渡せば、飢えた野良犬たちがそこかしこをうろつき、ぬかるんだ道では犬が荷車をひかされている。迷い犬が餓死したり、撃ち殺されたりすることも珍しいことではなかった。今や動物愛護の先進国ともいえる英国においては信じがたい事実かもしれない。しかし、それは19世紀のヴィクトリア時代初期のロンドンにおける日常的な光景だった。
 わざわざ動物保護の法や団体が作られたということは、そうせざるを得ない残酷な動物虐待の過去があったという裏返しでもある。
 当時の英国において、犬をペットとして飼えるのは、一部の富裕層のみ。英国の動物たちへのひどい扱い方を見かねた上流階級の人々、知識人を中心に、1824年、世界初の動物保護チャリティ団体である現「RSPCA」が設立された。ただ、1833年に「奴隷制度廃止法」が制定されたばかりという時代だ。一般の人々の中で「人間でさえ満足に守られていないというのに、動物を保護するのか」と、動物愛護の考え方を鼻で笑う者も多かったのも、無理はなかったといえる。

 

 

○●○ キッチンの一画からのスタート ○●○ 

 

  そんな時代に、ひどく弱りきった捨て犬を徹夜で看病する一人の未亡人がいた。ロンドンはイズリントン、中流家庭のとある家の一室。未亡人の名はメアリー・ティールビー Mary Tealby(1801年―65年)、バタシー・ドッグズ&キャッツ・ホームの創始者である。友人が道端で見つけてきたその犬を、彼女はどうしてもそのままにできず、何とか元気にしたい一身で引き取った。獣医から電話でアドバイスを受けながら献身的な世話を続けるも、犬は3日目の夜に死んでしまう。メアリーはやりきれない思いに肩を落とし、深い悲しみにくれた。
 ただ、この出会いは彼女を感傷的にさせるだけではなかった。1つの大きな使命感を呼び起こすのである。「この犬のように、不遇な暮らしを強いられた犬たちを救う『犬の保護施設』を作りたい」。
 キッチン横の食器部屋がそのスタートの場所となった。彼女はイズリントンの野良犬や虐待を受けた犬たちを連れてきては、元気になるまで世話をした。やがて、近所の人々もメアリーの元にそうした不遇の犬たちを持ち込むようになる。
 これが、「バタシー・ドッグズ&キャッツ・ホーム」の原点である。世間の嘲笑や非難にさらされ、幾度となく財政面の危機にも直面し、決して順風満帆にはいかなかった保護施設の創設。しかし、メアリーは決してあきらめなかった。彼女は死するまでの最後の数年を施設設立のために全力を尽くして駆け抜ける。吹き荒れる向かい風に立ち向かい、後には追い風に乗ることになる彼女の執念と情熱。そして何よりも犬たちへの深い愛情なしには達成できない、60歳を目前にした一大チャレンジだった。