◆中世の街並みと古城を愛でる

ホーエンシュヴァンガウ城にある白鳥の噴水。同城内には、白鳥がモチーフとして随所にあしらわれている。 フュッセンを含むバイエルン州南部は、現在のアウクスブルクを中心都市とする古代ローマ帝国の属州「ラエティア」があった場所だ。フュッセンには、アルプス山脈を越えて北へと続く交易路の重要な警備地点として城郭が建設され、ローマ軍が駐屯したという。その後はフランク王国、神聖ローマ帝国、バイエルン王国領となり、2つの大戦を経て、ドイツ連邦共和国領の一部となるに至った。ドナウ川に続くレヒ川の湖畔にあり、古代から通商路沿いの町として栄えたフュッセンには中世の趣が色濃く残されている。
ひっそりとした片田舎であるが、現在は、年間130万人もの観光客を数えるノイシュヴァンシュタイン城、年間30万人が訪れるホーエンシュヴァンガウ城が目と鼻の先にあることで、ドイツの重要な観光都市となっている。
この2つの城がフュッセンにあると認識している人も少なくないと思うが、正確には城が位置するのは「シュヴァンガウSchwangau」という地域にある小さな村「ホーエンシュヴァンガウ」。「シュヴァン」は白鳥、「ガウ」は地域という意味で、日本語でいうなら「白鳥区」あるいは「白鳥の里」とでもいったところだろうか。「ホーエン」は高いという意味で小高い丘の上にその村があることを示している。
ホーエンシュヴァンガウ城は、12世紀に建てられたまま廃墟と化していた古城「シュヴァンシュタイン城」を1837年に改築したもので、直訳すると「高い白鳥区の城」。「ノイ」は「新しい」、「シュヴァンシュタイン」は「白鳥石」の意で、ノイシュヴァンシュタイン城は、この中世の古城にちなんで「新しい白鳥石城」と名づけられたわけだ。
バイエルン国王ルートヴィヒ2世が少年、青年時代を過ごしたのがホーエンシュヴァンガウ城で、彼の命により建てられたのがノイシュヴァンシュタイン城だ。この2つの城は1キロと離れておらず、ルートヴィヒ2世は建設途中のノイシュヴァンシュタイン城をホーエンシュヴァンガウ城から眺めては、その落成の日を心待ちにしていたという。1886年に彼が謎の死を遂げたことで、城は現在も未完成のままの形をとどめている。
幼少時代からゲルマン神話や騎士道伝説に魅せられたルートヴィヒ2世は、彼の夢の世界を実現しようと築城に没頭するが、その出費があまりにかさんだため、バイエルンの財政が破綻し、廃位陰謀計画が企てられたほど。しかし、このルートヴィヒ2世の「奇行」にも近い築城癖は、120年後の今になって、バイエルンはもちろんドイツの観光産業に思わぬ実りをもたらすことになったのだ。ルートヴィヒ2世の数奇な人生については弊誌7月1日号の特集にて詳しく紹介しているのでご参照いただきたい。

◆山の恵み

レヒ川からみたフュッセンの街並み。© The German National Tourist Board フュッセンがバイエルンの都市の中で最も標高が高いことから推測できるように、ここから10キロ南下したところにはアルプス山脈が広がり、美しい山並みを見せる。高い山がなく、どこまでも平野が続く英国の風景に慣れてしまった日本人は、むしろこのバイエルンの山深い風景に郷愁をそそられるに違いない。
近代にトンネルが掘られるまでは、イタリア地方から北部ヨーロッパへ渡る際には避けられない峠として、アルプス山脈は戦争や通商、巡礼などにおいて大きな障害となった。有名な「アルプス越え」として語り継がれているのは、カルタゴの将軍ハンニバルが行ったもので、アルプス越えを敢行することでローマ軍を煙に巻き、一挙にイタリア半島を侵略し、第二次ポエニ戦争が始まったことでも知られる。そのほか、フランク王国のカール大帝、フランスのナポレオン1世もやはりイタリア征服のためにアルプス越えを行っている。
現在、その大山脈は、かつての「険しい峠」としての性格は影をひそめ、登山愛好家や、ハングライダーやパラグライダーなどのスカイスポーツ、スキーやスノーボードなどのウィンタースポーツを楽しむ人々に親しまれている。ドイツの最高峰として2962メートルの標高を誇る「ツークシュピッツェ」には及ばないものの、シュヴァンガウにも小ぶりの峰「テーゲルベルク山」(標高1720メートル)が連なり、前述のスポーツ愛好家たちが集っている。この山へ登るロープウェイからは、山腹に凛と佇むノイシュヴァンシュタイン城を望むことができ、「マリエン橋」とともに、城の全体像を眺められる絶好の場所としてもぜひお薦めしたい。
ローマ人の遺した文化と浪漫あふれる景色に彩られたロマンティック街道――。その終点を飾るにふさわしいフュッセンおよびシュヴァンガウには、中世らしいゆったりとした時間の使い方がよく似合う。足早に過ぎずにその醍醐味を味わってみてほしい。