2010年9月16日 No.643

 

取材・執筆・写真/本誌編集部

ウェリントン公の最期を見守った城
ウォルマー・キャッスル征く

1815年、ナポレオンの運命を決めた「ワーテルローの戦い」で、フランス軍を打ち破った鉄の公爵こと初代ウェリントン公爵。今号では、彼が死を迎えた「ウォルマー・キャッスル」を征くことにしたい。
 

 

「普通(ただ)の人」であろうとした英雄



 シンプルな装飾の部屋に置かれた、こじんまりとした布張りの肘掛け椅子―。今から約160年前の9月、この椅子の上で初代ウェリントン公爵 1st Duke of Wellington(1769年―1852年)は83年の生涯を閉じた。 今回取材班が訪れたのは、ロンドンから車で約2時間半、イングランド南東の町ドーヴァーからも程近い海辺の城「ウォルマー・キャッスル Walmer Castle」。イングリッシュ・ヘリテージ(※)の1つであるこの城の2階には、現在も彼が亡くなった寝室が家具の配置もそのままに残されている。 ウォルマー・キャッスルは元々、イングランドがヘンリー8世の治下にあった16世紀に、スペインの侵攻を防ぐために建設された要塞の1つだ。大きな円形の建物を中心に、さらに4つの円形の建物が連なるように配され、上から眺めると花の形に見える。とはいえ、周りには大砲が配備されるなど、石造りで無骨な姿であることに変わりはなく、城と聞いて想像するようなきらびやかさはない。 ウェリントン公の寝室で彼の人生に思いを巡らせると、率直な疑問がわいてくる。「ワーテルローの戦い」でナポレオンに勝利した偉大な指揮官が、なぜこれほど質素な部屋で最期を迎えたのだろうか。また、同時代に活躍したナポレオンやネルソン提督に比べ、どうして彼には控えめな印象が否めないのか。 これらの疑問の答えは、「謙虚さ」を美徳としたウェリントン公の人生観にあると考えられる。彼の口癖は「私は普通の人間でしかない、ということを忘れないようにしなければ」であった。自分の功績を後世に残そうと躍起になることや、英雄ぶった派手なパフォーマンスを披露することを好まなかった。一番大切なのは、自分に与えられた任務を着実にこなすこと。これは彼が憧憬していた米初代大統領、ジョージ・ワシントンの誠実な姿勢に感銘を受けて築くに至った信条だという。 栄光の中でもおごらず、「普通の人」であることにこだわり続けた、彼の人生を追ってみることにしよう。

※「イングリッシュ・ヘリテージ」は、イングランドの歴史ある建物、景観、遺跡などを保全する政府系組織。

ウェリントン公の寝室

   

 

冴えなかったアーサー少年

 疲れを知らない戦いぶりや、常に冷静沈着なその姿から「鉄の公爵 Iron Duke」と呼ばれたウェリントン公。少年時代からさぞかし真面目な優等生であっただろうと思いきや、実はそうでもなかったようだ。 1769年4月30日、アイルランドはダブリンの貴族階級一家に、ウェリントン公はアーサー・ウェズリー Arthur Wesley(後にWellesleyと改名)として生まれる。父はモーニングトン伯ギャレット・ウェズリー、母はアン。アーサーはその3男だった。奇しくも同年、フランスのコルシカ島でナポレオンが誕生しているというのは、まるで運命のいたずらのようでもある。 イングリッシュ・アクセントを身につけさせたいという両親の希望もあり、アーサーは12歳から英国の名門校、イートン校で学ぶ。しかし、成績は二流。母親のアンは、長男のリチャード(後に英国外交官、政治家となる)ら他の優秀な兄たちに比べ、のんびり屋で夢見がちだったアーサーに頭を悩ませていたという。 父親の死去に伴い、アーサーはイートン校を中退。アンは、今度はアーサーにフランス語を身につけさせようと、ベルギーに共に移住。だが、その後もアーサーの将来性に光が見いだせなかったアンは、彼を「何とか兵士としてならやっていけるかもしれない」という程度の期待のもとに、さほど規律の厳しくなかったフランスの陸軍士官学校へ入学させた。 ところが、アーサーの軍人としての類まれな才能は、時を経てゆっくりと花開いていくことになる。アンは彼が将来英国史に名を残す指揮官になろうとは夢にも思わなかったことだろう。