ロアルド・ダール記念館とカドベリー・ワールドを探検! あま~いチョコレートの世界を征く

【征くシリーズ】Holiday

2017年7月27日 No.994

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★タイトル★

ロアルド・ダール記念館とカドベリー・ワールドを探検!

あま~いチョコレートの世界を征く

日本では、チョコレートといえば子供と女性の好物と決めつけられがちだが、ここ英国では老若男女にあまねく愛されている。
英国紳士が、通りで歩きながらチョコ・バーをほおばる姿を見かけることも珍しくない。
チョコレートの消費量の多さに関しては英国が世界で5指に入るというのもうなずける。
今号はこの『チョコ大国』で、チョコレートにからむ展示が楽しめる場所をふたつご紹介することにしよう。

●征くシリーズ●取材・執筆・写真/本誌編集部

王侯貴族だけに許された《神様の食べ物》

海洋技術が躍進し、長距離航海が可能になった15世紀末。スペインやポルトガルといった当時のヨーロッパ列強諸国は、富を求め、争って『新天地』探しに乗り出した。1492年にはコロンブスが北米に到達。それから約27年後にはスペイン軍人、ヘルナン(フェルナンド)・コルテスが部下500人を率いて現在のメキシコに上陸した。
当時のメキシコは、その南の地域で栄えたマヤ文明の影響を受けたアステカ帝国の支配下にあった。マヤもアステカも、やがてスペインに滅ぼされる運命にあるのだが、最初からこの見慣れぬ外国人たちと敵対関係にあったわけではなかった。
特にコルテスは、アステカで信仰されていた善神に間違われるという幸運のおかげで国王に会うことが許され、同帝国では王や貴族といった特権階級だけの嗜好品だったショコラトル(チョコレート)を供される機会にも恵まれた。金の盃に注がれたこの冷たい液体は、後にテオブロマ・カカオという学名をつけられた豆からとれたもので、テオブロマはアステカで『神様の食べもの』を意味したという。
カカオは、その頃から薬として多くの効能が認められ、きわめて貴重なものだった。貨幣の代わりとして用いられていたことも記録に残っており、コルテスがアステカを滅ぼした1521年ごろ、今のニカラグアあたりでは、野ウサギ1羽はカカオ豆10粒に相当したとされている。
1528年、スペインに凱旋帰国を果たしたコルテスは、国王カルロス1世にカカオを献上した。アステカでは、粉にしたカカオにトウモロコシの粉や唐辛子を加えて水や湯で溶かして飲んでいたが、16世紀にメキシコに渡ったヨーロッパ人宣教師が砂糖を加えて甘くして飲むことを考案。やがてスペインの宮廷社会では、砂糖だけでなく、バニラ、シナモンなども入れて飲まれるようになったのだった。
 チョコレート好きのスペイン王女がフランスに嫁いだことにより、フランスでは17世紀初めにチョコレートが普及し始めたのをはじめ、1640年にはイタリア、オーストリアへ、41年にはドイツ、56年にはイングランドへとチョコレートの流行の波は徐々に広がりを見せていく。美味しいものに国境はないとよくいうが、チョコレートもその例にもれないようだ。

甘くない世界での成功は蜜の味

ジョージ・カドベリーGeorge Cadbury(1839-1922)。彼と兄のリチャードRichard(1835-99)は、父親が興したカドベリー社の飛躍的な発展に貢献した。
1656年、フランス人がロンドンに初の「チョコレート・ハウス」を開店。飲み物としてではあったが、これが英国人とチョコレートの出会いだった。
17世紀末には、科学者でありジャマイカなどでの植物収集で広く知られたスローン卿(Sir Hans Sloane)が、チョコレートにミルクを混ぜることを提案。この後、ヨーロッパではさまざまな改良が加えられることになる。
1828年、オランダでカカオ豆からココアバターの一部を搾油する技術が開発され、苦味、渋みの少ないチョコレート製造が可能になった。47年には、英国人ジョセフ・フライが固形チョコレートの原形を発明し、2年後の49年には、カドベリー社(Cadbury)が『食べる』チョコレートの製造業に乗り出したのだった。なお、日本では「キャドバリー」と表記されることが多いようだが、本稿では、英国人の発音により近い「カドベリー」で統一することをお断りしておく。
まもなくスイスでミルク・チョコレートが発明されたほか、口あたりの良さを出すためのレファイニング(粒子を細かくする技術)、練り上げることによりとろけるような食感を実現するコンチェという機械が開発され、チョコレート業界は19世紀に大きな進歩を見るに至る。
よりなめらかで、より美味しい製品を――カドベリー兄弟が取り組んだチョコレート・ビジネスは決して甘いものではなかったが、努力は実り、やがてカドベリー社は英国屈指のチョコレート・メーカーに成長する。
我々取材班はそのカドベリーの世界を実際にのぞくべく、その名も「カドベリー・ワールド」と呼ばれるエキシビション・センターにでかけることにした。

チョコレート豆知識

チョコレートやココア(英語では『ホット・チョコレート』)の原料であるカカオ豆(あおぎり科テオブロマ属カカオ Stercurliaceae Teobroma Cacao)は、カカオの樹にできた果実(カカオポッド)の中にある種子のことで、カカオポッド1つの中に30~40のカカオ豆が入っている。

カカオの樹は、赤道の南北緯度20度以内、年間平均気温27℃以上の高温多湿な地域で栽培される熱帯植物。

カカオ豆から外皮を取り除き、磨砕してできるペースト状のものをカカオマス(cocoa mass)と呼ぶ(カカオリカー、チョコレートリカーと呼ばれることもあり)。例えば「カカオ80%」のダーク・チョコレートは、「カカオマス80%、砂糖20%」から作られている。

カカオ豆を搾油すると淡黄色の植物油脂が得られる。これがココアバター(cocoa butter)で、カカオ豆には53~58%のココアバターが含まれている。苦味やチョコレート独特の色のもとになるカカオマスを使わず、ココアバターに砂糖、ミルクなどを加えて作られるのがホワイト・チョコレート。

ココアバターは、摂氏30度前後で「溶ける」性質がある。チョコが口の中で溶けるのはこのため。

チョコレート工場でお勉強

「カドベリー・ワールド」への入り口を示す看板(予想通りの色!)。期待がおのずと高まる。なお、次のページでご紹介するロアルド・ダール記念館はネスレーと提携。カドベリーと、「チョコレート工場」はまったく関係ナシ、ということになるのでご留意いただきたい。
ロンドンからなら車で2時間余り。バーミンガムの南に位置するボーンヴィル(Bournville)に向かった。このボーンヴィルは、カドベリー社が同工場で働く人々のために計画的に整えた町だ。19世紀後半から徐々に整備が進み、駅、学校から各種店舗、テニスコートなどの娯楽施設まで擁した、カドベリー社自慢の一大コミュニティが築かれ、当時は注目を浴びた。
ボーンヴィルに入ると、目指す建物はすぐにみつかった。予想通り(?)カドベリー色ともいえる、同社製品のパッケージによく使われる濃い紫色をしている。工場の敷地内に建てられたこの「カドベリー・ワールド」は、1990年にオープン。年間40~50万人の見学者が訪れるという。いうまでもなく、生徒たちのあいだでは人気が高く、取材班が訪れた日も複数の学校からグループが来ており、はしゃぐ子供たちのパワーで圧倒されるほどだった。
入場は時間制になっており、見学者が館内にあふれないようコントロールされている。夏休み期間中は、平日もさらに込み合うことが予想される。希望の日時と時間帯に訪れるには、早めに計画を立ててオンラインでチケットを購入することが必須。
展示内容は、チョコレートの歴史やチョコレートができるまでという一般知識編、カドベリーの起こりと発展の軌跡という企業宣伝編がうまく組み合わされている。途中、工場のパッキング作業が行われるエリアは、現在は改装中で残念ながら見学することはできないのでご了承を(近々にリニューアル・オープンについて発表される予定。今はまだ「トップ・シークレット」とのこと)。
また、体感型の4Dシネマや、移動式カートに乗って、ルート上に展開される「チョコレート・ワンダーランド」を楽しむ『カダブラ(Cadabra)』というアトラクションがある。後者に乗るにはかなりの列を覚悟する必要がある(これをとばして、次の展示に行くことも可能)。子供の根気と相談して挑戦するかどうか決めると良いだろう。
ルートの最後に用意された試食室で、さまざまなデモンストレーションを堪能しつつ、あまーい思いをしたらこれで見学は終了。展示を見てまわるのに約1時間半から2時間、さらにカフェでの食事(お味のほどは…きわめて英国的とだけ申し上げておこう)、直営ショップでの買い物を加えて約3時間。屋外には、天気が良ければお弁当を広げることのできるピクニック・エリアや、子供の冒険心をくすぐるアフリカン・アドベンチャー・プレイグラウンドなどもあるので、家族みんなで1日楽しめる場所といえそうだ。

ウェールズ生まれのノルウェー人

【右】身長が1メートル96センチもあったというロアルド・ダール。学生時代はスポーツが得意だったという。【左】若かりしころのダール。かなりのハンサムだった!
さてもう1ヵ所、チョコレート・ファンにお薦めしたいアトラクション・ポイントをご紹介しよう。
昨年、スティーヴン・スピルバーグがメガホンをとった映画『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント(The BFG)』の原作、『オ・ヤサシ巨人BFG(The BFG)』の作者であり、英国のみならず、世界的に成功した児童文学者として名高い、ロアルド・ダール(Roald Dahl、1916―90)の記念館である。
ダールはまた、2005年にジョニー・デップ主演でリメークされてヒットした映画『チャーリーとチョコレート工場』(Charlie and the Chocolate Factory)の原作、『チョコレート工場の秘密』(原題は映画と同じ、1964年)の作者でもある。
ロアルド・ダール記念館はバッキンガムシャーにあり、ロンドンから車で約1時間半弱。ロンドン在住者にとっては、「カドベリー・ワールド」より距離的に身近にあるといえる。なお、この作家の名前について、英語では「ロールド」という発音のほうが近いが、本稿内では日本で浸透しているとおり「ロアルド」を採用することにしたい。
ダールは、ウェールズのスランダフ(Llandaff)という町で1916年9月13日に誕生した。父ハラルド(Harald)は1900年ごろにノルウェーから渡英。最初の結婚で1男1女をもうけたものの夫人が死去したため、11年に同じくノルウェー出身のソフィー(Sofie)と再婚した。この2回目の結婚ではダールを含む1男4女に恵まれたが、9年後、末っ子のアスタがソフィーのおなかにいるあいだにハラルドが肺炎で急逝してしまう。ダールの姉、アストリが虫垂炎で夭逝してからわずか数ヵ月後のことだった。
2人の継子と4人の実子を残されたソフィーはなかなか肝の据わった女性だったらしく、ノルウェーに逃げ帰ることはせず、ウェールズにとどまり、子供たちに英国の優れた教育を受けさせるべく奮闘する。ダールは7歳で地元のクリスチャン系男子校に入れられ、9歳の時には、イングランド中西部のウェストン・スーパー・メア(Weston-super-Mare)にある全寮制パブリック・スクールに送られたのだった。
ダールは13歳でさらにダービシャーのレプトン校という、その辺りでは知られたパブリック・スクールに入学。同校はカドベリーの工場からも遠くなく、しばしば、コメントを求めて試供品が生徒たちに送られてきたといい、このあまいプレゼントは、つらかった寮生活を大いに慰めてくれたのだった。その思い出が、後に『チョコレート工場の秘密』に活かされていることはいうまでもない。

世界主要国チョコレート消費量

※1人あたりの年間消費量(kg)/2015年<フォーブス調べ>

1 ドイツ 7.89
2 アイルランド 7.39
3 英国 7.39
4 ノルウェー 6.62
5 スウェーデン 5.40
6 オーストラリア 4.90
7 オランダ 4.72
8 アメリカ合衆国 4.31
9 フランス 4.22
圏外 日本 2.01

英空軍パイロットから作家に大転身

自伝『Boy』と同じ名前がつけられた展示ルーム。チョコレート型のドアのまわりでは、チョコの匂いが常に漂うようデザインされている。
8歳で日記をつけ始め、ウェストン・スーパー・メア時代にはホームシックから母ソフィーにあてて週1回、手紙を書くようになったダールだが、国語(英語)の成績は芳しくなく、レプトン校時代はスポーツ選手としてならしたという。
18歳になったダールは大学に進まず、「アフリカか中国か、どこか遠くに行ってみたい」と切望し、シェル石油に勤務。中央アフリカ東部の英領タンザニアに赴き、スワヒリ語を習得するなど意欲的に働いた。しかし、39年に第二次世界大戦が勃発。ダールは志願して空軍パイロットになったものの、所属部隊のもとへ向かう途中、基地側の計算違いで燃料が切れてリビア砂漠に墜落、頭蓋骨骨折など重傷を負ってしまう。
戦線復帰は無理と判断され、41年、ダールはイングランドに送還された。瀕死の重傷を負ったことは不幸だったが、戦死することからは免れたわけで、振り返ってみれば幸運なことだったといえる。しかも、起き上がれるようになったダールは、前線ではなくワシントンに派遣される。米国民が欧州でドイツ相手に戦う英軍に対して好意的なイメージを抱き、協力してくれるよう推奨することを目的とした、英軍の広報活動を補佐するのが任務だった。ここで、ダールが依頼されて「下書き」として書いた「Shot Down Over Libya」が、『戦記』としてサタデー・イヴニング・ポスト紙に掲載されるというチャンスに恵まれた。42年8月、作家、ロアルド・ダールはこうして予期せぬデビューを飾ったのである。以後、ダールは短編・長編を次々に発表、多彩な著述活動を展開する。
終戦を迎えても英国に戻らなかったダールが米国で得た収穫は、作家としてのキャリアだけではなかった。米国の人気俳優ゲーリー・クーパーとの不倫でも知名度があがったが、アカデミー主演女優賞も獲得したことのある実力派美人女優、パトリシア・ニールと51年に知り会い、53年にはニューヨークで挙式。5人の子供を授かり、英国と米国を往復する忙しい生活を送ったのだった。
これも、もとをたどればリビア砂漠に墜落したことにいきつくとすれば、まさに「人間万事、塞翁が…」というところだろう。

大人も楽しめる想像と創造の世界

ダールと2番目の夫人、フェリシティの結婚式に孫のソフィー=左端=も出席。【右下】成長したソフィーはモデルとしても活躍。© BBC
ダールは90年11月23日に血液性疾患で亡くなるまで、48年間にわたり、多くの作品を残した。主なものは本誌11ページのコラムをご参照いただきたいが、『チョコレート工場の秘密』『マチルダは小さな大天才』『魔女がいっぱい』といった児童文学にとどまらず、映画『007は二度死ぬ』『チキ・チキ・バン・バン』などの脚本もてがけた。
ダールのこうした功績を後世に残そうと、2005年にオープンしたこの記念館は、正確には「The Roald Dahl Museum and Story Centre」と呼ばれる。
子供時代の思い出から始まり、精力的に創作活動を繰り広げた時代を中心にした、人間としてのダールを紹介する同記念館は、子供たちには「カドベリー・ワールド」より、知的レベルの高い楽しみを与えてくれる場所といえるが、かといって教育的におしつけがましいところはまったくない。

ダールは、第二次世界大戦中の飛行機事故で痛めた背中に生涯悩まされた。この「作業椅子」は彼が仕事場で実際に使っていたもののレプリカ。丸めたダンボールの上に机がわりの板が置かれている。
様々な工夫がこらされており、あちらこちらで子供たちの興奮に満ちた声や歓声が聞こえる。大人が見ても、興味を覚えたり感心したりする展示がちりばめられており、小規模ながら良質の記念館に仕上がっているという印象を受けた。
パトリシア・ニールとは1983年に離婚したダールが、その後まもなく再婚した英国人女性、フェリシティが、記念館設立に深くかかわったという。ダールが「リッスィー」の愛称で呼び、慈しんでいたフェリシティのダールに対する尽きぬ愛情のたまものともいえそうだ。
「カドベリー・ワールド」と「ロアルド・ダール記念館」。両方を1日で訪れるのは難しいが、英国の長い夏休み。チョコレートをお供に出かける計画を立ててみてはいかがだろうか。

ダール記念館内には様々な創作コーナーがあり、子供たちが夢中になっていた。

ロアルド・ダールの世界

●1943年(27歳)-The Gremlins 本として発売されたダールの初めての作品。ディズニーが映画化しようとしたが実現しなかった。なお、フィービー・ケイツほかの出演で1984年に映画化された『グレムリン』はこの本とは関連なし。

●1961年(45歳)-James and the Giant Peach 『おばけ桃が行く』。両親を亡くし、意地悪なおばたちに引き取られたジェームズ少年が主人公の冒険物語。1996年にアニメ映画化された(邦題『ジャイアント・ピーチ』)。

●1964年(48歳)-Charlie and the Chocolate Factory 代表作のひとつ、『チョコレート工場の秘密』。1971年には、ジーン・ワイルダー主演でミュージカルとして映画化(邦題『夢のチョコレート工場』)された。
【あらすじ】貧しいながらも愛情あふれる家庭で育てられていた少年チャーリー。ある日、大人気の謎のチョコレート工場の持ち主であるウィリー・ウォンカ氏が、長い沈黙を破り、世界中から5人の子供と、それぞれの保護者1人ずつのみを工場見学に招待すると発表する。ウォンカ社製のチョコレート・バーに封入されたという5枚の「ゴールデン・チケット」をめぐり、世界は大フィーバー。チャーリーは幸運にも5枚目のチケットをひきあて、祖父とともに工場へでかける。そこで、大食いの肥満少年、わがままきわまりない大富豪の娘、勝気で遠慮することを知らない少女、大人のいうことを聞かないテレビっ子たちと合流し、ウォンカ氏の秘密の工場へと案内されていく…。教育的、道徳的メッセージがあちこちにイヤミなくこめられている物語。2005年には、ジョニー・デップ主演でリメーク版が公開され、再び「ウォンカ」熱が盛り上がったことを覚えている人もいるだろう。オリジナル版がいいか、リメーク版がいいか、評価は分かれるところ。

「The BFG」2016ⓒDisney
●1982年(66歳)-The BFG 『オ・ヤサシ巨人BFG』。ちなみに『BFG』とは、「Big Friendly Giant」の略。昨年、映画化されて話題を呼んだ。

●1983年(67歳)-The Witches『魔女がいっぱい』。アンジェリカ・ヒューストンほかの出演で1989年に映画化された(邦題『ジム・ヘンソンのウィッチズ』、日本では劇場未公開)。

●1988年(72歳)-Matilda 『マチルダは小さな大天才』。4歳のおしゃまな天才少女マチルダが繰り広げる痛快ストーリー。ダニー・デヴィート監督で1996年に映画化された(邦題『マチルダ』)。

《脚本》 ●1967年(51歳)-You Only Live Twice 邦題『007は二度死ぬ』。ボンド役はショーン・コネリー。丹波哲郎、浜美枝ほか出演。

●1968年(52歳)-Chitty Chitty Bang Bang 邦題『チキ・チキ・バン・バン』。空飛ぶ車が活躍するミュージカル。

《自伝》

●1984年(68歳)-Boy - Tales of Childhood ●1986年(70歳)-Going Solo

Travel Information

※2017年7月20日現在

ロアルド・ダール記念館 The Roald Dahl Museum and Story Centre

www.roalddahl.com/museum

住所・電話番号

81-83 High Street Great Missenden Buckinghamshire HP16 0AL Tel: 01494-892-192

ロンドンからのアクセス

【自動車】M40からA413沿いの、Great Missendenという町を目指せば良い。小さな町なので迷う心配なし。記念館付近には駐車できないため、最寄の「Pay & Display」にとめて、そこから徒歩5分弱。
【電車】Marylebone駅からGreat Missenden駅まで直通便で約40分。駅から徒歩約5分。

オープン時間

火ー金 10:00-17:00  土・日 11:00-17:00

入場料

【大人】£6.60 【子供】(5-18歳)£4.40
【ファミリー・チケット】(大人2人と子供3人まで)£21.00
※予約必須。実際に試したり遊んだりできるコーナーが多いので、入場者数が一定以上にならないよう常に配慮されている。


カドベリー・ワールド Cadbury World

www.cadburyworld.co.uk

住所・電話番号

Linden Road, Bournville Birmingham B30 1JR
Tel: 0121-4151-4159(予約) Tel: 0121-4151-4180(録音での案内)

ロンドンからのアクセス

【自動車】M40からM42に入り、ジャンクション2で下りてA441を経由、さらにA4040へ。標識も頻繁に出ている。
【電車】Euston駅からLondon Midland、Virgin、またはChiltern Railwaysの電車でBirmingham経由Bournville駅下車(所要約2時間)、徒歩5分。

オープン時間

原則として毎日オープン(年末年始を除く)。オープン時間についてはホームページまたは電話でご確認を。

入場料

【大人】£16.75  【子供】(4-15歳)£12.30  3歳以下は無料
大人2人と子供2人まで£49.96   大人2人と子供3人まで£59.95
※予約必須。一定時間内の入場者数に制限あり。

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