見渡す限り人影もなし



 チャスルトン・ハウスを後にし、今回の取材における3つ目の目的を果たすべく、取材班は再びフットパスへと足を向けた。この3つ目の目的、すなわち取材の締めくくりとなるのは、別ルートでアドルストロップに帰着することだ。別ルートといっても、最後のほうは往路のルートと重なるはずである。
 フットパス歩きの要領がおぼろげながらも分かったような気になっていた我々は、地図を頼りに再び歩き始めた。往路より少し遠回りになるため、45分ほどは見込む必要があるだろう――などという見立てが甘かったことを、我々は45分後に思い知らされることになる。
 フットパスを歩いていることは確かなのだが、行けども行けどもアドルストロップに近づいている気がしない。誤算となったのは、ある広大な農地が耕されていたことだった。種をまく準備と思われるが、耕されると、多くの人が往来することによって、辛うじて判別できるように踏み固められていたフットパスが見えなくなる。我々も、知らぬ間に、進むべきだったフットパスを見失い、ルートからそれてしまったらしい。規定によると、フットパスごと耕すことは認められているものの、その際には2週間で「復旧」させなければならないことになっているという。しかし、「復旧」までのあいだ、我々のように迷う者が出ても不思議はない。
 結局、この耕された農地を突っ切るしかないと決断。見渡す限り誰の姿も見えず、道を聞こうにも聞けない。また、もし、ここで「遭難」しても、自分がどこにいるのか説明ができず、助けにきてもらうことは容易ではないと思えるほど、「ミドル・オブ・ノーウェア middle of nowhere」(人里離れた所)にいることを痛切に感じた。
 歩きやすいとはいえなかったが、農地を強引に横切り、アドルストロップ方面と思われる方向を目指してひたすら歩く。20分ほど歩いただろうか、往路でみかけた納屋の廃墟が見えてきた!
 ほどなくして、往路で歩いた記憶のあるフットパスに合流。大きな安堵感を味わった。結果的に、予想以上の遠回りをしたことになり、アドルストロップの駐車場に到着するのに1時間半を要した。この復路のルートは、読者に紹介するにはリスクが大きすぎる。12ページの地図にあるように、往復とも同じルートをとるよう薦めることに決めた取材班だった。コッツウォルズといえども、油断してはならない。フットパスを歩く楽しさと厳しさを両方教えられた午後だった。
 

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 この取材から約10日後。我々は再びチャスルトンに赴いた。
 「行き直し」は、編集部でもきわめてめずらしい。常に、これが最初で最後のチャンスと心がけて取材するのが鉄則だ。しかし、今回は例外と言えた。コッツウォルズのあの名もなきフットパスが我々を呼んでいるように思えてならなかったからである。
 正確にいうと、取材班を呼んだのは、フットパスの途中にあった菜の花畑だ。10日前は、固いツボミでしかなかったが、記録がとられるようになってから350年で最も気温が高い春といわれた陽気のおかげで、この2度目の取材時には8分咲き程度にまでなっていた。
 晴天のもと、あたりにはヒバリのにぎやかなさえずりだけが響く。菜の花畑の中央は、フットパスが隠れないよう種をまかずにおいてあり、くっきりと道ができていた。
 青空と菜の花の黄色と緑、そして赤土のフットパスの対比が目にまぶしい。取材の「行き直し」を試みて良かったと思わず顔がほころぶ。ただ、この記事が読者の目に触れる頃には、菜の花はもう刈り取られているであろうことだけが残念でならなかった。
 前回の取材時と同様に人影がない。わずかに、遠くで馬が草を食む姿を認める程度だ。
 英国在住であっても、なかなか足を踏み入れる機会のない、コッツウォルズのカントリーサイドの眺めを独り占めしている、そんな贅沢な気分になった。今度、書店で『お薦めウォーク』を集めたガイドブックを買ってみることにしよう。いっそ、ウォーキング・ブーツを購入するのもいいかもしれない。知らず知らずのうちに、コッツウォルズに限らず、英国を縦横に走るフットパスをもっと歩いてみたいという衝動に駆られ、次のウォークに思いをめぐらす自分がそこにはいた。