
●征くシリーズ●取材・執筆・写真/ホートン 秋穂・本誌編集部
ロンドン中心部から南西郊外へ電車で約40分。
テニスの全英オープンの開催地としておなじみのウィンブルドンがある。
テニス・ファンの聖地であることはご承知のとおりだが、広大な緑地「ウィンブルドン・コモン」があることでも知られる。
今号では、同コモンの南に位置し、ツツジとシャクナゲ(石楠花)の隠れた名勝地として愛されている「カニザロ・パーク(Cannizaro Park)」をご紹介したい。
政財界の重鎮に愛された邸宅

英国の公園にめずらしく、イタリア風の名前がついたカニザロ・パークをご存知だろうか。
現在の公園の元型となる土地は、テムズ河畔の湿地だった場所に位置していた。土壌は決して豊かとはいえず、耕作地とはならなかったが、氷河期以降、多種多様な植物が生息する土地だったという。特に樫や樺の木が生い茂り、現在でもこうした古い樹齢の木を敷地内で目にすることができる。
ここにカニザロ・パークが造られたのは19世紀のことで、名前の由来は1832年に遡る。その由来に触れる前に、公園の中心的存在であるマナー・ハウスについて述べておく必要がある。
34エーカーの広大な庭を見下ろす小高い丘の上に、静かに佇む1軒の瀟洒な邸宅。これがカニザロ・ハウスだ。 当初、ウォレン・ハウス(Warren House)と呼ばれたその屋敷は1705年、ロンドンの裕福な商人ウィリアム・ブラウンによって建てられた。
その後、屋敷と周辺の土地は「英国最初の首相」ともいわれたロバート・ウォルポールと親しかった政治家、トーマス・ウォーカーの所有となり、後にはドーセットの名門ドラックス(Drax)家が持ち主となる。
特筆すべきはウォーカーの時代で、彼はエセックスに本宅を所有していたことから、このウォレン・ハウスは英国の政財界を代表する名士たちに貸し出された。この中には、イングランド銀行総裁で300点以上の古代彫刻の収集家として知られたジョン・ライド・ブラウン(John Lyde-Brown)やウィリアム・ピット首相の下で内務大臣を務めたメルヴィル子爵(Viscount Melville)らの名前も見られた。国会議事堂のあるウェストミンスターまで、かなり離れてはいたものの、周囲の豊かな自然がこうした名士たちをひきつけたのかもしれない。
誇り高き貴婦人の社交場へ
こうした借家人の中の一人に、イタリアの没落貴族アントニオ伯爵フランシス(Francis Platamore, Count St. Antonio)がいた。
誇り高いソフィアは41年に没するまで、「カニザロ公爵夫人」を名乗り続けたのだった。カニザロは、この地の正式な名前として今日に至るまでその名を留めることとなる(ただし、もとの綴りは「Cannizzaro」で、変遷を経て現在の綴りになったのは74年とされる)。
所有者の名前ではなく、借家人でさらに当のカニザロ公爵は不在のままその名前だけが冠され、今日に残るという不思議な由来をもつ公園といえる。
音楽好きだったカニザロ公爵夫人は、しばしば邸宅やその敷地で音楽会を催し、華やかな社交の場となったという。自分を捨てた夫への怒りや、残された者としての悲しみを抱えて生きることになった夫人を唯一慰めてくれたのが音楽だったのではないだろうか。
ちなみに、この音楽好きだった夫人を記念してか、1989年からはウィンブルドン・カニザロ・フェスティバル(後にはカニザロ・パーク・フェスティバルに名称変更)という音楽祭が2012年まで公園内のイタリア式庭園で夏に開催されていた。ジャズやロック、ポップスなど幅広い音楽ダンスを野外で人々が楽しんだが、残念ながら今は休止中。再開を期待したい。
公爵夫人の没後以降もカニザロ・ハウスは華麗な社交場であり続けた。銀行家を夫にもち、ロンドン社交界の花形ともてはやされたシュースター夫人(Mrs. Schuster)が園遊会を頻繁に開き、桂冠詩人のアルフレッド・テニスンや作家のオスカー・ワイルド、ヘンリー・ジェイムズも訪れたという。1930年代にはロンドンへ亡命中だったエチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世も滞在した。
現在は落ち着いた雰囲気のホテルとなっている同邸宅だが、当時は、会話に興じる紳士淑女たちのざわめきや笑い声が夜更けまで聞かれたことだろう。
丹精こめて整えられた庭園

© Friends of Cannizaro Park
公園に話を移す(詳細はカニザロ・パークをゆったり散策!参照)。
カニザロ・パーク内の樹木の多くはヴィクトリア朝時代に計画的に植林されたものだが、樫の木の中にはさらに時代を遡り、樹齢数百年ものもあるとされている。
公園内の美しい木立、レディ・ジェーンズ・ウッド(Lady Jane's Wood)は1793年にメルヴィル子爵が2番目の妻ジェーン・ホープを記念して造営したもの。
一方、春になると斜面一面に咲き誇るツツジやシャクナゲで埋め尽くされる小径、美しく手入れの行き届いたバラ園や南国の開放的な雰囲気を感じさせるイタリア式庭園など、現在の公園の姿に大きく貢献したのが、1920年から47年まで屋敷の所有者だった、ウィルソン夫妻(Kenneth and Adela Wilson) だ。ウィルソン氏は船舶業で富を築いた人物で、夫妻そろって王立園芸協会のメンバーでもあった。夫妻は、アジアや米大陸など世界各地を旅した際に、数多くの苗木を持ち帰り、庭に植えたという。
ウィルソン夫妻の死後、屋敷と敷地は行政へ売却されたものの、戦後まもない49年には公園として一般への開放がスタート。邸宅は老人ホームとして80年代半ばまで利用され、現在は高級ホテルとして経営されている。
花咲き乱れる季節への誘い

さて、このカニザロ・パークを実際に訪れるにあたり、一番お薦めしたいのは、なんといってもツツジやシャクナゲの季節。谷一面を鮮やかに飾るツツジや満開のシャクナゲで花小径ができる4月から5月がベストシーズンだ。
広々とした公園をぐるっと1周するには約1時間程度を見込んだほうがよいだろう。舗装された道に沿って歩けば、ベビーカーを押しながらの散策も可能。これに対し、ツツジのトンネルや谷などのある、公園の南部は、雨上がりには特に足元が悪くなるので、ぬかるみでも歩ける靴で出かけたい。ベンチも各所に配されているので途中で休憩をかねて、あたりの静寂にひたるのも一案。さらに、広大な芝生が広がるエリアは、週末ともなれば家族連れで、思い思いにピクニックに興じる人たちでにぎわう。この公園が一般に開放されたことに感謝したい。
公園の散策を楽しんだ後は、現在は高級ホテルに変身した、由緒あるカニザロ・ハウスで、優雅なランチやお茶を堪能することができるのもこのカニザロ・パークの魅力の一つだ。

オリジナルの建物は1900年の火災で大部分が焼失したが、時間をかけて修復された邸宅は、訪問客を温かく迎えてくれる。
受付を通り抜けた先のラウンジ=写真左=にはシャンデリアが煌めき、美しく装飾された大理石の暖炉では冬のあいだ中、薪がくべられる。このラウンジでは、席さえあいていればアフタヌーン・ティーや軽食をとることもできるようになっている。後述するオランジェリー(温室)は予約が必須だが、ラウンジはなぜかそこまで混んでいないことが多い。座り心地の良いソファーや肘掛け椅子でくつろぎのひとときを過ごすことができるだろう。
食事中もカニザロ・パークの魅力を堪能したい場合は、是非ともオランジェリーの窓側席を予約したい。重厚なスタイルのラウンジとはうってかわって、こちらは全面ガラス張りで陽射しが明るく差し込み、遠く広がる空と緑あふれるパノラミックな景色が目の前に広がる。
食事メニューは、ラウンジの続きにあるダイニングルーム、オランジェリーともに共通。モダン・ヨーロピアンスタイルのメニューとなっている。
カニザロ・パークを現在運営しているのは、「Hotel du Vin」グループ。その名のとおり、ワインに力を入れているホテル・グループだけあり、ワイン・リストも充実。グラスワインも豊富にそろっているので、お気に入りの一杯を探すのもいいだろう。フレンドリーなスタッフが、質問にも丁寧に答えてくれるはずだ。
ツツジとシャクナゲの花香る季節にぜひ散策+ピクニック、あるいは散策+ホテルでのランチまたはアフタヌーン・ティーを計画して出かけてみてはいかがだろうか。
① 噴水 Fountain
② アヴィアリー Aviary
動物園で見かけることはあっても、一般の公園にあるのは珍しい。 かごの中には植木が配され、鳥が普段暮らす環境に近い状態となっている。 金網ごしながら、バード・ウォッチングを楽しんでみてはいかが?
③ テニスコート・ガーデン Tennis Court Garden
④ バラ園 Rose Garden
小規模ながら均一な円形シンメトリーを描く庭では初夏の季節、大輪の花を咲かせるバラが美しさを競う。
⑤ ダイアナと小鹿 Diana with Fawn
⑥ イタリア式庭園 Italian Garden
⑦ ワイルド・ガーデン Wild Garden
イタリア式庭園から一歩外に出ると、今度は一転して小川の畔沿いに野趣あふれるスタイルで草花が植えられたワイルド・ガーデンが見えてくる。川の流れに沿うように菖蒲の花があり、りんとした涼やかな美しさを感じることができる。
⑧ ツツジのトンネルと谷 Azalea Tunnel and Dell
⑨ レディ・ジェーンズ・ウッドLady Jane's Wood
深い木立のようなエリアで春先にはブルーベルが咲き、野花と樹木の競演が楽しめるエリアでもある。このあたりは道も舗装されておらず、雨上がりの後はぬかるみも多いのでアウトドアのトレッキング感覚で歩く必要がある。
⑩ ベルヴェデーレ Belvedere
⑪ リトリート Retreat
公園の最南端に位置するシンプルで小さな庭。植え込みで周囲は高く覆われ、ベンチがあるだけの非常にプライバシー性が高い場所だ。「リトリート」はひきこもる、隠居するという意味の言葉だけに、独り静かに読書を楽しんだり、瞑想に耽るのにうってつけ。
⑫ サンケン・ガーデン Sunken Garden
現在はホテルとなっている邸宅のすぐ脇には「沈床庭園」を意味する、サンケン・ガーデンがあり、ユニークな形に刈り込まれた低木や植え込み、色鮮やかな花々が規則正しく植えられ、カラフルな姿で目を楽しみませてくれる。
ホテル・デュ・ヴァン・ウィンブルドン
Hotel du Vin Wimbledon
■ロンドン中心部からさほど離れていない立地にありながら、カニザロ・パークの豊かな緑が望めることから、結婚式、各種会議の場としても人気が高い。特に春から秋にかけては毎週末、記念写真に笑顔でおさまる新郎新婦の姿を見かけるといっていいほど。早めの予約を推奨したい。
【食事とドリンク】
なお、ランチは2コース16.95ポンド、3コース19.95ポンドのセット・メニューがお手頃(ここでご紹介する写真はメニューの一例)。また、アフタヌーン・ティーは25ポンドだが、スコーンと紅茶のセット、クリーム・ティーなら8.50ポンドと、気軽に注文できる。
◆Starter鯖のスモーク、サラダ仕立て Smoked Mackerel
◆Main Course
ハラミのステーキ、アンチョビ・ガーリックソース添え Limousin Onglet
◆Dessert
トウモロコシ粉のレモンケーキ、ピスタチオ風味 Lemon Polenta and Pistachio Cake
【客室】
→もっとも豪華なスイートの「オークルームOak Room」 はクラシックな板張りの壁を基調にした部屋でカントリーハウスのもつ歴史を感じさせる。モダンなバスルームには床暖房、ヒーター付きの鏡、レインフォールシャワーヘッド付きのバスタブが完備されているほか、無料Wi-Fi、英国のマナーハウスではまだあまりお目にかかることのない、エアコンが備わっている。
Travel Information ※2017年3月13日現在のもの。
Hotel du Vin Wimbledon
Cannizaro House,
West Side Common, London SW19 4UE
※カーナビには駐車場のSW19 4UDと入力。駐車場を出るためにはコードが必要。ホテル内で飲食したことを示すレシートをレセプションで提示すれば番号を教えてもらえる。
Tel: 0330-024-0706
www.hotelduvin.com/locations/wimbledon
電車…ナショナル・レールまたは地下鉄でウィンブルドン駅下車。徒歩20~25分。
宿泊料金
下の料金は3月の週末、1泊/1部屋の目安(サービス料/税込)。
※宿泊の日時によって変動する点、ご了承ください。
スタンダードStandard … 154ポンド~
スタンダードStandard Park View … 169ポンド~
デラックス・ダブルDeluxe Double … 194ポンド~
デラックス・ダブル・パーク・ビューDeluxe Double Park View … 209ポンド~
週刊ジャーニー No.975(2017年3月16日)掲載